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2019年8月26日月曜日

Project ”B”挫折寸前 家建てれるのか? それでも ジューケンさんは・・・ 


Project ”B” 2年に及ぶ 私の下準備を終えて 今年 3月31日に 契約を結び その後も 幾度と無く 変更を繰り返し やっと 工事に取り掛かることが出来たのですが・・・




ここに来て 最大の問題が 浮上しました






ほんと ここまで やったのに 




予算をケチる為に 自分で やらなければならないことや 建築の知識 一番大事な 経験者の体験情報など 少しでも後悔の少ない家を建てる努力を 沢山してきたのに・・・・




これを どうにか 乗り切らなければ 今まで 一緒に 協力して来てくれた方達に 報いなければ!











これから 本番!Project ”B”は どうなるのか?









トラブルの経緯を書いていきます・・・・(写真は工事風景です詳細文とは異なります)










8月23日 工事着工


















この日 地盤改良と セメント杭の工事に取り掛かった所でした




肝心な 私は その日 ベトナムのダナンから バンコクへ移動する日



トラブルが起きたのは 多分 私達が Hotelから 空港へ向うTAXの運転手と 話をしている時だったと思います




それから 数時間後 私達が ちょうど バンコク行きの飛行機に 乗り込み 座席に座って シートベルトを締めた時 ピロピロピロ♪♪♪ ピロピロピロ♪♪♪ ピロピロピロ♪♪♪







なんだ? 妻には Hotelを出るタイミングで 今から 空港に向かうから と 連絡をしておいたのに 何で 電話?と 恐る恐る iphoneを手に取ると・・・・





ジューケンの社長様からのコールでした  あれ? 何で? 




機内に居たことと 国際電話になってしまうことで 私は 電話にでることを 止めました



1時間半後に ドンムアン空港に到着して 直ぐに Wifiに繋げて 妻に聞こうと・・・









移動の1時間半は 長かったな~っ 頭の中が パニック状態





心配性なんでOTL~








表層を均しているところ






















定刻通りに 13:30 バンコクに到着



機体が着陸と同時に iphoneを取り出し 無料のWifiに繋げました 



バンコク 結構 緩いんで 注意されないんですよ




直ぐに Lineのアプリを開き 妻へ連絡





すると 妻から 驚くような言葉が・・・・・






昼前に じいさん(私の父)が来て 作業中の 職人さんに 怒鳴ってた



【お前ら 誰の許可取って 家建ててんだ!】って!



その為 工事が 一時 ストップ




でも????   


私の父が 何で 関係があるの 借金してお金を支払うのも私だし ジューケンさんに お願いをしたのも私だし 何より 建替えの権利を市役所が認めて 確認申請も出しているのに・・・・・







その後 妻から





午前中 怒鳴った後に 一旦は 帰ったんだけど 午後から また来て 




【ここ 俺の土地だぞ 誰の許可取って 建ててんだ!】


と 再度 怒鳴ってきて 




さすがに 住建の社長さんが 「工事 止めますか?」って 聞いてきた



「止まった場合 重機を入れているので 工事の止まった期間 追加金が 必要になっちゃんですけど!」と 妻へ 確認を取りにきたそうです













私は バンコク ドンムアン空港のイミグレーションで 入国手続きを待ちながら 妻の話を聞くことしか 出来ませんでした






今の 私には 何も出来ない!





妻も 「まーくん ごめんね 旅中で 大変なのに それに 嫌な思いさせちゃって・・。」



私も 『いいよ!そんなの 今回は 緩い旅だし 後 バンコクの2日だけだから でも 謝るの 俺の方だよ 俺が居ない時に じいさんで 嫌な思いさせちゃって』





妻が「私は いいんだけど 職人さんや ジューケンさの監督さんが 怒鳴られちゃって 申し訳なくって・・・・」



続けて 私が『そうだな 帰国したら 俺が 職人さんに 頭を下げて 謝っておくから・・・・』




妻 「どうする 工事続けておく? 止めると 延滞金出るけど・・・・」




私 『とりあえず 杭の工事だけ 進めてもらって その次の工程は 対策を住建さんと練るから 今の工事は 続けてもらって!』







と こんな感じの 会話を 空港のイミグレーションでしていました




その為 どうやって入国したか 記憶が ありません 










穴を掘って コンクリートと土を混ぜます






イミグレーションでの会話から3日後 帰国した私は 空港に着いて 早々 住建の社長様へ お詫びのメールを入れました


社長とも 今後の対策を練るお約束をして 自宅へ戻ります




自宅に着いて 妻に 事の経緯を聞くと 住建さんも 職人さんも 相当 まいったらしく ”こんな事 初めてです”って それと ”お話は聞いていましたが まさか 本当に言って来るとは思いませんでした”と・・・






その後 母親に 工事の妨害・停止させられたことを言うと 父は そのことを 母には何も言わなかったらしいです




どちらかと言うと 嬉しそうに 気分がよくなって 機嫌よく 吉良の自宅へ 帰ったそうです



母も どうして あんなに 上機嫌になっていたのか分からなくて 私達の電話で ようやく 事の成り行きが理解できて 納得してました






父は 私達の新しいお店を建てる事を妨害して 困った姿を喜び 立場の弱い 職人さんや住建さんへ 怒鳴る事で マウントして 優越感や高揚感を得て 上機嫌に なっていたようです



私が 子供の頃に受けてきた事を 今だに している事になります









ちょっと 昔を 思い出しちゃいました・・・・



私が 幼い頃 頻繁に父から 暴力を受けていたんですが 

何度も何度も 頬を殴られ お腹を蹴られ 2段ベットの上からから踏みつけられ 

時には ゴミ箱の角で 何回も叩き 頭が瘤だらけになって 

気が狂ったように 私を痛めつけているときは 私が ”ごめんなさい ごめんなさい”と 泣き叫んで 謝っても 父の気が治まるまで 暴力は終わる事はありませんでした

そんな 自分より弱い私を甚振る事で 高揚感が湧き 私の苦痛に歪む顔を見て 興奮している父の顔を 私は 今でもハッキリと憶えています








今回の職人さん達にも 自分が上から ものを言って 困った職人さん達を見て 怒鳴りながら 気持ちが高揚していたんだろうと思います





多分 父の怒鳴りながら興奮した顔を見て 職人さんたちは 驚いたと思われます






もう 80歳を超えた 年寄りなんですけどね~っ





それに 多分 父に悪知恵を助言した人がいるんですが その方も 同じ穴の狢です


父の正当性や 父が喜ぶような事を話ていると思いますが その事で 父が勘違いをして 私達 家族が いつも苦しんでいます 

今回の件では 市役所の区画整理担当者も 困っています







どうか 父に何も言わず そーっと しておいて下さい 心より お願い致します









コンクリート杭の作業が終わりました

その後 2日間 父の妨害も無く 杭の作業は 無事に終了いたしました


帰国後 こちらの職人さんたちに 私は 朝 深々と頭を下げて お詫びをしました


父のした事は 多分 一生残る トラウマになるほどの罵声だったと思いますので 誠心誠意 謝らせて頂きました



そんな お詫びをしながら 職人さんとのお話の中で 『怒鳴られながら よく我慢して頂けましたね 言い返してもよかったんですよ』と聞くと


「私達 何かして 嫌われちゃったら 仕事が無くなってしまうんで・・・」


この言葉を聞いて さらに 申し訳なさが募ってきました



どんな人も みんな 大きな物を背負って 働いています それは 自分以外の人の為かもしれません だから みんな 堪えて 我慢して 理不尽さを飲み込んで 仕事をしています


父は そんな 立場の弱い人に 自分が気持ち良くなるために 自分の立場を利用して 怒鳴り散らしたんです



その立場も 施主である私の父親ってだけです お金は 一切払いませんし この家に住む事は無いのにです







この下請け業者の方を見ても ジューケンという会社 ほんとに 良心的な人たちの集まった会社です


職人さんも そうですし 監督もそうです


きっと 社長様の人柄が 良いんでしょね


本当に 不愉快な思いをさせてしまって 申し訳ありませんでした


これからが 父の嫌がらせの本番です 建物が建ったら さらにエスカレートするでしょう




何とか対策を練らなければ ここまで ジューケンさんに良くして頂いているんで!












ほんと これから どうなるのか?


Project ”B”は 遂行できるのか?




今は たんたんと 自分のやるべき事を やるしかない!