2015年6月17日水曜日

今日は銀婚式 25年前 妻の母が 妻へ送った手紙 (動画 2本)


Blogで こんなことを書いてイイのか分かりませんが 25年という節目に 記憶に焼き付けるため記載します 不愉快に思われました方には 前もって お詫びを致します 大変申し訳御座いません




本日 銀婚式を迎えることが出来ました


私が 妻と結婚してから 毎年 結婚記念日に していることがあります


それは 安城の あるレストランへ行って 食事をして 映画館で映画を観ること


そうです 年に1回だけの レストランの食事 そして 1年に1回だけ行く映画館


当時 所得の少なかった 私達の 最高の贅沢だった 雰囲気の良いレストランで ハンバーグ焼780円 と クリームソーダー580円を 2人で1つ頼んで 1つのクリームソーダーを 2つのスプーンで食べること


所得が増えて 自分達が豊かになっても 結婚当初の頃の気持ちを 忘れないために 年に1度 食べるレストランの食事



付き合い始めた頃 1980年代後半 私のサラリーマン時の所得は 手取り9万円 妻は6万円


世の中は バブル経済に浮かれ 誰もが お金!お金!の時代だった頃の話だ

比較として 私の弟の手取りは50万でした


私が 夜間高校へ通っていたこともあっての事だと思いますが それでも 今考えると 少なすぎですね

バイトでも もっと貰えそうな 低い給料でした


”貧乏です”と 言って 自慢するようなことでも有りませんが 夜間高校の給食に出る 食パンの残りを 持ち帰って 朝食にして食べては 切り詰めた生活を 2人で送っていました


そんな 思い出話を 毎年懲りもせずに 24回も繰り返してきたんだなって・・・・








25年前 結婚式で流した曲って?


今朝  起きて 妻の所に行って 挨拶を交わす

『おはよう!今日は銀婚式の日だね!25年間 ありがとう』って

すると 妻から 質問された

「そうだね こちらこそ ありがとう!ねぇ~っ 私達の結婚式で使った曲って 何だったっけ?」


急に 何なんだろう?


『確か TRUE LOVE じゃ なかったっけ!』


すると 妻が 首をかしげて 「違うよ!絶対違うよ!」



























直ぐに リビングの iMacのiTunesに入っている 曲をしらべると なんか違うようだ


25年前でも 曲は覚えている しかし 曲名までは すっかり忘れてしまっていた


直ぐに 歌詞を頼りに 曲名を探した


そして 妻に 『この曲だわ!』と言って 25年ぶりに その曲を聴いた



私は直ぐに iphoneに その曲を入れて 配達の間 何度も何度も聞きなおしながら 25年前の事を 思い出していた








レストランと 映画鑑賞




18:30

この曲を聴きながら レストランへ向う

オンボロの軽トラックに乗って 妻は ほんの少しだけ おしゃれをして・・・・


そのレストランは 2店舗あって 今年は いつも行く方の お店が定休日

折り返して もう一つの店舗の方へ向う


毎年行くレストラン 2店舗あることが 定休日の時でも 必ず食べられる だからこそ25年も続けることが出来ている



18:50

テーブルに座ることが出来た

店員さんがメニュー表を渡した瞬間に 直ぐに注文

『すみません! ハンバーグ焼2つと クリームソーダー 1つ スプーンは2でお願いします』

すると 店員さんから 説明された

「申し訳ありません 今 ハンバーグ焼には ご飯が付いていないんです! それとクリームソーダーも 花びらのアイスがのっていないんです」

4月の消費税増税により 価格形態が変わったらしいのだ


『あ!いいですよ ご飯を別に付けて下さい それと クリームソーダーは バラに出来ませんか?』って

やっぱり 24年間続けているので 同じものを食べないと・・・・・


「はい!それでは ハンバーグ焼は ご飯を付けて クリームソーダーは 料金アップで お作りします」と!

無事に 食べられそうだ




























年に1度の ハンバーグ焼 650円 ライス 200円

2人で話す

”今年も2人で食べれたね!” この会話から 食事が始まる

そして 今年 2人で親として 子供から学んだことを 話しながら 1年間の無事を祝う






























クリームソーダー(500円) バラクリームに変更 630円


私達が若い頃 食後に 1つだけ頼んで食べていた クリームソーダーです

私達の中では 高級なデザートでした ま!世間が狭かったと言うことですけど!























写真を撮っていると レストランの店員さんが ”撮りましょうか”って 写して頂いた


アイスクリームを スプーンで チビチビと 2人で すくって食べる


また 2人で 子供達の無事を 感謝しながら おしゃべり!



食べ終わると これも 毎年恒例 2人で握手をして 『1年間 ありがとう御座いました!来年も また 来れるといいね!』 


そう言って これからの1年間の安全を祈願する
































20:30

今年は トゥモローランドを鑑賞

この映画も 毎年6月は大作がないので 観たい映画を観れるわけではありません

なので 妻は 6月にはいると 今年は良い映画あるかな~って 聞いてくる

そりゃ 1年に1回しか行かないですからね


今年は 梅本葬祭のみなさんに 数日前に教えて貰って この映画にしました

この映画を観て 子供達が幼い頃に 連れて行った ディズニーランドを思い出していました


22:50

これで 今年の結婚記念日 銀婚式は 終わりまし・・・・・・・・・・


って! 家に帰ると・・・・・・








子供達からの 心のこもったプレゼント???

子供達が 私達の為に 製作してくれた動画




子供達が4人 私達を 待っていてくれていた




恥ずかしげに 自分達で 製作したであろう 編集動画を見せてきました



私が いつも 私達へのプレゼントには お金を掛けないように!と 言ってあるから



それが 子供達からの 私にとって 最高のプレゼントです





編集動画を見た後 娘達が 私を覗き込んで見てくる


自分達のサプライズ演出で 私が泣いているか?の 確認だ!




娘達に 言う

『今年は 泣かないよ!パパは 今 前を向いて歩いているからね 3年前とは違うんだよ!』


3年前の結婚記念日 その頃 先の見えない不安で 苦しんでいるときに 子供達からのサプライズで 号泣してしまったことがあった


そして 子供達に お礼を言う

『有難う 大変だっただろう?』


次男が 「時間が無くて 最初のサビまでしか作れなかった」って 照れ笑い!


私は 『君たちが作ってくれたことが嬉しんだ! 作品の完成度はどうでもイイんだよ!』と




そして 続けて 話した

『今日 銀婚式を迎えられたのは あなた達の お蔭だから 本当に有難う』って




子供達は 不思議そうな顔をした 何で 俺たちが???みたいな!



すると 妻が 「夫婦は 他人だから・・・・・」 そう言った




重い言葉だった 妻の言う通り 私達は 他人なんだと・・・・ 




改めて 夫婦の深さを知ることになった 夜だった









妻の母親の手紙



私達は 今日 こうして銀婚式を迎えることが出来たのは 妻の母親が送った 1枚の手紙にあります





若い頃は 毎日のように 喧嘩をしていた 



愚かで幼稚で 劣等感の強い私は  妻を 怒鳴り散らしていた


若さや 低所得だけでは 言い表せない! 


劣等感による 憂さ晴らしで 綺麗ごとを並べて 正論をいつも振りかざす 腐った男だった



当然 些細な喧嘩から 何度も何度も 夫婦の危機があった


しかし 妻は ずっと耐えてくれていた 



そして 私の我侭で 4人の子供達を生んでくれた

子供を育てるって こんなにも大変な事なんだって 想像も出来なかった馬鹿な男のために!






私は 25年間 妻に言っていないことがある


多分 これからも 打ち明けることは ないだろう  このBLOGも 妻は読んでないし!







それは 結婚式の前日 1990年6月16日  妻のご両親は 私達の家に泊まっていた



その夜 私は 妻に 妻の両親へ 最後の挨拶をするよう 促した




陰で その様子を見ていると 挨拶をすませた妻に 母親から 1枚の手紙が渡されていた


手紙と言っても スーパーの片面刷り広告の 裏の白い面に 大きく 文字が書かれた 質素な手紙(メモ書)だ!

妻の母は 若い時の栄養不足で 視力障害を起こしていました その為に 大きな文字に・・・ 
それと 子供の頃 親の仕事の手伝いや 子守で 学校へ あまり行くことができなかったと・・・・
聞かされていた!


妻は その手紙を読んで 恥ずかしそうに しまいこんでいた




私は その手紙が気になって 妻が お風呂に入っている間に 盗み読みをしてしまった




小さく折りたたんだ スーパーの広告を 開けると そこに 大きく マジックで ほぼ ひらがなで書かれた文字が・・・・


そこには 【かぁへ ・・・・・・・・・・・・・・】と 綴られていた



24歳の若さでありましたが 私は その手紙を読んで 手が震えてしまった





こうして 25年間 妻を一度も裏切ることなく そして お互いに 助け合い ここまで やってこれたのは 妻だけではなく 妻の母親の愛が 私達を支えてくれたのだと思います





詳しいことは書けませんが 妻の実家は 豊かではありません

その為 妻の母の 苦労は 並大抵のことでは なかったと思います


そんな 母親の手紙だったからこそ 私は25年間 いつも 結婚記念日になると その手紙を 思い出します


今でも 一字一句 忘れることのない 妻への愛情こもった手紙を・・・・・・




そんな妻の 母親も 7年前に 亡くなってしまいました


”子供達と海外の旅”を 後押し したのは 義理の母の死でした


もし 亡くなった方に 伝えることが出来るのなら 伝えたい!


【お母さん あなたの娘は ちゃんと 手紙の約束を 果たしていますよ!】








その手紙には こう書かれていた




























私達の結婚式で流れた曲

私から 子供達へ お返しのプレゼント動画






















それぞれの家族に それぞれの価値観があります

この動画は 未熟な私の価値観です

見られて不愉快な思いをされましたら お許しください