2014年2月12日水曜日

投稿100回記念 ベル商店のタイトル写真 カンボジア編 buntheouy村へ

やっと ここまできました!100回目の投稿になります

何が書きたいのか 定まらないBLOGを ご覧くださる皆様に 感謝

100回も続けることが出来ました

今回 投稿100回記念に こちらのベル商店BLOGタイトル写真についてのお話をしたいと思います

八百屋さんとは全然関係ないのですが カンボジアで 私の心に残った言葉をご紹介します

その言葉は たわいも無い 普通の言葉です 

簡単に流してしまうような言葉 

ただ 私は とても重く受け止めてしまいました

その言葉とは・・・・・ 


100回記念投稿の最後に 編集動画で 息子へのメッセージとして入れてあります

パソコンでのみの視聴となりますが ご興味が御座いましたら 最後までご覧ください
(スマホでの視聴は出来ないと思われます)

あくまでも 個人的な受け止め方ですので不愉快に思われました方はお許し下さい











2012年 3月27日

私たちはカンボジアに居た




タイ国境からの バス



















タイからバスを乗り継いで カンボジアの国境から 近年 新しく舗装された国道を快適に走り抜けた

ある街を目指して・・・・





タイとカンボジアの国境を歩く次男!

国境で タイとは一瞬で違いが分かるほど カンボジアは貧しい国だと 察した

空路では 分からない状況が 陸路で 知ることが出来た



イミグレーションを通過!





カンボジアでの入国の際は ビザが必要となる 


イミグレーションで ビザを取得するのだが 賄賂として ビザ代以外にも 支払う はめになるとの事で 私たちは 日本のカンボジア王国名誉領事館で ビザを取っていった


もう その状況だけで 国の管理の甘さが うかがえたカンボジアだった


初めての途上国 どんな旅になるのか!わくわくして





シェムリアップの夜を徘徊!

息子と二人 カンボジアの遺跡の街へ踏み込んだ

丸1日の移動だった



初日の宿屋に 荷物を置くと 街灯も無い暗闇の中を散策した

土は赤土 道路にはゴミの山 それでも ここは カンボジアの大きな街 都会である

お腹の膨れた小さな子供を見る度に 思い描いていたカンボジアが そこにあった 


イメージどおりの スタートだった!





この街で 私たちは当時 1泊1700円朝食付きの宿を取った

一人850円 プールも付いて 夜食も頂ける最高の宿屋だった


当然 観光も目的なので 遺跡への移動手段を探す

循環バス タクシーなんてものは見当たらない そこで トゥクトゥクと言う乗り物をチャーターして観光をすることになる

そのトゥクトゥクに乗って観光をしていると ドライバーと息子が いつの間にか友達になっていた

ほんの少しだけ 日本語を話せるドライバー 

観光案内をしてくれるのではなく 主だった遺跡へ 乗せていくだけのドライバーだ!

少ない日本語で コミニケーションを取って 仲良くなっていった

東南アジアの旅では 常に息子が言葉の壁を越えて 沢山の友達を作ってくれた





Buntheouyと出会う!

彼がBuntheouyである そして この乗り物がトゥクトゥクと言う


彼は 夜になると 私達に会いに 宿へ来て 街の野外コンサート場や ナイト遊園地へ連れて行ってくれた


当然 お金など受け取らず ジュースやお菓子 果物(ドリアン) 遊園地の乗り物の代金まで 彼が支払ってくれた

そんな友達になったBuntheouyが 私たちを 自分の村へ 招待してくれると言うのだ


彼は農家の出身だ 


カンボジアは農業が中心(労働人口の8割近く) タイやベトナムへも安い価格でお米を輸出している


ふと考えてしまう・・・・・ 


招待を受けたが  どうしても忘れてはいけないのが地雷である

失礼な話だが 私達日本人には理解できない地雷 内戦が終わっても 今なお恐怖と向き合っている国

街は大丈夫だと分かるが農村地帯となると 私はどう安全性を理解していいのか分からなかったのが本音だ


しかし Buntheouyの誘いを断る理由は 地雷の恐怖以外なかった 

どんな村なんだろう?  どこにあるのだろう?  ここからの移動距離は?

考えだしたらきりがない!


彼の人柄を見て結論を出した お言葉に甘えて 行くことにしたのだ


Buntheouyの友達 仲間と共に朝から 村へ向かう






カンボジアの友達とBuntheouy村へ

写真
Oun mapcute 真ん中が息子 Orikanou rona







Karuと・・・・

彼女はka ru 

大学を出ており とても頭が良い Buntheouyを含め 彼女が一番のまとめ役でもある

流ちょうな英語を話すので 私達には英語で接してくれた

ちなみにカンボジアではクメール語が主流ですので 現地語は私には全然わかりません

ですから 彼女の英語で 情報を取っていた







Karuが契約をする


なぜだか 村へ向かう途中で立ち寄ったのが 開発中の商業地だった

なにやらka ruが ここでビジネスをするようだった

目の前のピンクのシャツの男に 3000をキャッシュで渡していた

まさか このカンボジアの地で ビジネスで 這い上がろうとする女性の現場に 立ち会えるとは思わなかった

私達がこんな大事な場所に居て 大丈夫なんだろうか? 

息子なんか その気になっている

やはり ここは カンボジアだ!とってもオープン!



建設予定地!





 













ここに 大きな商業施設が出来るらしい ka ruは この一角の土地の権利を購入した

この街も 大きく中国資本が入り 近代化していく様子が至る所にあった






モテモテ次男



















Buntheouyの村へ向かうトゥクトゥクの中

息子はOrikanou ronaの おもちゃ状態!

息子を気に入ってくれたのか 嬉しそうに じゃれ合っている

息子は恥ずかしくて仕方ないようで それでいて嬉しそうである






Karuにビジネスの話を聞く!




















私とka ruは先ほどのビジネスプランを簡単な英語で教えてもらいながら会話をして

夢ある若者へ 心の中で成功する事を祈っていた





ベル商店のBlogのタイトル写真

次に立ち寄ったのが ベル商店BLOGのタイトル写真を撮影した現場である

ここは 現地の方たちのスーパーマーケット的存在の 市場みたいなところです

食品が中心で露店が並んでいます

村へ行くための お土産をここで購入


Buntheouyとお話をしているのは 親戚のおじさんらしい


私達も自己紹介されてBuntheouyを通して お話をしました








地元市場でスイカを値切る彼女ら!

女性陣たちはスイカを値踏み

彼女たちを見ていると どこの国でも女性は強い!

言葉は分かりませんが 雰囲気で値切っているのが分かる

それも強い口調で さすがだ!

試食だと言って 勝手に取っては何個かのスイカを剥いて食べていた




スイカを貰う次男!

私も 息子も そのスイカを試食


当然 八百屋ですから 味を確認しながらですが・・・・ 

食して なるほど!


いかに日本のスカイが美味しいのか!日本の農業技術の高さを伺えた果物でした


当然といえば当然なのですが 日本の場合は品種改良をしているので甘さに掛けては世界一かと!


ま!カンボジアの場合 薄味の甘味の無いスイカが普通なので!


私は彼に『おいしいよ!』と伝えた


炎天下の中での水分補給として最適だったから!







酸っぱい果物を食べさせられる次男


後ろで食べさせられているのは ライチぽい果物 

こちらも 頂きましたが 酸っぱい!

Buntheouyは それを分かっていて 息子に食べさせ 反応を見ていました

とにかく ここは刺激的な市場でした







カンボジアの給油

トゥクトゥクは さらに農村へと進んでいきました

周りを見ると 田園風景が続き 所々に小さな村々が点在していた

中には数件ではあるが 日本の木造家屋と同じような家もあるが どうみても富裕層の家にしか見えない

それほど 農村の建物が家に見えなかったのである

進む道が 川沿いを走るようになると さらに農村に来たと感じる様になっていた

村を目の前にして トゥクトゥクの給油に立ち寄る

小屋らしき建物に ガソリンの入った瓶が 並べて置いてあった

当然の如く バイクに そのガソリンを入れる




この光景も初めてだったので 思わず写真を撮ってしまった










トゥクトゥクに 揺られ疲れる

長時間の移動に 息子も少し疲れ気味で座る

私は好奇心旺盛なので 少しの時間 散策へ





水牛に遭遇!





























止まっているトゥクトゥクの横を 大きな水牛が普通に通り過ぎている

何台もの 牛車と擦れ違った!その度に興奮!

たわいもない事でも 何か不思議な感覚に酔っていた











水遊びをする無邪気な子供達!

川沿いの道を進んできて 子供達が泳いでいたのを思い出し 少し道を戻って その光景を見に行った

この子たちには プールなんて要らないんだよな〜

昔の日本も 至る所で 子供達が川遊びをしていたんだろうな~と 耽った


こんな風景 想像していたカンボジアそのものだった!






学校帰りの女の子

すると 別の子供達が 制服を着て歩いていたので なんとなくシャッターを押してしまった

これから学校へ行くのか?帰ってきたのか?

カンボジアには基本 義務教育なるものが無いので 学校へ通う子供は少ない


自分の子供と ほんの少し比較してしまった


どちらの子供達が 幸せなんだろうって・・・・・・


彼女達は 私が珍しいのか じいーっと こちらを見続けていた



Buntheouy村に到着

給油所から数十分で ようやくBuntheouyの村に到着した


早々に懐かしいのかKA RUは村の人と挨拶をしていた


私も 沢山の村の人たちに紹介をされ 打ち解けていった


たぶん 日本人が この村に入るのは初めてなのだろう


なんとなく嬉しそうに 私たちを受け入れてくれた


私達も 日本人の印象を良くすべく 振舞っていた


そう!笑顔を絶やさず ジェスチャーで表現した






次男とBuntheouy 鶏を捕獲!

息子は 言うまでも無く 村のそこらじゅうを駆け回っていた


特にBuntheouyが 私達の為に 鶏を捕獲してくれていたので 興味津々で付いて捕獲する所を見ていた


ここからでも Buntheouyの右手に 狩用の棒が見える



Buntheouyのお母さん

Buntheouyのお母さんです

滞在中 ただ黙々と家事をしていました


もの静かで ここでも昔の日本の母親像が現れてきます







Buntheouyの弟(4男)

この子は Buntheouyの3番目の弟 息子と同じ年です

この後 学校へ 登校しました

カンボジアで学校のある地区では 午前と午後と2部制になっているようです


学校へ登校するまで遊んでいました





Buntheouy村の様子


Buntheouyの家の窓からの村の眺めです




高床式の住居が何軒かあり 数軒の家の集落で 村が成り立っているかんじです




Buntheouy 鶏をつぶす!


















Buntheouyが2羽の鶏を捕まえて 目の前でさばいてくれました

首を折り 血を抜いて 熱湯に入れて 羽をむしる!

写真は食べやすい大きさにカットしているところです

息子と二人 Buntheouyのさばく姿を見て 興奮していました

私自身も目の前で鶏をさばくところなんか見たこと無いので良い経験になりました

それと Buntheouyが 村へ向かう途中 何度も「トリ!タベル?タベレル?」と聞いて来たので 多分 彼は私たちに これをご馳走しようと思ったに違いない

それだけ貴重な食材と言う事だ!





Buntheouy弟 (三男)

鶏をさばききったところで 次に息子が目をつけたのが Buntheouyの2番目の弟です


彼は14歳で息子より年上 なんとなく気が合いそうな感じで楽しそう


この時 ふとした疑問が湧く


息子はどうやって この子と会話をしているのか?


どう見たってクメール語は知らないだろう!


その後 息子から「パパ!Buntheouyの弟と遊んできてイイ?」と聞いてきた


私は「いいけど!気をつけろよ!怪我したら俺たち破傷風になるからな!」と注意をして許可を出した




Buntheouy三男と意気投合

すると 二人で村中を歩き回っている


同じような赤いTシャツを着て 緑のパンツを履いて ビーチサンダルまで水色で同じ
なんだ こいつら ペアルックじゃん!






2ケツで 逃亡!


目を放した隙に 単車に跨っていた!

遊んでも良いと言ったが まさか単車に乗って何処かへ行ってしまうとは!

なんか ニタニタ笑ってやがる・・・・・

ホント どうやって意思の疎通を取るんだよ!






逞しい次男!


















あっという間に 消え去ってしまった 自分の息子ながら 逞しいわ!







鶏を調理!




















Buntheouyの調理風景

こちらが 日本で言う台所

薪に火を点けて調理する シンクは樽になっていた

調理風景を見ていると 上手に火加減を調節して手馴れたもんだった

もう 見るものすべて 驚きの連続です 

奥の鍋でお米を炊き 手前の鍋でスープを作っていた

Buntheouyも 話しかけると 得意げな顔をして説明してくれた



Buntheouy 四男 長女 学校へ



















左の女の子は Buntheouyの末の妹 学校から帰ってきた

9歳と言っていたが 午前中の授業が終わって 3番目の弟と入れ替わり

右の子が 息子と同じ年の先ほど紹介した弟 制服を着ると雰囲気が変わるな~

嬉しそうに 登校して行った

私たちは 流れるように幼稚園 小学校 中学校 高校へと進学する

何も考えず 自然に当たり前のように真新しい服を着て入学をする

しかし 彼らは 当たり前では無いようだった

未だに 町でも沢山の子供が学校へ行けない状況が続いている

物乞いをしたり 親の手伝いをしたり 物を売ったりしている

そんな中での Buntheouyの家族は ちゃんと学校へ行かせていた






息子 やっと 戻る!

40分ぐらいして 息子が帰ってきた


楽しそうな顔をして どんな冒険をしてきたのか?


ま!異国の子供と打ち解けるのは良い事だからな! 


私の記憶には無い息子だけの旅の思い出を作った


でも 親としては心配だった




Buntheouyのお父さん


















こちらがのBuntheouyお父さんです

初対面で 私と握手をして挨拶をすると 笑顔で応対してくれた

ま!クメール語オンリーですから Buntheouyの通訳での会話ですが 口数も少なく常に笑顔でいてくれました



Buntheouy村の普段着



















いつの間にかBuntheouyも 村での普段着に着替えていました

腰巻1枚で雰囲気 かわるな~

手前のOun mapcuteも こちらの村の出身者で 彼女の家族も農家でアヒルの養殖を主にしているとのこと

彼女も物静な人で常に笑顔を絶やさない











食事を ご馳走になります

私たちに作ってくれた食事です

お米 鶏肉のスープ 鶏肉の野菜炒め 青パパイヤのサラダ

まず お米は 米農家だけあって美味しかった

カンボジア米は大粒でパサパサなお米 どちらかと言うと焼き飯が好まれるお米です

実際 街で食べたお米は苦手な食感でしたが Buntheouyの家のお米は普通に食べれる範囲だった


そこは農家 自前のお米だ!






鶏料理・・・美味そう!

息子も美味しいと言ってお米を食べていた

それとメインの さばいてくれた鶏肉 これは驚いた

肉が弾力があってモチモチしていた

何でもそうだが 魚 肉は鮮度が良いほど美味い!


調理方法を見ていても特別な調味料を使っていなかったので 素材そのものの旨みなんだろう




皆で楽しく食事!

ただ 青パパイヤのサラダは 美味しさがあまり分からなかったが 彼女たちが沢山食べているのを見ると 美味しんだろう


いや~お腹いっぱいに食べさせてもらった


でも・・・・・・・







小さな子供が寄って来た!

私たちが食事をしているところに この村の子供達が集まってきた


私達の食事風景を じぃーと見ている


その子供たちに『食べる?』って言いかけた瞬間


大人たちが手で [あっちへ行け!] みたいな動作をした


村の習慣なのか?立場なのか?位置づけなのか?


私には分からなかったが それぞれの生活ルールがある以上 その状況で ”可愛そうにとか” 勝手に決め付けてはいけないと思った






後片付けのBuntheouy母

1時間ほど 楽しく食事をさせていただいて 後片付けをしているBuntheouyのお母さん



私達の食事の時間 彼女は隅のほうで簡単に食事を済まして みんなの話に笑顔で頷いているだけであった



性格なのか この国の母親像なのか 理想の母親に見えていた






ハンモッグで 休憩!

食後 息子はのんびり ハンモッグに寝そべりながら村の生活を謳歌していた


子供の順応は早い! それと警戒感が一切無い!


かわって私は何をやるのも 慎重 とにかく これほどまでに環境が違うと どうしても安全面や特に健康面に警戒心が出てしまう


ただ 子供の天真爛漫さは 親への絶対的な信頼から来るものだと思うので 息子も沢山の経験が出来ているのであろう






お腹いっぱい  ”いただきました!”

私も お腹いっぱいの状態で のんびり彼女たちと会話を楽しむ


Buntheouyには もう一人弟がいる 16歳と言っていたが この子が なにやら問題児らしい


私達がこの村に到着すると 手前のKaRuが 弟のところへ行き 説教を始めていた


話を聞くと 高校へ行っていないらしい!

髪の毛を赤く染めていて色気づいていると 


確かに そんな感じだが 私には普通のカンボジア人に見える


当然 私も弟に話しかける


『お前!かっこいいじゃん!その髪の毛!』


そう言ってジェスチャを交えて 日本語で話すと 彼はニコニコして喜んだ



でも Buntheouyには そう写らない なぜならば 弟に学校で学ばせて 街での仕事を探してやりたいからだ




Buntheouyと昼寝!

Buntheouyも 息子とハンモッグで寝ていた


街で働くことと 農村で働くのとは 全然違っているようだ


ちなみに 彼の街での1ヶ月の稼ぎは 50$です


当時のレイトで日本円にして 4000円です


食事と部屋は無償で付いていますが これでも多いと言っていました


じゃ 農業の人たちの所得はいくらなんだ?って事になります


ちなみに カンボジアで沢山の人たちに話を聞きましたが Buntheouyの所得は妥当でした









村の探索へ

その後 私は のんびりと村の散策へ

確かに Buntheouyの家は 村の中でも良い方の家でした


実際 雨季の雨よけの為だけの 建物が殆どで 私から見ると原始的な生活にしか見えませんでした


それでも なぜか 村を歩いているだけで心が落ち着くのはなぜだろう?




Buntheouy家族の水田と 養殖場へ

のんびりした時間は刻々と過ぎ Buntheouyが魚の養殖をしているので 餌やりに行きますと言い出した

村から 畦道を単車で移動  単車を止め 緑一面の田園を歩く

カンボジアでは1年中が夏なので 2期作・3期作と米が取れる

広大な田んぼを見て 『Buntheouyこれ全部 お前の?』と聞く!


Buntheouyは「ハイ!ゼンブ オトウサンノ!アソコノ カワ(川)モネ!」
そう 自慢げに答えてくれた
 








餌やり

養殖の魚に餌を与えていた


息子も一緒になって与えていた


餌を見ると 米ぬかの様なもので 固まりを投げ込むと 無数の魚が飛び跳ねながら貪っていた


Buntheouy いったい 何匹いるの?』 と聞くと


「ワカラナイ!デモ イッパイ!」と嬉しそうに答えた!
ちなみに魚は 鯰(なまず)です









災難が降り注ぐ!

Buntheouyの叔父さんも来てくれた 

息子とじゃれ合っている・・・・・しかし この後 悲劇が



後ろの小屋で 息子がなにやら 虫を見つけた


「パパ!こんなところに虫の巣みたいなのがあるよ!」って



すると皆が 驚いた顔になって 「アブナイ!アブナイ!」と KaRuが 叫ぶ!



KaRuは 簡単な日本語は知っているようだ


慌てて息子が離れる その時 Buntheouy叔父さんが その巣を掃いに行った



その瞬間 「アウ!」と大きな声が聞こえた




蜂のような虫に刺された!!!


蜂に似ているが 黒いので私たちには分からなかった


なにせ 日本では黄色いのが蜂だから


その後 Buntheouyの叔父さんが 刺されて真っ赤に腫れた箇所を見せてくれた


それを見て 皆 笑ってる 叔父さんも笑ってた



私と息子は びっくりして 申し訳なさそうな顔になっていた








養殖池

これが田園風景と Buntheouyの生簀 


監視用の小屋なのか 休憩用の小屋なのか ここに農作業用の道具が置いてある


Buntheouyがなにやら 糸を出してきたので 何をするんだろうと見ていると釣りを始めた


指に糸を付けて 先ほど撒いた餌の残りを針に付けて投げ込む


入れ食いだ!簡単に釣れる!


当たり前ですが生簀なんで・・・・・


息子も 釣らせてもらって まさかカンボジアの地で 釣りをするとは思わなかったが 息子は夢中になって釣っていた










鯰釣りに酔いしれるBuntheouy

ここで日本人の知恵とでも言いましょうか 私が長い竹を探してきて Buntheouyの指に付いていた糸を取り この竹の棒に縛り付けた



即席の釣竿を作ってあげた



それからBuntheouyは 狂ったように釣りだした 竿先から感じる 釣り独特のヒキ!




竿のしなりが楽しいようで何匹も釣り上げていた










サンケツ(三人乗り)で 村へ
2時間ほど遊んで 私たちは再度Buntheouyの村へ


1台のボロボロの単車に3人同時に乗って 道なき道を走る



本当に のどかな時間が過ぎ去っていく










帰宅すると・・・・

村へ帰ると こんなに可愛い子が私たちを待っていた


私たちが手を振ると ニコニコ笑いながら 手を振り替えしてくれた


なんとなくだが 村に人が増えているようだった







バイクに興味津々!
息子は さっき乗った単車に興味があるのか?

はたまた 自分で運転してみたいのか 単車をいじったり乗ってみたり 少しの間 離れようとはしなかった








賭博場は 村の娯楽

私は楽しそうな声が聞こえる方へ 向かった


さっきまで居なかった人たちが 何かをやっている


多分 農作業から帰ってきたんだろう









賭博の様子を見つめる!

良く見ると ボロボロのトランプで賭博をしているようだった


場は2箇所で 大盛り上がり


ポーカーぽかったが 兎に角 顔が真剣そのもの そりゃ 娯楽なんか どこ探しても無い村の唯一の楽しみかと思った



しかし 勝負が決まると 大声を出して 笑いあって 本当に幸せそうである



ちなみに掛け金は 100リエルの紙幣で掛けていた 日本円にして2円



小額紙幣ではあるが彼らには興奮するほどの金額である


当然 私も いくらかのリエル紙幣は持っていた




そこでBuntheouyに 『やってみろよ!』と吹っかけてみる




Buntheouyに やらせてみる!
するとBuntheouyが 参戦した 


1回だけねと言って!


でも 皆 盛り上がってくれた!



しかし 即効でBuntheouyが負けた





息子の眼差し!

私もBuntheouyに言われた 「ヤッテ!ミマスカ?」


私は こう答えた


Buntheouy ごめんね!わたしは・ギャンブルを・しないんだ!』
やらせておいて よく言えたもんだ!




息子に言われた 「パパ!駄目じゃん!やらしたら・・・」



なんとも言えない 息子の私に浴びせる軽蔑の眼差し!




Buntheouy家族との別れ!
また Buntheouyの家に行って ご両親と他愛も無い会話を交わした 


息子も この村にそまっていた


本当に良い家族だ!



推測で Buntheouyのご両親は 私とそんなに年齢が変わらないと思う



1975年 ポルポト政権下 当然 ご両親は このカンボジアで暮らしていたであろう

その頃 彼らは どんな思いで この国を見ていたのか?



Buntheouyが通訳になるのだが 聞きたくても 聞けなかった


当時の子供達が 大量の大人を殺していく世界


何人 何十人 何百人もの大人を流れ作業のように虐殺して 子供達の顔が無表情になっていった世界・・・・


やっぱり聞けなかった


あの笑顔の内側に 何を押し殺して生きてきたのか?



そんな事を考える事も無く 息子は 無邪気に溶け込んでいた










ポルポト政権でのクメール・ルージュの統治


ポルポト率いるクメール・ルージュはとんでもない統治を始めます 政権を奪取したポルポトはシアヌークを軟禁してしまいます そして、難民で溢れかえっていた都市部の人々を半ば強制的に農村部へと移住させてしまいます
というのも食料生産に従事させるためでした クメール・ルージュに対する外国からの支援は打ち切られることが予想できたので 食糧生産を増やすのが急務だったのです 移住させられた国民たちは強制的に農作業させられます

ポルポト政権の統治がどの様なものだったのかを説明します
ポルポトは国内から知識人層を根絶することを目指します 知識は人々の間に格差をもたらすと毛沢東思想では考えられていました その影響を受けたポルポトも 「国を指導する我々以外の知識人層は自国には不要」と 考えたわけです
農作業に従事している人に布告が出されます 「医者・教師・技術者・学生だった者は名乗り出てほしい!国の再興には君たちの力が必要だ!」との布告でした
当然 該当する人は名乗り出るわけです 「これで辛い農作業から解放される」 わけですから これらの人々は拍手の中みんなに見送られます しかし、彼らの中に帰ってくる人は一人もいませんでした 彼らには「再教育」という名の処刑が待っていたのです  


イデオロギーが愚かな考え方と結びついた時に 人間にとって大きな悲劇に繋がる事をポルポトが証明した様な歴史だ

どんな事が正しいのか?どんな人が正しいのか?どんな行いが正しいのか?本当の意味での正しさとは何か?

だから 私も自分の中のイデオロギーの正しさを学んでいる 八百屋と言う仕事を通して!

人は面白い 正しいことをしている人には正し人が そうでない人はそうでない人と引き合う

だから私は本当の正しさを探している 同類項の名の下に・・・・・

ベル商店のお得意様は例外なく全員の皆様が素晴らしい人柄で心優しい方ばかり 

そうでない人は ご縁を頂いても離れていってしまいます






お土産に 魚の燻製

最後にBuntheouyが 私たちにお土産と言って 川魚の燻製を私たちに食べさせた



何も味がしない小魚だったが 息子はBuntheouyに「美味しいよ!」と言って何枚も貰っていた









そして楽しい時間が過ぎた

私たちは村の人達に お別れの挨拶をした

Buntheouyの ご両親 おばぁちゃん 弟 妹 親戚の方たちと握手をした

彼らの健康と 末永く続く幸せの時間を 心から祈りながら




Buntheouyの最後の言葉!


そして Buntheouyが 帰り際 私に 恥ずかしそうに小さな声で話しかけてきた



ワタシタチ ビンボウ デモ アナタタチ ショウタイ シマシタ!




私は 彼の言葉に 心を奪われた

直ぐに 彼に言葉を返した

『・・・・・・・・・・・・・』

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

君はお金や物は 無いかもしれないけど・・・・

君の家族は みんな笑い合っているじゃないか!

『・・・・・・・・・・・・・』

君達 カンボジア人からすると 私は お金持ちに見えるだろう


でも 日本に帰れば 私は お金の少ない日本人です

日本では 私のことを  ”負け組み”と 言います

だけどね 私の家族も みんな笑い合っているんだ!

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

『・・・・・・・・・』

私が笑うと 家族も笑ってくれる

Buntheouy 君の家族と私の家族 何が 違うんだい?




笑い合える家族が居る事が 最高の豊かさのような気がするけど・・・・・








カンボジアの村の様子が動画にあります

ご興味のある方はご覧ください

そして最後に彼との会話を息子へのメッセージとして載せてあります

不愉快に感じられましたら お詫びを致します



【2012カンボジアのBuntheouy村へ招待】短縮バージョン