2016年上海の旅 ディズニーランド編
上海までの片道999円のチケットを握りしめて 私は成人した息子と娘を 出来たばかりのディズニーランドへ連れていった
長男が1歳になって 始まった我が家のディズニーランド 息子を喜ばせたくて 毎年 欠かさず 連れていった 息子の喜ぶ顔を見るのが幸せだったから・・・
その後 長女が生まれて 次女が生まれて 次男が生まれて ずーっと ディズニーランドで 子供たちの笑顔を見るのが 私の生き甲斐だった
でも 子供達の笑顔が見たくて行っていたディズニーランドは 唯々 私の独りよがりのディズニーランドでしかありませんでした
そんな 馬鹿な親を見透かすように 小学4年生ごろから長男は 楽しいはずのディズニーランドで 笑顔を見せなくなっていた
何も 気づいていなかった
私は 家族への愛を はき違えていた・・・
いつしか 長男 長女が 大人に成って 沢山の過ちの中から 家族の想いを知ることになる
良い父親を装った馬鹿親の私は 再び 苦しめた長男と 耐えてくれた長女と 上海にある ディズニーランドへ 行くことに・・・・・
上海のDLで 沢山の小さな子供を連れた親子を見てきた
馬鹿親だった私とは 大きく異なり
そこには 沢山の 親の愛があった
間抜けな親の私に 子供達が教えてくれた
小さな子供は
親に縋らないと生きていけない
親の方を向いていないと生きていけない
だから 子供は 縋って・・縋って・・縋って・・
自分を守ってくれると信じているから
子供が自立して気づく 子供が親に愛を与えていたんだと・・・・・
2016パリ・ミュンヘン・ザルツブルグの旅 パリテロ編
長女とヨーロッパの旅に出た
パリ ミュンヘン ザルツブルグと・・・・
パリ行を決めたのは4ヶ月前のパリ同時多発テロ現場へ行くことだった
シリア・イラクへのフランス軍に対する報復テロでは 130名ほどの命が奪われ 400名近くの人たちが負傷した それに伴い 恐怖と経済被害が起った
その一方で シリアの内戦での死者数は47万人 負傷者は190万人とも言われています
そして パリにも 難民の方が居ました
私達は 世界で起きた大きな出来事を ほんの少しだけ 感じる事になった
安心 安全に暮らす事とは・・・ 当たり前のことが当たり前ではない事を 知った
2015ドバイ・アブダビ・オマーンの旅 歩み編
旅を終えて ”私の4人の子供達と旅をする”と言う 願いが叶った
そして 家族とは何なのかを知る事ができた
その事で さらに 自分の持つ劣等感が 和らいでいった
人は自分の為に生きている 他人の為には生きない
でも 他人から優しくされると 自分から 人に優しくしたくなる
家族も同じような気がする
親の優しさの中で 優しい子供に育っていく
私の父や 私の様に 家族に威張り 怒鳴り 罪悪感も無く手を挙げれば 子供も また 代々 それを繰り返す 負の連鎖 因果だ!
私は 大切な事を 長男に教えて貰った
家族を作るということは 自分を成長させる事だ
2015ドバイ・アブダビ・オマーンの旅 絆編
長男と2人で旅をして 私は多くの事を学んだ
長男が小学校の高学年になる頃 私は長男に対して 無関心だった
子供は 普通に学校で勉強すれば 普通の成績を取れる
学校で集団生活を学んでいれば 一般的な道徳は身に付く そう 思っていた
しかし 全然違った 子供は 親とまったく同じ様に育っていく
私の様に 幼稚な親なら 子供もまた 何もしなければ 幼稚に育つ
子供は 他人任せで 自然に 成長していかないのだ
そんな息子を 私は 自分の劣等感で 攻め続けた
怒りに任せて 綺麗ごとを並べて 息子を 怒鳴り 殴り 苦しめていった
遣り直しの人生を送る私と 大人に成った長男と 旅をして 気付くのだ
私を成長させてくれて ありがとう
まだまだ未熟な父親ですけど あなたの道標になれる親に努めます
2015ドバイ・アブダビ・オマーンの旅 仕合せ編
10日間の中東の旅は 常に 人との出会いによって成り立った
日本人に 殆ど会う事も無く 現地の人たちに 助けて貰いながらの旅になった
私達の訪れた街は 驚くほど みんな親切だった
私と長男は 多くの人の優しさに触れた 旅になった
10日間の中東の旅は 常に 人との出会いによって成り立った
日本人に 殆ど会う事も無く 現地の人たちに 助けて貰いながらの旅になった
私達の訪れた街は 驚くほど みんな親切だった
私と長男は 多くの人の優しさに触れた 旅になった
2015オマーン ニズワ編
子供達と世界の旅の2章で やっと 長男が参加してくれた
これで 私の子供達 4人と全員旅した事になる
長男は 二十歳を超えた大人に成っていたが 私はそれでも嬉しかった
いまさら 長男の幼少期 青年期と 私が長男に与えた苦痛を許してもらえるとは思っていない
しかし 代々続く 劣等感による ずれた感覚だけは 少しでもイイから 緩和させたいと 長男との旅を決行した
目的地は ISが 頻繁に猛威を振るう中東へ
だが 中東と言っても それなりに 安全を確認しての旅だった
そして オマーンでは 砂漠と荒野を抜け バスで Nizwa Fortへ行った
砂漠の街で 私は 人の命の尊さを知る
これで 私の子供達 4人と全員旅した事になる
長男は 二十歳を超えた大人に成っていたが 私はそれでも嬉しかった
いまさら 長男の幼少期 青年期と 私が長男に与えた苦痛を許してもらえるとは思っていない
しかし 代々続く 劣等感による ずれた感覚だけは 少しでもイイから 緩和させたいと 長男との旅を決行した
目的地は ISが 頻繁に猛威を振るう中東へ
だが 中東と言っても それなりに 安全を確認しての旅だった
そして オマーンでは 砂漠と荒野を抜け バスで Nizwa Fortへ行った
砂漠の街で 私は 人の命の尊さを知る
2014シンガポール マレーシアの旅
子供達と世界旅の 第一章を終えて
次男 次女は中学生に 長女は高校生に 幼い子供達の旅ではなくなった
それでも 子供達との旅を続けるべく 子供達と世界旅の 第二章が始まった
次男との東南アジアの旅でマレー半島の縦断が途中だったので シンガポールから クアラルンプールまで バスで移動した
片道10000円の航空チケットで 私達はシンガポールに降り立ち クアラルンプールを目指した
沢山の人に助けられ 親切に触れて 今回の旅も 無事に終えることが出来た
2013西ヨーロッパ横断の旅 仕合せ編
2006年自分を変える大きな出来事があった
自分が臆病で劣等感の強い幼稚な人間だと気付かされた
そして ある計画を立てる
その計画の最終目標に ヨーロッパを自力で極限までお金をかけずに横断出来たら
自分のゴールにしようと!
地下鉄にも乗った事が無い自分が 世界中の国を低予算で子供達と旅する計画
まず 最初に始めたのは 格安チケットを握りしめて ” 青春18切符で東京 日帰りの旅 ” からだった
そして2008年 LasVegasから ” 子供達と世界の旅 ”を スタートさせた!
5年後 2013年 西ヨーロッパ横断を低予算で実行!
子供達と旅をして 人間の奥深さに気付き この国の日本の素晴らしさを知る
そして自分の生きる目的を見つけた
それは 一生かけて ” 劣等感を克服する事 ”
その先にある自分を 私は見てみたい!
2013西ヨーロッパ横断の旅 ロンドン編
次男が小学6年生になって 私はヨーロッパへ行く事にしました
第一章の最後の旅です 最初の目的地はロンドン!
安い航空会社でのヨーロッパは 何かと時間と労力が掛かります
今回もセントレア空港で 搭乗後 機体トラブルで1時間半 缶詰状態
その後北京で2時間機内で待機!
次男は乗り物酔いでグッタリ そんな中 CAの方が親切に対応して下さり トランジット後は座席を真ん中の広い席に変えてもらって中東からロンドンへ向いました
そんなヨーロッパのスタートは 不安だらけ
でも 次男の笑顔を見るたびに 喜びが湧きあがる
私は少しずつ 父親とは何かを学んでいました
2012東南アジアの旅 帰国偏
1か月間 東南アジアを次男と旅した
いつの間にか 次男が たくましくなっていた
それでも 家族に会える喜びが 顔から滲み出ていた
それは 私も同じだった
2012カンボジアのBuntheouy村へ招待
カンボジアで Buntheouyと名乗る青年と出会った
彼と仲良くなって親子で友達になった
そんな彼が 私達を実家に招待してくれた
そして 私たちは 彼の村で親切に触れる
多分 もらうことで 誠意がなくなると考えたのだろう
私はBuntheouyに聞いてみた
『Buntheouy 本当にありがとう』
『私は カンボジアに 何か してあげられることは ありませんか?』
彼は答えた
「アナタガ カンボジアニ キテクレタコトガ モウ シテモラッテイマス」
彼は自分 個人の欲ではなくカンボジアの国の未来を背負っていたことを察した
私は彼との別れの時に そーっと分からない様に手紙にお礼をいれて渡した
彼らとは未だにFecebookで繋がっている
2012キリングフィールドと地雷博物館
カンボジアを旅していた時、負の歴史を目の前にした。
自転車に息子を乗せ荒れた道を駆け抜けた!
2012東南アジアの旅 仕合せ編
2011年の3月から4月初旬 東南アジアを巡る
沢山の人達と巡り逢った
そして”仕合せ”と言う言葉の意味を少しだけ知る
2012東南アジアの旅 ペナン島編 short ver.