これから書く記事は とっても贅沢な内容で御座いますし 愚痴もございます
読まれて 不愉快に感じるかもしれない事を ご了承くださいますようお願い致します
もし 読んでしまい気分を害されても 病んだ頭の悪い年寄りの 贅沢な失敗談ですので お許しください
読まれて 不愉快に感じるかもしれない事を ご了承くださいますようお願い致します
もし 読んでしまい気分を害されても 病んだ頭の悪い年寄りの 贅沢な失敗談ですので お許しください
それでは・・・・Part-3 ジューケンの優しさの中で大きな決断と 次男の言葉
薬の即効性は無く 鬱が 益々 酷くなって 生きている意味が分からなくなっていきました 毎日 生きていることが苦痛で もう 楽になりたい!と 思うようになってきます
とにかく 病院の先生に教えて頂いた 適応障害の原因でもある 我が家を どうするのか? そこに焦点を当てて 治さなければ 本気で 死が目の前に 迫ってきます
今は 薬に縋って 妻と一緒にいることで 命を守っている状態
そんな妻が 私に 言いました
「3階がリビングじゃダメなの?」
『えっ?』
「太陽が当たらなくても 3階は 少しは明るんじゃないの?」
『確かに 明るいけど それでも 壁が出来るかもしれないよ』
「でも 2階よりは良いでしょ?それに 子供部屋とか寝室は寝るだけだから 太陽は関係ないじゃないの?」
『そぉ だけど・・・ 完璧な家事動線を崩してまで やる意味がある? それと 洗濯とか お風呂の掃除とか これから 俺たち 老いていったら 家事がさらに大変なるよ』
「わかるけど このままだったら マー君(私)が 苦しむだけだから・・・・それに 私 初めから 3階のリビングが良いと思ってたし・・・・」
そういって 妻は 間取りの変更を頼んできました
この会話 この言葉が 私を 大きく変えていきます
2階3階変更のプラン

妻の助言で 私は 無謀なことを考えます
鉄骨の骨組みが建って ALC壁の下地が出来て 来月には 大工さんが入る段階で 大きな設計変更
普通は出来ないことです なぜなら すべての業者さんの段取りが 大幅に 変わってしまうから!
本当に 前代未聞なことを 私は 岡崎ジューケンさんへ お願いすることに・・・
お願いするのは良いのですが 2階と3階の間取りを変えるって 実際 ほぼほぼ 不可能なことなんですが とにかく 知恵を絞ります
その知恵は 今まで 何百通りのプランを練ってきて その中に 3階リビングのプランも作っていたので 3年ほど前から 間取り図面を引っ張り出してきて 鬱状態で 考えます
寝室 個室を2階に リビングを3階に!
間取りを作りながら 思い通りの家なんか もうできません とにかく 今は 太陽が当たるために パズルを組むように 配置を考えます
3日ほど 練りに練って とりあえずの間取りが出来ました
妻に 『ごめん 取り敢えずの間取りは出来たけど 多分 家事とか 大変になって 洗濯 衣類干し お風呂の掃除 店までのアクセス時間 ありとあらゆるものに 時間が かかっちゃうけど!』
妻は 「いいよ 今住んで居る家よりマシだから それに 今までより 早く起きて 家事すれば 良いだけだから 大丈夫だよ!3階のリビングで・・・」
この時点で 妻は 間違いなく 私に 気を使って 話しているのが よくわかりました
私は 妻に 『やってもらえるか 分からないけど ジューケンの社長に 聞いてみるね 』
妻は 「本当に ジューケンの社長さんには 迷惑かけちゃうね!」って
不安な気持ちで 2階3階の変更を その週の日曜日に ジューケンの社長様へ 電話を入れました
この状態で2か月間ストップ!社長に相談・・・

2階と3階の間取りを変更が出来るか ジューケンの社長に 聞くことにしました
社長は 私が 適応障害になったことを知っていて 普段より気を使ってくださっているのが分かりました
電話で 『ご相談があるんですが・・・』と言うと 日曜日にも関わらず ジューケンの社長は 直ぐに 現場へ 来てくださいました
多分 お休みの日だったとは思うのですが 直ぐに 駆けつけてくださいました
これだけで ジューケンの社長様の 誠実さや 営業を超えた 人としての魅力があります
私と社長で 現場の 2階ベランダに立ち これから 建つであろう南の家を想定して お話をしました
『社長 すみません お休みの所 お呼び出しをして・・・』
「いえいえ 良いですよ 調子が悪くなったの 監督から 聞いていますから・・」
『ほんとに すみません それで ご相談なんですけど 2階と3階の間取りを 変えることって 出来ますか?』
「本当は 出来ないんですけど お客さんが こんなに 体調崩されたんだったら やれないとは 言えませんですから・・・」
『業者さんにも ご迷惑をおかけしてしまって ほんとうに すみません』
「良いですよ そんなの気にされず とにかく 体調を 戻されてください」と
本当に 頭の下がる思いでした ただでさえ 安く値切って 儲けの少ない 建築工事なのに さらに 段取りを崩され 余分な仕事を 増やしてしまっているんですから
その後 私は 社長に 変更の追加金を おおよそで 聞いてみました
『社長 すみません 変更に当たっては 〇〇ぐらいは かかりますよねぇ』
〇〇ぐらいとは 大体 車1台分ぐらいの予算です
ご無理を 言っておきながら 私は 変更予算を聞きました 鬱状態でも ケチ臭さは 抜けませんでした
社長も「そうですね 〇〇ぐらいは かかりますねぇ」と
本当は お金の問題じゃなく ジューケンさんの段取りの問題なのに・・・・
『すみません 裏の方と 〇条工務店の担当者に どのような 家の建て方をするのか 確認したうえで 変更を お願いします 』
「わかりました こちらも 確認申請が 変更で済むのか 再提出になるのか 確認します もし 申請をし直すことに成ったら 設計を書き直すことになるので かなりかかりますけど・・・・」
こうして 前代未聞の 建っている途中の建築で 設計変更を 検討することになりました
予算も これ以上 借金が出来ませんので 次女の学資保険から 補填することになりました
お姉ちゃんの お古で成人式の次女
私が鬱の状態で 次女が成人式です
次女の 成人式の着物は お姉ちゃんの お古で 参加してくれました
私は もう 次女に 頭が上がりません
子供の頃から ずーっと お姉ちゃんのお古や 貰い物を着てきた次女 成人式は 新品の晴着を着せてやりたかった・・・
18年間 この子の為に貯めてきたお金 そのお金を・・・・・OTL~
借りたお金は 必ず 返しますからね・・・・
後日 裏の方とお話を・・・
鬱状態のなか とにかく 2階と3階の間取りを変えるのに 3階まで 壁が来ては 意味がないと思い 確実な情報を得るために 恥を忍んで 聞くことにしました
ちょうど 区画整理の進行中であった 裏の道を お散歩されていることを知り 私は 走って 裏の方の所へ行きました
『すみません 大変失礼かとは思いますが 〇〇さんのお家の建て方を 教えて頂いてもよろしいですか?ほんとうに すみません』
すると 裏の方は 嫌な顔をせずに 「良いですよ」と 私の家の裏手にある 裏の方の家に行って おおよその 家の作りを お話してくださいました
「うちは ここからここまで 2階になります だから お宅の家は12時から3時まで 日が当たらないです・・・」
日が当たらない・・・・心が折れた OTL~ でも これは 仕方ない 何にも言えない!
『すみません 〇〇さんの家は 片流れの屋根ですか?』と 手のひらで 屋根の形状をまねて 尋ねました
「そうです 斜めの屋根です」
『しつこい様ですみません 屋根の勾配は 急な傾斜ですか? なだらかな傾斜ですか?』
「うちの屋根は なだらかな傾斜の屋根です」
ほんの少し 光明が差した!
『じゃ 3階のベランダまで かからないですかね?』
「多分 良いと思いますよ」と
確認してよかった 実際は どうかわかりませんが ほんの少しだけ 3階の光が守られる可能性が出てきて 私は 少し 気が楽になりました
裏の方は 紳士的な対応を取ってくださいました
後日 私は 確実な情報を得るために 〇条工務店西尾の担当者へ連絡を取ることにしました そりゃ 前代未聞の 建築途中の骨組みが建った状態で設計を変更するんですから それも それなりの追加金を支払って・・・・
裏の方の建築工事が始まって 土地改良で 杭を作っていました その 杭の業者の方が 私の家もされた方で お話をすることに!
『すみません その節は ありがとう御座いました』
「あ~っ こちらこそ もう 建ったんですね」
『ハイ 建ったんですけど ちょっと 今されているお家が 余りにも 私の家に近くて このままだと 太陽が当たらない家になってしまうことで 鬱になっちゃったんです』
「え~っ それは 大変ですね でも たしかに・・・」
『それで今 2階と3階を設計変更するのに こちらの家の屋根の高さを知りたくて 〇条工務店の担当者に確認したいんですけど 連絡できますか?』
「良いですよ 電話かけてみますね」
そういって 仕事を止めて 業者さんは 私の前で 電話をしてくださいました
『本当にすみません このままだと お正月も ずーっと 鬱状態で・・・・ 少しでも話を聞いて 楽になりたいんです』
そして 電話をして下さって
「一応 話の内容と 電話番号は教えておきました でも かかってくるかは わかりません ごめんなさい・・・ 」
『いえいえ そんな 〇条工務店へ つなげて頂いただけでも ありがたいです』と
こうして 私は 〇条工務店の担当者からのお電話を待つことにしました
結果 〇条工務店西尾展示場の担当者からは 一切 電話がかかってくることは ありませんでした
ある意味 当然と言えば当然です
そりゃ 今後 ご近所トラブルが起きようが 隣に迷惑が掛かろうが メーカーは 知ったこっちゃありませんから
彼らは 家を売って 何ぼです! 建てた家に住む人の人生なんて どうでもいいんですからね!まっ 営業マンによりますけど・・・・
そうゆう意味では 私の建てる 岡崎ジューケンの社長様をはじめ 従業員の質の良さ 道徳心の高さは 比べ物にならないほど 大きいと言えます
その後 私は 人生の一番大事な このタイミングで 子供(次男)から 一番大切なことを 教えられます
杵築自動車学校の寮からLINE電話で・・・次男
次男へ 報告
大分県の自動車学校へ合宿中 仮免が受かったことを妻から聞いて 今回起きた 家の事を 謝ることにしました
何度も書きますが この家は 次男の新しい家族の為に作った家ですので 今後 この家で 生活を送る次男には 報告しなければと 鬱状態の中で お詫びをしまた
『本当に ごめん お前に 申し訳ないことをした 今 建てている家 失敗した・・・ 南側に 大きな家が建っことになって 1階と2階に 日が当たらない家になった ベランダの前も 壁になって 洗濯も干せない 本当に ごめんな・・・ お前が 喜ぶ家を建てたかったのに・・・』
次男は 私の話を LINEごしに 聞いていました
ところが 次男から 意外な言葉が!
「イイよ イイよ そんなの! 家なんか 住めればイイじゃん! 俺 思うんだけど 家ってさ ”どんな家に住むのか?”じゃなくて ”誰と住むのか?”が 大事だと思うんだよね・・・」
『・・・・・・・・』
「俺さ 前の家 細長くて 住みにくい家だったけど パパと かぁかと 兄弟姉妹4人で 住んでいて 子供の頃から 毎日 楽しかったんだよね!」
『えっ!』
「パパはさ~っ あんな おじいちゃんと子供の頃から暮らしていて ずーっと 嫌だったでしょ その点 俺は 6人の家族で暮らせて ほんと 幸せだったんだよね~っ だから 家なんて なんでも イイんだよ 別に そんなこと 気にしないからさ!」
次男は 私に こう言ってきました
私は LINEのモニターから外れて 次男に 分からないように 涙を流していました
次男の為に建てた家 私は 何にも 分かっていなかった
家で 最も大切なこと・・・・・
それは ”どんな家を建てるか!”じゃなくて ”どんな家族を作るか!”だった
鬱状態の中で ふぁ~っと 目が覚めました
19歳の次男に 私は また 救われたんです
次男が まだ小さな子供の頃から 私は この 前向きな考え方 家族への労り 思いやりに いつも 助けられてきました
次男の想いを聞いて 私は 決断します
前代未聞の 建設途中で 2階と3階の間取りを変更すると・・・・
心優しい岡崎ジューケンの社長!
次男の言葉を聞いて 私は 岡崎ジューケンの社長へ 2階と3階の間取りの変更をお願いしました
本来 絶対にやらない 建築工事を 岡崎ジューケンの社長は 何も言わず 承諾してくださいました
その後 社長様 自ら 変更の間取りのサンプルを作って下さり それを参考に おおよその間取りを 現場監督の鈴木君と 再度 打ち合わせをして 進めていくことになったんです
その間も 屋根の高さを 〇条工務店西尾の担当者へ お願いをしていたのですが 一向に 連絡はありません
設計変更で2か月・・・
設計変更を お願いして 家の方の工事は 完全に ストップ
岡崎ジューケンさんの下請業者様の 段取りを 狂わせてしまいました
この時点で ジューケンさんにも 今後の建築現場への 進行を 大きく狂わせることになります
本当に この建築会社の心の広さに 度肝を抜かれます
何度でも言います 普通 建築途中での設計変更はしませんから!
それと この間 私の方で 嬉しいニュースが入りまして・・・・
次男の就職先の合格が 伝えられました
ほんとに 子供に助けられます
そして 妻から 意外な言葉が・・・・・
(ちょっと 自分に酔った出来事・・・)
設計変更をお願いして 私は 妻へ 謝りました
『家の間取り 失敗しちゃって ごめんね・・・・ 借金も増えるけど 少しでも良くなるように 2階と3階 入れ替えたから ほんと ごめん・・・・ 』
何十年と 間取りに拘って 何百枚も プランを作り直して 書き上げたのに 自分の馬鹿さ加減に 本気で 申し訳ないと思っていました
しかし 妻は 私に こう返してきました
「本当に まぁくんだけが 悪いの?この街区で建った北側7軒で こんな風になったの うちだけだよ 他の6軒は みんな 南側の人達が配慮して問題ないのに 本当に まぁくんが間取りを失敗したの?北側の人達みんな 同じ配置で建てていて うちも同じなんだよ」
妻は 私を責めることなく かばってくれていました そして さらに 意外な言葉が出ました
「それに 北側の7軒の内 私達だけが 被せられて 1階2階と太陽が当たらないけど 〇〇さんの家の北側に 誰かが 建てないといけなかったんでしょ? だったら 他の人達が嫌な思いしなくて良かったじゃん! うち3階建てだし・・・・3階だけ 日が当たれば イイじゃん・・・」
と・・・ さらに 妻は 私をかばうように 言葉を続けてきました
そう この街区で 誰かが 貧乏くじを引かなくてはならない 誰かが この人達の北側に建てなければならない
その貧乏くじを 私は 引かされてしまいました それも 人生をかけた 最後の大勝負に・・・・・ 惨敗を喫したんです
その貧乏くじを 妻は 当たりくじだと言うのです・・・・
私は こんな妻だから 30年間 助けられたんだと あらためて 感じていました
そして 年が明けて 2月・・・・・
鬱が無くなった!
不安な気持ちで 外装が始まり 2階と3階の設計を変えてもらって この日を迎えました
2月 〇条工務店西尾から 一度も返事はなく 無視された状態で 南の方の建前が終了しました
もう 生きた心地はしませんでした
建ってみて 2階の窓には 大きな壁が出来てしまいましたが 3階は 太陽光は当たることが分かって 何とか 首の皮一枚 繋がりました
その後 岡崎ジューケンの社長様も 現場の状況を見て 一緒に 笑顔が 戻ってまいりました
こういうところ やっぱり 地元の建築会社の 良いところなんでしょう 本気で 親身になって 家を建ててもらえて 喜びを分かち合えるんですから・・・・
そして 南の方の家が3日で 全容が分かって 私の適応障害は 一瞬で 消えてなくなりました
人の感情・・・ 脳の構造・・・ 50年以上 生きてきて 何も分かっていませんでした
もちろん 鬱状態の中 妻をはじめ 4人の子供たちの 私に対しての言葉や言動が 鬱の緩和を促してくれたことは 大きな力でした
家族ってイイな・・・・ 妻ってイイな・・・ 愛ってイイな・・・
この後 私は 異常なまでに この家に執着して 岡崎ジューケンさへ 無理難題を吹っ掛け ご無理を言って 家を完成させます
それでは 鬱後の 岡崎ジューケンが 建っまでの工程を ご紹介していきます