多分 我がベル商店は 今年が 最後の飾りつけになるかもしれません
区画整理が進み 今年か来年には 取り壊しに なりそう
今日は 私の七夕飾りのお話を・・・・・・・・・
骨組みから製作
ここまでで2時間
10年ぶりの 製作!
完成させられるかどうか 分かりませんので とりあえず 1体目からの試し製作になります
失敗したら 止めます!
ちなみに 製作に取り掛かるまで 10日程 資料集めから 平面から立体へ 似させるべく 頭の中で形を 固めていきます
まっ どちらにしても クオリティーは 低いですがね!
私の七夕飾り HISTORY!
くだらない話しなので 興味の無い方は スルーして下さい
ちなみに 話の内容と 以下の ”製作風景” の お写真は関係ありません!
安城の七夕祭りの 飾りつけを始めた きっかけは・・・・
これは もう 40年前の話になります
日本も まだ 貧しい人も たくさんいた 時代
今の時代の様に 娯楽や情報なの それほど多くもなく 祭りは 地方の一大イベントだった
この安城七夕祭りも 華やかで 賑やかでした
私も 小学校に入ると 安城七夕祭りを 意識しはじめ 1年間で 一番楽しい時間になっていた 夏休みに 入っている事もありますが 子供心に ワクワクしてたなぁ
普段から 家族と言う物を 感じた事がないので 安城七夕祭りは 親戚のお姉ちゃんや 同年代の従兄弟や 叔父さん伯母さんに連れられて 祭りを見て 露店で 綿菓子 輪投げ 謝的 金魚すくい 亀すくい 玩具釣り 鯉釣りを するのが 本当に楽しみでした
その七夕祭りで 唯一つ 憂鬱だったのが 笹飾りだ!
我が家は 七夕飾りの通りになっていて 笹を飾っていたのですが 何しろ 賞を受けたことがない!
ココまで10時間
1体目の成形
この話は あくまでも 7・8歳の幼稚な子供の頃のお話ですので・・・・・・
昭和50年頃の 安城七夕祭りは 商売をしていなくても どこの お家でも 通りに面していれば 笹を飾っていました
ここ 狭い花ノ木通りも みんな お金を掛けて 立派な吹流しを 飾っていたんです
七夕の飾りには 賞があって 町内では無く 飾り全体で 市の大きな賞があり その賞を受けると 広報に載ったり 新聞の地方欄に載ったりします
この花ノ木通りで その大きな市の賞を受けていたのは ベル商店の4軒隣 ”大工のマッツァン”のお家 1軒だけでした
”大工のマッツァン”とは この街で 部屋の改築や 増築など 近所で何でも作ってくれる大工さんの事です
このベル商店の増築 改築 そして 今私たちが住んでいる家も 内装を作ってもらった とってもお世話になっていた大工さんです
その”マッツァン”が作る飾りは 華やかで美しく とっても素敵な 飾りでした それでも 市の賞では下の方 これは仕方なく 他の町の飾りの方が 大きく 立派だったので 花ノ木町以外の飾りが 上位を占めていました
そりゃ 街の人たちは 10mもある広い道路幅で 竹を3本重ねて 製作されている飾りばかりですからね
花ノ木通りは 道幅 4mほどで 大きな飾りは出来ません こじんまりとした 1本の笹で みんな飾っていました
安城市の 笹飾り審査とは別に 花ノ木町でも 何十本もの竹飾りが 飾られて 町内用の賞が 設けられていました
子供の頃 その賞が 欲しくて いつも 4日間ある七夕祭りの 初日に 町内会の法被を着た役員さんが 私の家(ベル商店)の笹飾りの前を通るたびに 賞の札をかけてくれないか 竹の前で 待っていたものでした
子供の頃 ベル商店に 賞がかけられる事は 一度も ありませんでしたが!
近くの 同級生の友達の家には 毎年 銅賞と書いた札が かけられていて いつか 俺も 銅賞を受賞するんだって 七夕の度に 考えていたな~
なんでしょうね? こういう気持ちって きっと 友人の家の銅賞が 羨ましかったんでしょう
40年経っても まだ そんな記憶が残るんですね
2体目に取り掛かる!
ココまで20時間
そして 私は 27歳で ベル商店に入りました
八百屋を継いで 一番最初に考えた事は 七夕飾りで賞を獲る事!
もちろん 花ノ木町の銅賞 受賞です!
当時 私が 親から貰う 給料は10万でしたので その中から 少しだけ 妻に 制作費として 5000円貰って 張りぼての製作に 取り掛かりました
経理を握る父親から 七夕の費用を頂く事は出来ませんでしたので 自腹です
そうなると 当然 廃材を利用して 製作するしかないわけです
で!何を作ったかと言いますと その頃 長男が3歳 子供が アニメで ドラゴンボールを見ていて 息子が喜ぶものを 選ぶことにしました
それは ドラゴンボールを 7つ集めて出てくる 神龍(シェンロン)です
←こんなやつ
まず 張りぼての作り方が 分からないので ただ新聞紙を丸めて芯にして その新聞の塊に針金を巻いて そこに新聞紙を障子紙用の糊で 貼って胴体を作り 顔は 紙粘土で整形しました
そんなもん 似ても似つかぬボコボコの シェンロンが 出来ましたよ
それを 竹にぶら下げて 笹飾りにしました
八百屋を継いで 初めての七夕飾りは 見るも無残に なんだこりゃOTL~の 笹飾りになりました
今思うと よく 恥ずかしげもなく あんなの飾ったなって思います
それでも ありがたい事に 花ノ木の町内会で 銅賞を頂きました
たぶん ご褒美の賞だと思いますが 今でも あの時 気を使っていただいた 花ノ木町の七夕役員さんには 感謝しています
そして その事で 気を良くしてしまい 次の年は アンパンマン と バイキンマンを 飛ばしました
2体目の下地完成
ココまで 28時間

張りぼての要領を得て 長男が 6歳なった七夕祭りで 私は 思考を変えて 笹飾りを竹ではなく 舞台にしてみたのです
店のテントの骨組みを利用して 建築現場で使用する金属パイプとベニヤ板で 台を作って そこで 今まで竹に ぶら下げていた人形を 台の上に 飾る事にしました
その頃 年に1度の家族旅行で行った 東京ディズニーランド10周年 “イッツ・マジカル”の衝撃が 忘れられず その時のショーを 再現してみました

← こんな感じの
大きなドラゴンと ファンタジアの格好をしたミッキーマウスを作りました
その頃 必死で 両親との家族を作りたくて 父と母に ある約束をしたのです
その約束とは・・・・・・・
”七夕飾りで もし 安城市の賞を 受ける事が出来たら 一緒にディズニーランドへ 行ってくれる?” でした
その約束を 両親も 承諾してくれました
私は 自分の貯金を降ろして 材料を買い 予算を抑えるため 建築現場で廃材を貰い 針金と新聞で ミッキーマウスを作り 竹の販売をしていた目の前の桜井屋の おじいちゃんから 竹を貰ってドラゴンを造り 以前 勤めていた建材屋から コンパネを貰って 大掛かりな舞台を作りました
市の賞を受けたい!と 言うより 両親と子供を連れて 両親を含めた家族みんなが 笑顔になれる 東京ディズニーランドへ 行きたいだけだった!
必死に作っていた 家族でディズニーランドへ行ける事を 夢見て・・・・・・・
結果はどうだったか?
完成した作品は 酷い出来でしたね
今でも 恥ずかしいぐらいの作品です
しかし なんと 一番下だったのですが 安城市の賞を 頂きました
たぶん 花ノ木の七夕委員の方達が 押して下さったんだと思います
依怙贔屓な 受賞になりましたが 賞を受けた事は とっても嬉しかった しかし それ以上に 両親を含めた温かい家族が出来る!って 馬鹿みたいに浮かれていました
あれから 18年 未だに両親は 約束を果たしてくれていません
どんなに お願いしても 旅費を私が持つと言っても 守られる事はありませんでした
今では そんな約束をした事すら 覚えていないでしょうけど!
よくよく考えれば それは 私の独りよがりだったように 思えます
家族とは こうあるべきだ!
親とは こうあるべきだ!
妻とは こうあるべきだ!
子供とは こうあるべきだ!
それは きっと 幻想であり 理想であり 目標だったんだなっ!
人とは 本来 我侭で 自分勝手で 自己中心的な者です
でも それで イイような気がします
自分自身も 思いどうりにならないのに 両親や 妻や 子供が 理想どうりに 思いどうりになるはずがない!
そんな簡単な事に 何十年も 気づけないでいました
七夕飾りを作り始めから 18年経って 思います
”人とは こうあるべきだ!”みたいな そんな立派な事 言わなくてもよかった
理想の親じゃなくても 誇れる子供じゃなくても
他人に迷惑をかける子供に育てば ただただ 私達 親が 額を磨り減らすほど 謝ればイイ!
家族の誰かが 他人に傷つけられたら 皆で 慰めあい受け入れればイイ!
劣等感を与えてくる親なら 距離を取ればイイ!
孫を苦しめる祖父なら 関わらなければイイ!
無理に 背伸びをして 我慢して 家族を作らなくてもイイ!
色んな形の家族があって
それが どんな家族であろうと
ただ 生きていてくれれば それでイイ!と 思う
私の両親も ずいぶん年をとった 子供達も 大人になった
妻も 私と同じく 年をとって お互い老けた!
でも みんな 生きていてくれている
それだけで ”ありがとう御座います!” だ
両親が長生きしてくれて 子供達が生まれてきてくれて もう それで充分 ”感謝に値する”
そんな風に やっと 思えるようになった
ベルさんクイズ?
ここまで 35時間!腰と背中に激痛 もう若くない!
安城七夕飾り2016年の飾りは なんでしょうか?
私の安城七夕祭り 笹飾り製作の目的は?
今 飾りを作っていて なんとか無事に完成でき 見て頂けたら とっても嬉しいのですが なぜか どうも 10年前のような テンションになれない!
制作意欲が 湧かないOTL~
年をとって 老いた事もありますが たぶん 子供達だと思う
これまでに 下手くそながら ミッキーマウス TOY STORY スパイダーマン ワンピース サザエさん 最後に製作した ちび丸子ちゃんと 何セットか作ってきた
製作した笹飾りに 悪口を言われる事もありました 「あんなのが 市の賞かよ!」とか 「キャラクーで作るのかよ!」とか 「ただの張りぼてじゃねーか!」とか 「人形が 何で七夕に関係あんだよ!」とか ets・・・・・
飾り以外にも 八百屋なので 七夕祭り中 店の前で 私の子供達(小さい頃)が ジュースや 焼トウモロコシを売ることで 妬まれる事もあった 「ベルさん 子供にジュース売らせて 儲けてんの!」とか 「子供が騒いで うるさいんだよ!」とか 「あそこ 焼トウモロコシ売ってるのに 許可取ってないよ!」とか 「自分とこだけ売って 他の所に売らせないんじゃない!」とか 心無い中傷を 少なからず受けていました
ちなみに 当時の子供たちのラムネ・ジュース売りは80円の仕入れで 100円内税の販売です
1本の利益は約15円です 氷代 電気代 ケースレンタル代 すべて含みません
100本売って1500円 500本売って7500円です 七夕で売れるジュースは 多くて400本ほどです
でも そんな事 どうでも良かった
子供達が 私の作る 張りぼて人形を 楽しみにしていて 家族6人で一緒に作って
みんな 張りぼての新聞貼りで ベトベトの 糊まみれになって ペンキを塗る時には ペンキまみれになって 車庫の作業では 蚊に刺されて 深夜遅くまで作っていた時は 眠い目をこすって
大変な思いをして製作していました
ただ 子供達が 私と妻との七夕祭りの思い出を 刻み込んでくれれば それだけで 作ったかいがあった やりがいもあった!
賞なんか要らない!って 言えば 嘘になります
でも そんなものより 子供達と 妻と 一緒に作った時間こそが 価値のある家族の時間だった そして 私の最大の賞であった
家族で頑張ったで賞!
2006年 ちびまる子ちゃん製作風景
2006年8月3日 5か月間の製作 七夕前日完成写真
今年2016年 子供達は もう 大人に成ってしまいました
子供達の笑顔 妻の笑顔 それだけが 楽しみで 製作していたのに・・・・・・
何を目的に 作ったらイイのか 分からなくなっていました
製作中に 愚痴をこぼしていると 妻に言われました こんな へたっぴな!恥ずかしいレベルの張りぼて人形を 妻は 「マー君が作る人形は よく似てるよ! マー君 天才!」って・・・・・・
本当に分かりやすい 嘘を言って 私を 煽ててくれるので 妻の優しさに 騙される事にしました
今年は 妻の為に 作っちゃおうかな~~~ いや 妻のために作ろう!
他人の評価なんて どうでもイイ! 大事なのは 妻からの評価だけ!
よ~し 後 4体 クオリティーの低い張りぼて人形を 作るぞ・・・・・・・・・
ベルさんクイズ! このヒントだけで 分かりますか?