次男の旅日記
次男に取って 初めての一人旅 初めて泊まるゲストハウス
何もかもが 初めて尽くしの一人旅
8月24日
2日目の今日は 原爆ドームへ 向かうことに したようだ
この旅で 一番の 目的にしていた広島の原爆ドーム
次男は 何を感じ取って行くのだろうか?
次男の旅の 足取りを 追ってみます
AKICAFE INN GUESTHOUSEを出る
このゲストハウスの良い所は JR広島駅に近い事もありますが 広電の猿猴橋町駅の 真ん前にあります
それに乗って次男は 原爆ドームへ向かいました
広電 車内の様子
広電(ひろでん)の愛称で親しまれている広島電鉄の路面電車は 100年以上も 広島市民の暮らしに沿って走り続けているそうです
その規模は 全国で 路面電車が走る 約20ヶ所ある街の中でも 一番だとか!
車両数 136編成 営業キロ35.1km(軌道16.1km・鉄道19km)
昭和40年代 私が生まれたころから 全国の路面電車は 渋滞の原因として 廃止されていきました
この広島の路面電車は 民間会社の為に 国の政策方針からは除外されたみたいで なおかつ 廃止された車両を 中古で購入し 経営状態を改善し 生き残ったみたいです
それと 何より 広島という 街の大きさが 路面電車の利便性を発揮し 市民の生活に密着していったんですね
私も 20年前に 長男と 広島へ行きましたが とっても綺麗な街だったなって 印象が残っています
原爆ドーム
原爆ドームの前身は 特産物の展示などを行なう広島県産業奨励館でした
チェコ人のヤン・レツルの設計によって1915年に竣工 噴水を備えた洋式庭園をもつレンガ造りの窓が多い3階建ての建物は当時の広島市民にとって非常に珍しく 川面に美しく映る姿とあいまって 広島の名所のひとつとして知られていました
そして1945年8月6日 一発の原子爆弾が投下され広島の街は一変します
爆心地から北西約160mという至近距離にあったこの建物は爆風と熱線を浴びて大破しました
広島平和記念資料館
広島平和記念資料館は 原子爆弾による被害の実相を世界中の人々に伝え ヒロシマの心である核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与することを目的に 1955年(昭和30年)に開館しました
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分 広島は世界で初めて原子爆弾による被害を受けました まちはほとんどが破壊され 多くの人々の生命が奪われました かろうじて生き残った人も 心と体に大きな痛手を受け 多くの被爆者が今なお苦しんでいます
平和記念資料館は 被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や資料を収集・展示するとともに 広島の被爆前後の歩みや核時代の状況などについて紹介しています
平和の泉
高さ1m、幅4mの大谷石の壁、その左端にある陶製のライオンの口から絶えることなく流れる水は、苦しみの中に与えられてはならない“水”を求めて、もだえた人々の思いをいつまでも伝え続けています
ライオンの口が 次男の肩で 隠れてしまっていますね
原爆の子の像
2歳の時被爆し 10年後に白血病を発病して亡くなった佐々木禎子さん
その死に衝撃を受けた同級生たちが 「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と 全国へ呼びかけ 全国3,100校余りの生徒と イギリスをはじめ世界9か国からの支援により 完成したのが 高さ9メートルのこのブロンズ像です
三脚のドーム型の台座の頂上に金色の折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち 左右には明るい未来と希望を象徴する少年少女の像があります
像の下におかれた石碑には 「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」という碑文が刻まれています
原爆死没者慰霊碑
原爆死没者慰霊碑(公式名は広島平和都市記念碑)は ここに眠る人々の霊を雨露から守りたいという気持ちから 埴輪(はにわ)の家型に設計されました
中央には原爆死没者名簿を納めた石棺が置かれており 石棺の正面には 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています
この碑文の趣旨は 原子爆弾の犠牲者は 単に一国一民族の犠牲者ではなく 人類全体の平和のいしずえとなって祀られており その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは 全世界の人々でなくてはならないというものです
次男 それなりに 自分で調べて 自分の力で 周っているみたいです
私も 20年前 ここへ来たとき 来てよかったって 思いました
ここ愛知県では 原爆を身近で感じることはありませんでしたから 広島へ行って 原爆に対する考え方が 大きく変わったことを 思い出していました
次男は どのように感じたかわかりませんが まずは ここへ 行ったことに意味があるように思います
広島城
広島城は 豊臣秀吉の五大老の一人として知られる毛利輝元が築いた典型的な平城です
江戸時代には 福島氏 次いで浅野氏が居城していました
次男 ちゃんと 観光もしていたんですね
広島護國神社
広島護國神社には
双鯉の像(そうりのぞう) 恋愛成就や夫婦円満
昇鯉の像(しょうりのぞう) 難関突破や目標達成にご利益
この 2つの鯉の像が 本殿の両脇に設置されています
次男は その像を なでなでしてきたみたいですね
広島城の別名は 鯉城(りじょう)と 言うそうです
プロ野球の広島カープの「カープ=鯉」も 鯉城から名づけられたとも 鯉が滝を登る出世魚であるところから名づけられたとも言われているみたいです
思春期の青年は 恋多きお年頃ですね
奥手な次男 神頼みか・・・・・・・
次男の恋愛事情は 秘密にしておきますね
広島の晩飯は・・・・・

18:00頃 LINEで 連絡を取ると 気づかれもあってか ゲストハウスで 休んでいた
晩飯食った?って 送ると
早めに食べた!と・・・・・
私の勝手で 広島風お好み焼食べろよ!と 要望する
18:30から 駅近くの 広島風お好み焼の有名店へ行くも 満席で 駄目だったらしく 駅ビルへ 行くことに!
次男が見つけた 飯屋!広島駅ビル ASSE(アッセ)にある おゝ井です
おゝ井の 広島風お好み焼き

しっかり 食べてきました
LINEで うまかったでぇ って この写真と 共に 送られてきました
その後 ゲストハウスへ戻り 明日の準備をしていました
8月25日 3日目のスタート
ドミトリーのベット
ここで次男は 2日間 寝ていたようです
今日は 9:00の列車で 大阪へ向かいます

このルートの 1時間後の列車に乗りました
広島から 大阪
337.8Km 5時間23分の移動 各駅停車の18切符で 4回の乗り換えです
姫路 途中下車
13:40
姫路で降りて 姫路城へ向かいました
姫路城
姫路駅から 徒歩 直進で15分ほどです
Osaka Guesthouse Hive(ハイブ)
15:40 大阪駅に到着して 駅近の宿屋を探しました
本日 宿泊する HIVEゲストハウスです
学生割引 10%で 2400円だそうです
HIVEの内部
荷物を置いて 大阪の街へ繰り出します
通天閣へ
大阪では 1泊の予定
次男に取っては 大阪は あまり興味が無いようで 数時間だけ 周る予定
大阪名物 たこ焼きを食べる
ソースが 垂れてるやん!
ゲストハウスへ戻る

列車の移動と 連日の疲れと 人混みの中の緊張で 早めに 戻ってきて シャワーを浴びて 早く寝たいようでした
部屋の様子

ドミトリールームは 2段ベット!
次男の使用するベッド
調子が悪そうなので 妻とLINE電話を19:00頃に してみました
すると次男は このベットに座っていた
iphone越しの次男は ちょっと疲れ気味だった
どうした 大丈夫か?と 聞くと
ドミトリーのせいか 聞こえない程の小声で 私達に応えてくれた
今日は ちょっと疲れちゃって・・・・・と
話の内容からも 大阪には あまり興味が無さそうでしたし 列車の移動も 辛そうに見えました
直ぐに 状況を判断して LINEの電話から メッセージへと切り替える
疲れ切った次男に 励ましのメッセージ
この息子の旅の写真を 私は自分のFacebookに UPしました
私のFacebookは 海外で知り合った人としか 友達になっていません
その友達になった殆どの人達が 次男がまだ小学生の時に知り合った人達です
その 私と旅をしてきた幼かった次男が 今 国内ですが 一人で旅をしています
その姿を見てもらいたかった為 写真をUPしました
すると ベネチアで お友達になった女性が メッセージを入れてくれました
そのメッセージは・・・・
高1でひとり旅なんて、たくましい男子なりましたね!
私は嬉しくて 直ぐにメッセージを返しました
今 大阪です 初めての一人旅ですが 話を聞くと 内容は薄そうです
家族では 罰ゲームって言われています
私としては 消極的な性格になってしまった次男に自信を付けてもらいたいと思ってさせました
次男から来るLINEのメッセージや 旅での食事 ゲストハウスでのコミニュケーション 小さな事では衣類の洗濯が出来ていない事など 次男のしている旅の内容が 薄くかんじてしまって それを メッセージで返信しました
実際 次男から 正直言って 辛いデェー!って LINEで 帰ってきていました
確かに 自分が どうしても行きたくてしている旅では無く 自分への挑戦!的な旅になっていますから
数時間後 さらに 彼女から メッセージを頂きました
内容なんて なくても大丈夫ですよ、ひとり旅なんて そんなものじゃないですか 高校生が一人で 何日も過ごすことがすごいですよ!
自信になると良いですね。熱中症には気を付けて〜
このメッセージを頂いて はっ!としてしまいました
ひとり旅なんて そんなものじゃないですか
私は この言葉で 原点に戻ることが出来ました
私の ”子供と世界の旅” も よく考えていたら 始めたころは 内容なんて ありませんでした
あのころ 知らない世界を見ることだけで 楽しくて! 行くこと そのものに 意味を見出していました
だから お金をかけずに ケチケチの旅でも 楽しかったんだと思う
ほんと 旅って そんなもんだったんだよなっ~~~
私は 直ぐに 彼女から貰ったメッセージをiphoneで 写真にとって 次男に 送りました
次男も それを読んで 勇気を もらったみたいでした
ありがとうございました 次男ともども 本当に感謝です
本日 次男からの最後のメッセージは ”明日京都へ向かう!” です
なにか 自信に満ちたメッセージが 返ってきました
最後の目的地 京都 ここでは 次男に 何が待っているのだろう?