2019年6月17日月曜日

29回目の結婚記念日 33年前に 行けなかった場所へ・・・

今日は29回目の結婚記念日






今年も無事に この日を迎える事が出来ました





今年の結婚記念日は 命の重さを実感しながら 早朝 ”今日も生きて起きる事が出来たと喜びながら目を覚ましました






起きて直ぐに 妻へ 『結婚記念日おめでとう!1年間ありがとう また よろしくね!』と 毎年恒例の 言葉を伝えました






妻も 「こちらこそ ありがとう また宜しくお願いします」と 毎年 同じ言葉を返してきました







ちょっと大げさな話なのですが 今や いつ あちらの世界へ お迎えが来るか分からない体になってしまいましたので 毎日 朝 起きるたびに 今日も生きてて良かったって 本気で 思いながら 目覚めています




なんか 心臓が 止まっちゃうみたいで・・・・



人って なかなか逝かないものですが でも 簡単に逝く時は 逝っちゃうみたいです





そんな体なので 妻は 毎日 私の体を気遣って 食事を考えて 作ってくれています









29年経って 妻の優しさを 毎日 感じております














そんな29回目の結婚記念日は・・・・・・














毎年恒例のレストランへ





















今年は月曜日なので 体のことも気遣って お昼過ぎの 昼食へ行く事になりました





午前中の仕事と 明日の準備を終えて 13:45に お店に到着






ラストオーダーが 14:00だったので ギリギリでした






1年に一度だけ行くレストラン 今年も やっぱり 妻は 少し お化粧を濃い目にして 嬉しそうにしています









”所得が増えて 自分達が豊かになっても 結婚当初の頃の気持ちを 忘れないために 年に1度 食べるレストランの食事”













待たずに座れました



















お昼も過ぎて 休憩間近なのに お店の中は ほぼ満席


奥のほうへ通されて ちゃんと 座れました



ほんと 何十年も 変わらず 人気店です












毎年 恒例のメニューを 店員さんに 注文をするのですが 今年は 少し変えました











妻が 私を気遣っての事なのですが もう メニューの変更だけで 内臓が劣化していることを実感しています














ハンバーグスパゲティとハンバーグ焼き














私が 沢山の野菜を食べられなくなってしまったので ナポリタンに変更です



それでいて ナポリタンの 3分の1は 妻に食べてもらいました







今年の食事をしながらのおしゃべりは これから建てるお店の話と 父親の嫌がらせの対処方を 話します



建築の方ですが ご近所になる 方々は もう 基礎工事も終えて 建て始めているのですが 我がベル商店は いまだ 設計に至っておりません


設計だけで 1ヶ月もかかるのに・・・・


細かい間取りの変更と 間取りの再確認の為 日々 奮闘しております




何度も 何度も 生活のシュミレーションをして 生活に破綻が無いかを確認しております



なにせ ずぼらな性格なので ただただ 普通の生活を普通に送れるような家を目指しております・・・・変わった事をしないお家をね










2人で一個のデザートです


















バラクリームソーダ 最高の贅沢で御座います



でも 今年は 何かおかしい・・・





妻が「ねぇ~ソーダーが 赤いよ!毎年 緑じゃん!」って



私も「本とだ 赤いな!」と




味は一緒なんでしょうが 色が違うと 雰囲気 変わるな~っ







二人でチマチマ食べる!
















なぜか これを食べると 結婚記念日なんだなって 思う!



今年から 子供達は 親の手から離れて 何にも 子育てすることが無くなっちゃって 自分達の時代の終焉を迎えているようです




妻が ぽろっと 「子育てって 人生の中で 一番輝いている時だったんだね」




妻の言葉の深さを感じて 私達にとっては 27年間の子育てが 一番 充実していたみたいです


育てている時は 早く 大人に成らないかな~って いつも思っていたけど 子供達が大きくなるたびに 成長 止まってくれないかな~って ありえない現実をてい願っていたような・・・・・





今年も 他愛も無い妻との会話に 充実感を感じております














そして 今年の 食後の映画は・・・・・













アラジンの実写版


























二人 一致で アラジンに決定です



18:00に 近くの映画館へ





入場すると ガラガラ 今回は 大会場での鑑賞で 周りに人が居ないので 気がねなく楽しむことができました







アラジンの実写版は 字幕で観させていただきましたが 大正解!





この映画 最高! 
ほんと 久しぶりの大ヒットで御座います





妻も 毎年 この6月の決まった日に観る映画としては 『すごく 良かったね!』って






Aladdin 2019予告







妻も 昔 観たアニメを思い出すように 鑑賞していました








この映画を鑑賞して 今年の結婚記念日は終了!





帰りがけに 『今年も観れて良かったね!来年も一緒に観ようね!』と 〆の言葉を伝えると




妻は 「また 1年 頑張りましょう」と・・・・・・



そして 続けて 「アラジンてさ あれを 思い出すよね~っ」・・・・って!



私も 『あ~~っ あれね!』・・・・・ と 24年前の事を 思い出していました







妻の言った ”あれ!”とは・・・・・ 









ここからは どうでもイイ 昔話と ちょっと前の 思い出話・・・・・









ここから先は 子供達へ送る BLIGです





















それは 1994年まで遡ります 





私 26歳の時で御座います






昔 アニメの”アラジン”が1992年に 映画で上映され 1993年にビデオ化され 日本で220万本を出荷し 歴代1位の作品になりました





当然 私も 長男の為に購入しているのですが ビデオなんで 観ては巻き戻しを何度も
繰り返して テープが伸びきったことを思い出します



今では ネット通信で観れる時代なんですからね




そんな大ヒットのアラジンが ディズニーランドのショーになったことで 連日 DLは大盛況




私達も 3歳の長男に そのショーを観せたくてディズニーランドへ 向いました







1994年10.23~24 アルバム





当時は デジカメなんていうものはありませんので フイルムカメラでの撮影です



ましてや ネットなんて 普及していませんでしたから 手作りのアルバムを作って 妻と子供達の思い出を 撮り貯めていました







上の写真は 私達3人の時の家族が 初めて 1泊で行くディズニーランドの旅行になります



それも 新幹線で! まっ そこには 理由があって その理由が 妻の言った”あれ”に繋がっていくのですが・・・








1994年10月23日




この日は のんびり出発で 在来線で豊橋駅まで行き そこから こだまで 東京まで 東京駅から京葉線で 舞浜下車



まだ 乗り換えの知識も無く 東京駅で あたふたした事を 思い出します




DLに着いたのは もう 14:00の アラジンショーが終わった後 次に行われる 夜のショーに備えて 私達は場所取りして アトラクションには 何にも乗れませんでした



まだ ディズニーランド初心者だったし 要領がつかめなかったんですね











Aladdin's Great Adventure



















1994年4月29日から11月14日までの200日間 


スペシャルイベント アラジンの大冒険


3時間待ったかいがありました 



小さな長男が この時間まで 眠らないように お昼寝させたり 機嫌をとったりと 四苦八苦しながらのショーの鑑賞でした







そして 初めて泊まる オフィシャルホテルへ





シェラトングランデトーキョーベイホテル&タワーズ
初めて泊まるディズニーランドのホテルは もう 魔法の国そのものでした

この日 私が 子供の頃から憧れていた夢が現実になります


ほんと 単純な夢・・・ 自分の家族で 1泊旅行をすること!





本当は 当時 唯一のDLホテルであったサンルートプラザ東京が 夢だったのですが・・・ 


この頃になると  シェラトングランデトーキョーベイホテル&タワーズ⇒ 東京ベイヒルトン⇒ 第一ホテル東京ベイ(現ホテルオークラ東京ベイ)⇒ 東京ベイホテル東急(現東京ベイ舞浜ホテル)と 2年遅れで 次々と サンルートプラザ東京より 大きなホテルが建ち並んでいきます




結果 新しさに目がくらみ 私達の初めてのDLのホテルは シェラトングランデトーキョーベイホテル&タワーズに なったんです




その後 ミラコスタやアンバサダーなど 何度も ディズニーリゾートのホテルは泊まるも サンルートプラザ東京だけは 泊まることはありませんでした


そりゃ 一番 古くて貧素なHotelに 見えていたから・・・・泊まる価値のないHOTEL!



昔は あれだけ泊まりたかったHotelなのに 勝手ナもんです・・・OTL~













2日目のディズニーランドへ








1994年10月24日






宝の洞窟のオブジェ





































ホテルで朝食を食べて ゆっくりチェックアウト





ディズニーランドへ 再び入園すると 見たことも無い程の おびただしい人の波が・・・



やっぱり ディズニーランドは 凄い!そして アラジン人気も 凄い!







長男を宝の洞窟の中へ






































映画でも インパクトのある宝の洞窟が かなりの大きさで 置かれていました



この頃の アラジン人気がよく分かりますね



長男をその口の中に入れて 遊ばせました




大人の私でも かなりの衝撃だったんですから 小さな子供の長男にとっては 本物そのものだったでしょう







満面の笑みで・・・長男!






























最高の写真が撮れました



当時のネガフイルム写真は 撮った瞬間を確認する事が出来ませんので 現像して 写真を見て 初めて BESTショットが わかります





この写真を手にした時 嬉しかったんですよね




多分 こういう写真って 親ぐらいなもんです ずーっと見ていて 飽きないのは・・・













アラジンの大冒険(昼の部)



2日目のディズニーランドは 何も 乗ってません


当時は 抽選なんてものはありませんので 順番待ちをすることになります

14:00頃のショーで 10時には 並び始める人たちが 前列を奪い合います


私も ディズニー初心者ですから 攣られて場所取りをしました

4時間もあるのにです・・・・OTL


ココまでくると 親の意地とでもいいましょうか とにかく 長男に 一番良い席で 観せてやりたいと・・・・頑張っちゃうんですよ!


そりゃ 子供の笑顔が見たくて ディズニーへ行っているんですからね




まっ!それが 何年か後に 悪魔の住むディズニーへ 我が家は変わるんですけど!











無事にアラジンの大冒険を鑑賞!
前列の良い場所で 長男を観せる事が出来ました



多分 長男の記憶には残ってないでしょうが こんなの 親の満足だけですから









このショーの後は 帰るだけです




そう 私達は 新幹線で来てるので まだ 明るいうちに 東京駅へ 向わなければなりません



ほんと 今と違って タイミングの悪いツアー旅行があったんです




じゃ なぜ こんな 新幹線のDLツアーにしたのか?



それが 本日 結婚記念日で出た 妻の 一言!





「アラジンてさ あれを 思い出すよね~っ」・・・・









妻 妊娠5ヶ月 長女身ごもる!





































この頃 妻は 
お腹に5ヶ月の長女を 身ごもっていたんです



やっと出来た 二人目だったんです



以前も書きましたが 私達不妊症で 二人目も なかなか授からず 長男が生まれてから4年が経って ようやくできた子供だったんです




だから 大事をとって 無理の無いように 新幹線の1泊にしたのですが その結果が 散々足るものだったんです



ディズニーのショーを 舐めていました・・・・OTL~





それでも 妻と長男に アラジンの大冒険を目の前で見せてやれて 私は 大満足!




だから ”アラジン”という言葉を聞くと 私達は どうしても この 妻の妊娠中に行ったディズニーランドを 思い出してしまうんです









あの アラジンのショーを見てから もう24年が 経ちました



時代は 実写映画のアラジンを放映しています










そして 今年 ちょっと早い結婚記念日の行事でしたが 私達は 33年前に 行けなかったHOTELへ 思いを果たしに 向ったのです・・・・・















33年前の想いを果たしに サンルートプラザ東京へ



 宿泊費は 土日で 一人8300円 フロンティアルーム8階


33年前 私達は 夜間高校で 出会いました



その時に 完成した ディズニーランドで最初のHOTELです



1986年に開業



私 18歳 妻 15歳



友人から 「ディズニーランドは凄いよ!でも HOTELに泊まったら もっと凄いよ!」って 言われて その日から 私の憧れのHOTELでした



あの時の 想いを連れて 33年後のサンルートプラザ東京HOTELで御座います







HOTELロビー入り口




















妻と入ってビックリ 改装をされているかもしれませんが とっても綺麗で 33年前に建てられたHOTELには見えません



二人で 『「33年前に来てたら きっと 人生 変わっていたかもねぇ~」』って




今でも 思うなぁ~ 


あの頃 夜間高校の給食の残りのパンを大量に持ち帰って 朝食にして生活費をケチっていた事を・・・・




今の私たちは ほんの少し豊かになって 馬鹿夫婦ながら 二人でやってきて 本当に良かったとおもう















フロンティアルーム廊下


チェックインを済ませ 部屋へ向います


私達が宿泊する部屋は ウェストサイドの7~8階がフロンティアルームで御座います


当日予約の特典で むちゃくちゃ宿泊費が安くなっていて 全部屋の最安値ルームです






3826の部屋へ


3棟8階26号室と言った所でしょうか?


恒例なので 一応 部屋番を写しました






フロンティアルーム
アメリカ開拓時代の最前線地域のイメージです


33年前と違って ディズニーリゾートぽく 全改装されているようですが 入ってみて やっぱり 他のHOTELとは 一線を画しますね




この部屋にいるだけで ディズニーランドへ 行った気分になれます






若い頃 妻も私も それ程 二人だけの時間があったわけでもなく 四人の子供の子育てが 直ぐ始まって 27年間も ぼわれてましたからね


ここに来て 老いた体で 昔を取り戻しています





朝 目が覚めると・・・・・









オーシャンビュー
カーテンを開けると ビックリ!


荒川の河口から お台場 品川の高層ビルが 一望!


こりゃ 凄いわ!



この景色 何時間でも 見てられるわ!




妻と二人で しばし 河口と その先に見える東京のビル群を 眺めていました




小さな幸せですけど こんな事が 私達にとって 最高の喜びです





あっ!そうそう 安く宿泊する為に 朝食のバッフェは 入っていませんので・・・











33年間の想いを遂げた サンルートプラザ東京




















9:00 

チェックアウトの際 私は フロントの女性に 話しかけました



『お世話になりました! どうでもイイお話なんですけど 33年前の 憧れだったこのホテルに宿泊出来て やっと想いを遂げられました 一番古いHOTELですけど とっても良いHOTELです 本当に ありがとう御座いました』と






上の写真は 中庭から駐車場へ向かう所です



33年前では この古びた中庭も 魔法の国の延長だったのでしょう


当時 バブルに浮かれた日本も 今では 所得格差が大きくは成ったものの 世界規模で見れば 総人口の富裕率は 世界最高の国になっています 


ディズニーリゾートも 高級なホテルが 立ち並んでいます


そんな中で 一番古いオフィシャルホテルでも 充分すぎるほど 高級感を二人で味わうことが出来ました



当時 18歳と15歳の私達の 憧れのホテルは 33年後も 健在です





サンルートプラザ東京ホテル ありがとう!



あの頃の夢が 叶いました・・・・・耐えてきて 良かったな~っ






 









老夫婦が 奇跡の一枚を 子供達へ



















気持ちの悪い写真ですみません!


部屋で最後の写真を撮りました



見て びっくり!グレーのシャツ 黒いパンツ 無意識のペアールック・・・



そして 形が ♡マークじゃん!




この写真を4人の子供達へ送ります 29年間培った 夫婦の愛の形です








大人に成った4人の子供達へ



子育てが終わって 分かった事・・・






あなたたちが 今まで 私を見てきて 家族を作ることが 辛い事だと 感じてしまっていないだろうか? そして 子供を育てる事が 苦しそうに 見えてしまっていないだろうか?





私が 父親になることで あなたたちに 沢山の嫌なものを 見せてきてしまいました






あなたたちの前で 声をあらげて泣いたこともありました



綺麗ごとの道徳を学んで 親孝行をすれば 家族が良くなると言われ 嫌がらせをする おじいちゃんに土下座を強要され あなたたちの前で 土下座をしたこともありました




お婆ちゃんの 私達への悪口で 近所の人から 村八分的な扱いをされた事もありました





そんな 惨めな行動を沢山してきた 私を見て 家族を作ることが苦痛に見えて これからするであろう子育てに 不安や自信を無くすようなことになったなら あなたたちに伝えたい





51年間 生きてきたが あなたたち4人と出会えて 一瞬でも一緒に過ごすことが出来たなら どんなに苦痛を味わおうとも どれだけ涙を流そうと 私には その価値はあった!











上の写真を よーく見て・・・・



あなたたちにも こんな人生を送ってほしいな








年甲斐にも無く妻と惚気ける 父より