2019年11月25日月曜日

Project ”B”失敗で適応障害(鬱)を発症! (私は弱かった・・・) Part-1





この度 自分を過大評価して Project”B”を 失敗しました 


しかしながら 建築工事をして下さった 岡崎ジューケンさんを選んだことだけは 正しかった事を 先に 記しておきます




大変 お恥ずかしい お話なのですが 昨年の11月に 建築中のベル商店が 私のミスで 大きな失敗をしたことが分かり 適応障害(鬱)を発症してしまいました 




その日から 2か月間ほど 鬱状態が 続いておりまして・・・




まさか 50を過ぎて 自分が 経験するとは思いませんでしたが これは いつ どんな形で 誰が成っても おかしくはない ものだと 理解できました





さらに わかったことは 鬱は【心の病気】ではなく 【脳の怪我(病気)】だったこと!




そして この怪我を治さないと 鬱病になってしまうこと!




私は 薬と家族によって 2か月ほどで 最悪の状態から ほんの少し 和らぎ 感情は 戻ってまいりましたが 症状は いまだに続いております








今回 過信した自分の失敗談 恥話として 経験を記載したいと思います





但し 発症の原因の大きさは 人それぞれです 私の場合 こんなんで なるの?と思われる内容で 読まれて不愉快になるかも知れませんので 読むか読まないかは 自己責任で お願い致します












まず BLOGを再開するにあたって




私が適応障害を起こしてしまったことで 建築工事が1か月もストップしてしまい 住建の社長様 監督 工事業者の方々には 大変ご迷惑をおかけして 申し訳ありませんでした


そして 完成の延期で 区画整備課の担当者様 今住んでいる土地に 建てられるご家族の方に 移転が1か月も伸びてしまい 申し訳御座いませんでした



このBLOGをお借りして 心より お詫び申し上げます




また BLOGを閉鎖したことで 多くの方々に 声をかけられ ご心配をお掛けしてしまい すみませんでした















これから書く記事は とっても贅沢な内容で御座いますし 愚痴もございます 

読まれて 不愉快に感じるかもしれない事を ご了承くださいますようお願い致します




もし 読んでしまい気分を害されても 病んだ頭の悪い年寄りの 贅沢な失敗談ですので お許しください





















それでは・・・・・PART-1 鬱だと気づくまで!











まず 前提として

区画整理事業で ベル商店の移転に伴う 店舗併用住宅の建て替えは 
次男との同居用の住宅で御座います



今後 私達が さらに老いて 八百屋を廃業したら 次男の作る新しい家族に この家を渡すつもりでいました



その為に 生活を切り詰めて30年間少しずつ貯めた老後用の貯金と 父に持っていかれた区画整理の残りの補償金と 銀行からの借金で 無理をして 60年住める 劣化の少ない 耐久性のある家 さらに 北向きなので 少しでも太陽が当たるように鉄骨の家を建てることにしたのです






そんな 全てを注いだ住宅を 私は 失敗しました





これは 区画整理事業による北向き住宅の弊害と 人のモラルを見誤ったことによるものでした・・・














11月25日 次男が合宿へ


この日 次男は 18日後の就職試験の合格発表を控えて 県外へ 自動車 自動二輪の免許を取りに セントレアから 大分空港へ 向かいました




杵築自動車学校

















3週間の運転免許合宿です





出発の前日 次男は 私と妻の3人で 建築途中の現場へ行きました 



翌週には サッシ ALC外壁と これからの工事は 一気に進みますから・・・



次男は 合宿から戻るまでの3週間 これから出来る部屋を想像し 3階のベランダからの景色を見て 新しい家を楽しみにしている様でした



考えに考え抜いた 住みやすい家を 私に建ててもらえると 全幅の信頼を寄せていたから! 




そんな喜ぶ次男を見て 私は その信頼に応えるように 最高の喜びで一杯でした






十年以上かけて 家を学び 妻が楽になる家事動線を考え 2世帯住宅にも備え 考え抜いた北向きの店舗併用の間取り! そして 60年以上維持できる丈夫な家を 厳しい建築の予算で建ててくれる ジューケンさんを見つけ・・・ 



ここまでは 全てが 完璧でした







あとは 私達の南の代替え地に建てられる住宅で ピースが埋まります








その 南側の方のお話では ”2階建てを建てます・・・ 小さなお家ですが・・・”と 聞いていましたし 広さも 私達の倍以上ある広い敷地であることから 最悪を想定しても ある程度 太陽が当たるように計画を立てました


それに 区画整理に詳しい ご近所の親戚の方とも 「○○さんの所だったら 家族構成を考えても 大きな家 建てないって!」 と 言っていたので




それでも 念には念を入れて 確実に2階からは 太陽の光が当たるようにと 無理な予算でも 鉄骨住宅にしました



この鉄骨住宅は 木造住宅よりも 梁が大きいため 高さが高くなるんです だから 南の方が 2階建てを建てられても 屋根の上から2階には太陽が当たるんです






そんな状態で 私は なんの疑いもなく 最高の家をジューケンさんに建てて頂き 今後 家事が楽になる妻と 新しい家庭を築く次男に 恩返しが出来ると 最高の幸せを感じ 明るい未来を見ていました





それが・・・・







ぜーんぶ水の泡・・・・



















3年間ジューケンさんと 予算も含め 練りに練った 完璧な間取り図面が 紙くずになりました・・・・・





次男が 大分へ行った 翌日 何故か 南の方が 私達の家の前を歩いていました 私と妻は 今後 ご近所さんになりますので お互いの工事の事と 簡単に ご挨拶をすることにしました



ただ なぜ 新しい道路工事が進み 古い 私達の家の為だけに残っている道路を歩いていたのかが不思議でしたが・・・




私は 簡単なご挨拶を!




『先日 聞いたんですけど 〇条工務店さんで 建てられるんですね 確か あそこ 全室床暖房で トリプルサッシですよね?』と お話すると





「そうなんです 床暖は 冬 温かいから 決めたんです・・・ 」と 




まぁ ありきたりな会話で・・・・




後は お互いに 工事が 重なりますから 宜しくお願いします・・・と!




その時は 何の疑いもなく 広い敷地に小さなお家を建てられると思っていたから・・・




今思うと なぜ このタイミングで 殆ど 区画整理で陸の孤島となっている私の家の前(ベル商店と他1軒だけの専用道路)を通ったのか 分かります












そんな 不思議なタイミングで 南の方と話した次の日です











私は 建前から 毎日 現場の状況を撮影して こちらのBLOGに ジューケンさんの建てる工程を記事に書きためていました その日も 日課のように 夕方 現場へ 





何時ものように 現場の写真を撮って 帰り際に 最後のピースである これから建つ南の家の状況を 安全ネット越しに見ると 地縄張りがしてありました



地縄張りとは

建築予定を張って 建物の外周と 内部のおもな部屋予定スペースの中心線上にやビニールひもを張り 建物の位置を地面に表すものです







その 地縄張りを見て 血の気が引いてしまったんです









あれ?なんだ? 聞いていたのと ぜんぜん違うぞ!



北側 敷地(私達の南面の地境)いっぱい! 家も 地境に沿って 目測で15mは ある これじゃ 私達の家の 2階南ベランダが 壁で塞がれてしまう・・・・それも 殆ど!







私の 最悪の状況が 現実のものになってしまった事に この時 初めて 気づいたのです 







でも これは 想定内 区画整理の地区は 商業地区の為 日照権が有りません だから 北いっぱいの2階建でも 最悪を想定して 鉄骨で 建ててるんですから 





2階なら そこの屋根の上からは ベランダに 光が 差し込みます・・・・他の家で検証済み 









でも 何か 違和感が・・・・・・・・なにか 引っかかる・・・・ 








その日の夜 お風呂に浸かりながら その違和感を 考えていました











漠然とした気持ちで 風呂から上がり 体を拭いて パジャマに着替えて ふと 思い出す・・・・ 〇条工務店・・・床暖房・・・・太陽光発電・・・・ あれ?



うぅん???







ここで 初めて 事の重大さが分かる・・・・ 片流れの屋根?






片流れは 前から見れば 2階建てですが 後ろから見ると 3階建てと同じです 当然 北側の家には 太陽が当たりません 




要は 太陽を独り占めの屋根です




普通では 有ってはならない建て方でも ここ商業地区では 南の方は やりたい放題です!


このことに 気付いたこの瞬間 今でも はっきりと 覚えてる・・・・






ここから 鬱を発症します(この時は これが鬱だとはわかりませんでしたが・・・)











頭の中で 片流れと言う ワードが出ると 目の前に ベランダからの景色の映像が流れるように 建ってもいない家が 立体になって現れます





『・・・・・・・・・・・・・・・・・・』







『あっ!これ 建てちゃ いかん家じゃん!』と 








誰も居ない脱衣場で 私は 無意識に声を発しました




その瞬間 体に異変が・・・






まず 意識が飛んだように真っ白になって 顔が熱くなる



それと同時に 耳から心臓の鼓動がはっきり聞こえ 動悸が激しくなる



手のひらが 熱くなって 
足の裏が 熱くなって 震えだす




その後 体全体が 火照り始めました





そのうち 吐き気をもよおし  嘔吐!






自分の体が なんか おかしい でも そんなことより 建ててはいけない家を 建ててしまった事に 大きなショックと 動揺が隠せない






この家の為に費やしてきたジューケンさんとの時間 今まで苦労させてきた妻が楽になる家事動線 個室が無かった次男と次女が初めての個室になると喜んでいた顔 そして 私自身が子供の頃 惨めで悲惨だった家に対する思い出の脱却と・・・ 





夢見ていた事が 走馬灯のように 頭を駆け巡ったあと  そのすべてを 失ってしまう恐怖が 圧し掛かってしまいました









とにかく このことを 妻に知らせなければと! 2階のダイニングテーブルでくつろいでいる妻に・・・・




『ごめん! 俺 建てちゃいけない家 建てちゃった・・・』




妻は キョトン!


「・・・・・・・・・」




妻にしたら なんのことだか 知る由もなく ただ 私の話を意味も分からず聞くだけでした


(後から聞くと 私の目の焦点が定まっておらず 話の内容より 私の様子が おかしいと 思ったそうです)






一方的に話した後は 明日の仕事のことも考えて 就寝することに・・・・











しかし これが 鬱のスタートでした








動悸が激しくても 眠気は来るもので 深夜0:00に 眠りに落ちます




ところが なぜか 直ぐに目が覚める 気づくと 汗で 肌着がビタビタ そして 時計を見ると 1:00・・・




1時間しか寝れていない 濡れた肌着を変えて 再びベットに入るも 眠れない 頭の中は 失敗した家がどうなるのか? 建てている家に住むことの弊害が 次々と浮かんできて 眠れない!!






何度も何度も 最悪な状況を考えていると しだいに夜が明けて 結局 その1時間しか眠れていない



なのに ベッドから 起き上がるも 眠気はない!


次に 朝食を食べるが 味がしない!


朝のニュースを見ても 入ってこない!



何だろう?感情が湧かない!!!喜怒哀楽がない!!!






あの瞬間から 動悸は激しく続いている 鼓膜にも 途切れることなく心臓の音が伝わっている 



確認するかのように 時々 手の脈を計るが 大きく打っているのが分かる




お腹のあたりも 何故か 冷たい ずーっと ジェットコースターの下りの時の様な感覚がある




何とも言えない 大きな不安・・・・




その後 仕入れの為に 市場に行くが 次は 何故か 人と話すのが怖くて セリに 参加できない 注文した野菜と果物だけを車に乗せて帰った




続けて 午前中の配達に行くも お得意様と 普段通りの 会話が出来ない!




お昼になっても お腹が空かない!でも 妻が作る昼食を 味がしないまま 無理して飲み込む・・・



妻との会話も 事あるごとに 『ごめんね!』『ごめんね!』と 意味もなく 謝っている・・・





次の日も 寝たかと思うと 悪夢で目が覚めた 



体中が 汗で濡れている やはり 時計を見ると1時間ほどしか寝てない 一旦目が覚めると もう寝れない 



考え事をしているうちに 夜が明ける



これが 数日続きました

3日目も 4日目も・・・・ 




眠れない! お腹が空かない! 人と喋れない!






1時間のジョギング・・・・













酷い顔です 変な写真ですみません OTL~


寝れないので 体を さらに 疲れさせるために ジョギングをしました



この写真は 妻に心配かけないために 携帯で撮影して 生きていることを伝えるためにLINEで 送ったものです



結果として ジョギングは 意味なかったです 





体をいじめても お腹は空かないし 眠れませんでした








建築工事の方は・・・・






こんな状態でも Project ”B”(建築)は 待ったなしで進んでいます・・・
最悪の精神状態でも 建築の打ち合わせを 監督とするのですが やはり 頭が回らない


今 建てている家が もう どうでもよくなって 打ち合わせにならない!



というより 目の前にある 自分の家を直視できない!






とにかく 建てている家が 怖くてしかたない 人が怖くてしかたない 近所の人とも話せない 南の方を見ると 動悸がさらに激しくなっていく・・・






あんなに 毎日が楽しくて 現場を見ていたのに 今は 見ることすら出来ない 近所の方とも建築の話をするのが 楽しくて話していたのに 挨拶することもできない・・・




ありとあらゆる 他の建築現場を見ても 怖くて 頭がおかしくなってくる




今 考えると 完全に 鬱状態だった!





5日目の夜 妻に話をした




『今 建ててる家 解体しようと思うんだけど!』




「えっ!」




『このまま建てても 次男に 負の遺産を残すだけだから・・・』





「壊して どうするの・・・」

  



『更地にして どこかに倉庫を借りて そこで八百屋をやって アパートに住もうと思うんだけど・・・』



「イイの?」




『これまで かかった建築費(ほぼ全額)を ジューケンさんに払って 終わらせて ここの解体費は 今の状態なら 杭を抜いてもらって300以下で できるらしいら・・・ 』





「太陽が当たらないだけで そこまで考えるの・・・・」









私は んな 話をするぐらい 追い詰められていました 実際に 解体やさんに電話をして 解体費を確認しているので この時は 本気で考えていたのでしょう




もう 完全に 病んでいます







そして 私は 妻に




『本当に ごめんね 南の方の話を真面に受けて 間取りを失敗しちゃって・・・』



これも 今思えば ”小さい家です”って 謙遜して言われたんだと思いまし 多分 そんなこと言った記憶も ないかもしれません これも ある意味 私自身が 真面に信じて 自分の都合の良い様に 受け取りたかっただけです





すると妻は



「本当に まぁ君だけが 悪いの・・・・」と 目に涙を溜めて 泣き出してしまいました




妻は 家が建たないことで泣いたのではなく 私の苦しんでいる姿を見て 泣いていました










私は 妻の涙を見て やっと 自分が だと 認識したのです




そして 妻に




『明日 病院へ 行ってくるよ・・・・』と やっと 自覚できました





覚悟を決めた日 鏡で 自分の顔を見ると 頬はこけて 目には隈が出来て 体重は 5日で5Kgも落ちて 生気が有りませんでした






私は弱かった・・・・



次の日 恥も外聞もかなぐり捨てて 私は 病院へ向かいます・・・・・









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