2015年12月8日火曜日

今日はJohn Lennonの命日 愛とは・・・・・・ in NewYork


本日 12月8日は John Lennonの 命日です



知らない人には 何?って 思われる日ですが 私にとっては 考えさせられる日でも有ります




中学生時代 Beatles を聞いていた 高校に進学後 1年ちょっとで 中退した 


中退後は JohnLennonを聞くようになっていた!


挫折感 絶望感 言い訳がましい夢への未練

そして 友人の見下し 親の失望


幼稚な頭では ただただ 惨めな想いしかなかった

 

自分の挫折感から 逃れる為に 人とは!愛とは!家族とは!意味の無いことを 考える様に なっていた

だから 世間知らずの幼稚な頭には John Lennonの曲が 救いだった
 


特に 名曲とも言われる【Imagine】は 毎日の様に ピアノで弾き語っていた


この曲を歌うと なぜか 荒れた心も 穏やかになっていった様な気がしていたな~



そう言う意味では 私の心の恩人でもあります







そして 今日 次男が 学校から帰ると・・・ 



「ねっ~ 知ってる?今日 ジョンレノンの命日だよ!」 そう言ってきた



ちょっと 意外だった 


意外過ぎて 聞いてしまった


『どうした? なんで お前が知っているの?』



次男は 照れくさそうに答えた


「今日さ~ 英語の授業で 先生が言ってたからさ~」



私は 直ぐに 次男とNYへ 行った事を 思い出していた


『お前さ~John Lennonが 撃たれた所に 行ったの覚えてる?』



「うん!覚えてるよ!」・・・・でも 顔がそう言ってない!



多分 覚えてないな・・・・こいつ!



無理も無いか まだ 当時10歳の子供に John Lennonって言ったってね~




”次男よ あなたは ちゃんと 私と そこへ 行ったんだよ!”





このBLOGも もうじき200回の投稿になります




よく続いていると 自分でも思うわ!




200回投稿記念で New Yorkの出来事を 書こうかな・・・・





このBLOGを 私は ” 私が この世から居なくなった時 ” 
子供達が これを読んで 自分達の人生に ほんの少しでも 本当に ほんの少しだけでも 役に立ってくれれば  と思って 書いています 

このBLOGは 私達 幼稚な家族のbibleの様なものです










2011年1月26日 New Yorkへ














この写真は 私の Facebook のカバー写真です




寒いNYの さらに寒い1月・2月に 私達は アメリカ NewYorkへ 行くことにしました



次男は まだ10歳 小学校4年生の時



計画を立てた事はイイが 行く前から 怖くてたまりませんでした


ダイハードとか 24とか そんな映画や ドラマを観たら 特にね

それに 田舎者の小心オヤジが 小さな子供を連れて行くのですから!


何度でも言います 誰でも出来る事を 私は出来ない




2011年1月26日 セントレアからの直行便はありませんので 成田から出発しました 


とっても条件の良い時間帯での便で NYへ 向うことが出来たのですが・・・・・・



これが とんだ災難に見舞われます



それでも 無事に ManhattanBroadway 96st 沿いの古びたHotelに宿を取り NYの滞在が始まりました











Strawberry Fieldsへ

ストロベリー・フィールズは ニューヨークの72ndストリートの入り口からすぐの セントラルパークの中にある ジョンレノンのメモリアル広場です 

ジョンレノン亡き後 生きていれば45歳の誕生日である1985年10月9日に “Strawberry Fields Forever”の曲から名づけられました

上から見ると 涙のしずくのようなドロップ形の地形で 向かいにはレノンの自宅であり 射殺現場ともなったダコタ・ハウスが建っています




1月29日 早朝 顔見知りになったベーグル屋で 美味しいベーグルの朝食を食べて 私達は Strawberry Fieldsへ 向った


地下鉄 59 St - Columbus Circleで降りて Central Parkの 南端から 800mほど ニューヨーカー気取りで Strawberry Fieldsへ 歩いて行った 



Central Parkは 30年に一度の大雪で 綺麗に化粧された 白一色だった!





















次男と2人 Central Parkの Strawberry Fields Imagine記念碑の上で 


私は ここに立っている事が 幸せだった それも 自分の子供と・・・・




でも 次男は 私が なぜ こんな円形の石の上で 喜んでいるのか 分からなかったと思う




息子よ!私は この人の曲に 励まされたんだよ!





上の写真は Central Parkを散歩していた おじいちゃんに 撮って頂いた物です



彼は 私達にDakota Houseの事 そして そこの7階に Yoko Onoが住んでいる事を説明してくれました



この頃には もう NYへの 恐怖は和らいでいた




そして NYの人たちが とっても優しいことに 気付き始めていた!









The Dakota Apartmentsへ



NYにも パリのような公園が 欲しいと 造られたセントラル・パーク そんな公園を 眺めて暮らしたいという 要望に基づいて 設計されたのが ダコタ・ハウスです

当時は 雑木林のような セントラル・パークの脇に ポツンと建っていたため まるでアメリカ西部にある 僻地のダコタのようだと この名が付いたと 言われています

1880-1884年にかけて 建築され アメリカ合衆国の 歴史建造物に 指定されています




























ストロベリー・フィールズから 直ぐのところに このダコタハウスはあります


先ほど写真を撮って頂いた おじいちゃんが 案内してくれました



不幸な出来事でしたが 歴史の一部に触れた感じがして 本当に ここに来れて良かったと実感していました


ちなみに Yokoが住んでいるのは 丸で囲んでいるところ 最上階 Central Parkが 一望できる部屋です



そして ここは 簡単に 入居が出来ない高級マンションで 過去に ビリー・ジョエル  シェール  メラニー・グリフィス  マドンナ  カーリー・サイモン  アレックス・ロドリゲス  ジャド・アパトー  ティア・レオーニなどが 入居を拒否されています








ジョン・レノン暗殺事件の現場

12月8日の夜 10:50 ヨーコのレコーディングを終えた レノンとヨーコの乗ったリムジンが アパートの前に到着した
2人が車から降りたときチャップマン(犯人)は 前庭に隠れ レノンが 彼の前を通り過ぎたとき 暗闇から 銃を両手で構え5発を発射した そのうち4発が命中し レノンは アパートの入り口に 数歩進んで倒れた



























ダコタハウスの入り口には 警備の門番が2人も在中


近くまで行って 写真の許可を頂いて 撮影をさせて頂きました


ここで 35年前の今日 Johnは 銃弾に倒れました




この写真!次男のピースサインの笑顔は どんなもんかな?って 思いますが 息子には 全然 関係の無い人ですから 許してください

































私達を 案内してくれた おじいちゃんと!



通り縋りで 犬の散歩中にも 関わらず 見ず知らずの私達に 親切にしてくださって ほんとに感謝です


まだ facebook の存在を 知らない時でしたので 名前も聞かずに 悔やまれます





しかし NYの方たちは 皆さん 本当に親切でした

驚くような光景や 文化の違いや 人の位置付けはあるものの ここNYで 旅の楽しさを知った様な 気がするな~











”愛とは・・・・・”人の永遠のテーマ



重いテーマですね!


なぜ John Lennon で ”愛とは・・・” なのか?


それは John Lennon の製作した 沢山の楽曲の中で 私が一番好きな曲が この”愛(LOVE)”と言う曲だからです



なぜ この曲に惹かれたのか!



私が 10代の頃のお話 幼稚なお話ですが・・・・・・・



高校2年生 16歳 部活動では部長 それなりに  大人に成った時の 夢は抱く 高校生でした


しかし その年 県立高校を中退 思い描いていた夢を失い これからの自分に不安だけを持って 時間だけが過ぎていきました




カッコイイ 言い方をすると ”真っ直ぐ 苦痛の少ないレールを 外れてしまった!”


一旦 外れたレールには 二度と 戻れない

今度は 自分で レールを 作っていかなくてはなりません

そのレールは 歪で 歪んで ちっとも前へ 進んでいかないレールです





結局 教養の無い私は 高校を中退してから うどん屋で バイトをする事になりました

両親の口利きで お得意先の うどん屋さんへ 


朝9時から 夜9時まで(3~6時休憩) 時給は300円 1か月働いても 6万円程の 給料だけでした


後々 考えると 両親が見習いで入れたらしく 私はバイトのつもりで働いていました


時給300円でも 昼に1000円以上もする うどんを食べて 夜も 夕食を食べさせて頂いていたので 時給は引かれて 300円だと 勘違いしていたのですね


それだけ 世間知らずの幼稚な16・17歳 時代だったんです

何度でも言いますけど バブル期の時代ね!



そこで2年近く働いて その後 夜間高校へ行くのですが・・・・・




当時を振り返ると 給料の少なさよりも 人と接することが無くなった事に 苦しんでいたような気がします




これも カッコ付けて言うと ”孤独だった!”って事ですけど 



そんな時に 聞いていた曲が John Lennon の曲



彼の曲を 帰宅して 夜 ピアノで 防音用のソフトペダルを踏み 一人で 弾き語っていました







ふと あの頃を 思い出してしまった

























あの時の 惨めさは 何だったんだろう? 

どうして 自分は こんな風に 成ってしまったんだろう?

なぜ 皆と 同じ事が出来なかったんだろう?

自分は 人として 何が劣っていたんだろう?


そして 自分が 育った環境って 親って 家族って・・・・ そして 愛って 何だろう?





そんなことを考えながら 自分が 幼稚であることに 気が付け無いで 言葉だけ 綺麗に繕っていたな




私の 幼少期は ネグレクトに近い生活  少年期は アダルトチルドレン予備軍




そりゃ 劣等感も募る訳だわ!


こんな人間が 父親になったんですから 妻も子供達も 私から 辛い思いを させられたんだと思います・・・・・



10代の あの頃 いったい 自分は 何に 飢えていたのだろうな~っ



家族の温かさ 親との会話? いやいや そんなもんじゃないな!


ただ 普通の生活! 普通に ご飯が食べれて 普通に お風呂に入れて 怯える事の無い時間があれば それで 良かったんだよな!




普通に 無意識に 優しさを感じられていたら・・・・・



だから あの時 John Lennon の ”LOVE” と言う 歌に 心惹かれていたのかもしれない



そして ”愛とは・・・” 何なのか 知りたかったのかも・・・・・・






LOVE John Lennon(Youtubeへ)



Love is real , real is love 

愛とは真実  真実とは愛

Love is feeling , feeling love
 

愛とは感じる事  感じる事が愛

Love is wanting to be loved 

愛とは愛される事を望み 望まれる事

Love is touch, touch is love 

愛とは触れるもの 目に見えずとも 触れる事が出来る

Love is reaching, reaching love 

愛とは到達するもの 人はやがて愛に到達する

Love is asking to be loved 

愛とはお互いが話し合い 理解し 育むもの

Love is you 

愛とは あなた

You and me 

君と僕

Love is knowing 

愛とは 知る事

we can be 

僕達は それが出来る

Love is free, free is love 

愛とは自由  自由こそが愛

Love is living, living love 

愛とは誰かの為に生きる事

Love is needed to be loved 

愛とは人を必要とし 人から必要とされる事









16歳の あの頃 幼稚で 愛が何なのか 知らなかった私は 30年経って ようやく 知ることが出来た



妻に愛され 子供に愛され 長い年月をかけて・・・ そして 旅をして 人を学んで やっとだ!




私は 家族に 28年かけて 愛とは 何なのかを 教えて貰った




今 私は ” 愛 ” と言う 言葉を 意識しないで 穏やかに 毎日を過ごしている






もしかすると ” 愛 とは・・・・” 




そんなことを 考えさせない事が 愛なのかもしれない





だから 私は 妻と子供達に ” 愛 ” を 意識させない様に 分からない様に 愛を注いでいる 


妻と子供達が 私に してくれたように・・・・・・




Love is like a flower – you’ve got to let it grow.

愛とは 育てなくてはいけない花のようなもの!








今日は John Lennon の 命日






久しぶりに ”LOVE” を 聞いたな~











2015年12月4日金曜日

今年も 終わるよ~ 探せばあるんだ~こんな林檎

知らないうちに 12月に入っていた

師走じゃん!

やっぱ 年取ると 早いな~時間!

と!まぁ~ のん気な 2015年 最後の月になりました・・・・





前回の自分に酔った 25周年記念の指輪について お話をしましたが その 後日談!




書いたBLOGを 読み返し さらに 自分に酔って センチメンタルな状態で 妻に聞いた!




『な~っ リフォームした指輪ってさ~ やっぱり 2人だけの お金には返られない 最高の指輪だよな~???』



「そうだよ!」って 優しそうに微笑みながら・・・・・




『そう言えば ハリーウィンストンの指輪で 1000万のがあるって言ってたけど!』



「うん!あるよ!」



『じゃぁさ~ その1000万の指輪と 25周年の指輪 どちらか一つを あげるとしたら どっちが 欲しい?』



「そんなん 決まってんじゃん!」


私は ”25周年の35000円の指輪だよ!”って 答えると思ってた!



すると妻は 「1000万のハリーウィンストンじゃん!」



『えっ!』 膝が砕けた・・・ いや 腰が砕けた・・・ いやいや 脳天が砕けた・・・



妻に聞き返す



『どうして? この世に 2つと無い 28年の想いが詰まった指輪だぞ!』



すると 妻は 真顔で こう答えた

「そんなのハリーウィンストンの指輪を売って現金にするわ!」


『じゃー25周年の指輪は?』


本気で 妻は答えた

「写真 撮っときゃイイじゃん!」


やっぱり お金の力は 偉大です



その時 初めて 自分と言う人間を知った



私は ”ガラスの心を持つ ロマンチストおやじ” だった!

言うまでも無く 私の頭には あの曲が 鳴り響いていた





言わないで♪ 言わないで♪ ウィンストンは 間違いだよ♪

愛を育んだ同志♪ こんな日もあるよ♪♪ 

なにげなく♪ 傷ついて♪ さりげなく 思いつめて♪♪

そんな痛み覚える♪師走じゃないか♪ 

戸惑う♪気持ちで♪言ったり♪聞いたりさ♪建前と本音を♪♪

こわれそうな♪事ばかり♪問いかけて♪しまうよ♪

現実は理想じゃない♪ ガラスの四十代(後半)♪♪










女性は 現実的ですね 


さすが 低所得者の妻だけあります















長野県の佐野林檎
 
いつも通う 岡崎愛中市場の林檎はJA須高から 来るものですが 今年は 入荷が終わってしまい 青森の弘前の林檎が 大量に入ってきています



毎年 贈答の この時期には 刈谷青果市場の松川りんごを仕入れるのですが こちらも 入荷が少ないのか?一向に 手に入る気配がありません

特に 大玉が無い様で・・・・・


そこで 岡崎市にあります もう一つの市場へ 探しにいくと 山ほど 長野の林檎があるではありませんか!


すぐさま お目当ての 大玉を見つけ 仕入れをしてきました


有る所には ちゃんと有るんですね




特選 10玉入り 一番 大きい玉を頂いてきました

8って 印がありますが こちらは 生産者番号で御座います

私は この8番の農家の方の林檎が 一番好きです

それは 選別も 色も 形も そして 味も 一番良いからですよ!


























比較するものが無いので 分かりにくいですが かなり 大きいです

色も 綺麗ですが 箱を空けると りんごの香りが ふぁ~っと 


さすが 特選です!

























試食をします


断面は 蜜が 一杯!

瑞々しさも まずまず!

そして 味は う~ん これは 美味い!

兎に角 甘い! なんだ この林檎 すんご~く 甘い!

比較するのは ナンナンですけど 松川りんごより 美味いじゃん!


ほんと 上には上が あるもんですね~

ちなみに 松川りんごよりも 形が良く お値打ちです


これは 良い林檎を見つけましたよ!







知多みかん(刈谷青果市場)




















だいぶ売れてしまった後の お写真ですが 知多みかんを 刈谷青果市場で 仕入れてきました

これまた 安い!安い!


店頭では 2L 3L SS サイズが お値打ちなので ここらへんを チョイス!

L M S あたりでも 1500~2000円ほどです



























こちらは 3Lサイズの 大玉です

悪くないでしょ~

味も それなりに しっかりしています

私が 試食をしたものは スカスカではなく ちゃんと瑞々しかったです


但し 値段は値段です ビックリするほど 美味しいわけでは ありません


普通の美味しいみかんです


私の感覚ですが 4000円や 5000円の高額な蜜柑も 試食をしましたが 驚くほど 美味しい~って 思いませんでしたね


今年は 温かかった事も あってなのか すごっく美味いって蜜柑には 会えていません




価格で 割り切れれば この 知多みかんは 最高のコストパフォーマンスを 発揮しています







スチューベン 青森






























今年も この時期に現れる 

ニューヨーク生まれのスチューベン!


私は これが大好き!

皮は 硬くて 食べられませんが 果肉が 甘くて美味しい!


夏のデラブドウは めんどうくさくて食べませんが 冬場のスチューベンは 一粒づつ 摘んで 食べます

これも 希少価値なのかな~













これから 年末に向って 皆さん 忙しくなりますが 慌てずに ゆっくり 生活しましょう






明日は 長女から 妻へ 素敵な サプライズプレゼントが待っています




























2015年11月22日日曜日

今日は いい夫婦の日!結婚25周年の記念品は ” 妻の優しさ その物 ”  そして 宝石工房ロメオ  

今日は宝石のお話をします

私達夫婦にとっては 縁の無い物なのですが 知り合って28年もたてば 少しは関わるものですので ケチ知恵 として ご参考にしてください


本日11月22日は いい夫婦の日です


そこで 夫婦円満の秘訣 7ヶ条と言う物があるらしい


・毎日「愛してる」と言う

・手をつないで歩く

・同じベッドで寝る

・言いたいことは言う

・お互いの家族と仲良くする

・お互いの決定を尊重する

・尊敬されるように生きる

とりあえず 私達夫婦は 全部クリヤーしていました


・毎日「愛してる」と言う・・・・・ って言うより ”毎日綺麗だね!”って これ絶対にね!
信用性を高めるために たまに 蹴落します!

・手をつないで歩く・・・・・・・これも絶対ね 恥ずかしがっては駄目 周りにキモイって言われてもね!

・同じベットで寝る・・・・・・・・25年間 愛用しているベットで マットはヘタヘタ! 子供4人分のベットを買ったら 自分達の物が買い換えられなくなった! たまに妻の寝言も 次の朝 教えれますしね!!

・言いたいことは言う・・・・・・・仲が良くても 適度に喧嘩します 誤るのは 私のほうですけど!
良く考えてみると 25年間 喧嘩して 妻から ごめんなさいって 聞いたことが無いな!

・お互いの家族と仲良くする・・・・・・妻は私の両親の命の恩人です 私は妻が居なくても妻の実家で2週間過ごせます

・お互いの決定を尊重する・・・・・・・これは ほぼ 何を決定するにも夫婦一致です と言うより 必ず 妻は私に相談します 私も妻に相談します 今まで 妻の決定で失敗した事はありません

・尊敬されるように生きる・・・・・・・・私は 妻に絶対の信頼を 持っています 妻のお陰で 360度 人生が変わりましたから あっ!1周回って戻った!妻は 私のことを尊敬していると言ってくれます ”私の出来ないこと全部出来るから”だって!





すみません 全部 惚気です





指輪を引き取りに名古屋へ






















高島屋入り口 ”リトルプリンス 星の王子さまと私”展が開催



午前中に仕事を全部済ませて お昼から名古屋へ向う 乗換えで名駅の高島屋で リトルプリンス星の王子様と私の展示があり 記念に写真を撮影

そして 地下鉄で ある宝石工房へ向う

1ヶ月前に 依頼をした 25th ANNIVERSARY JEWEL を受け取りに・・・・・・




25th ANNIVERSARY JEWEL


今年の6月に25年目の結婚記念日を終えた


しかし妻にした事は 毎年している 1000円のディナーと 1000円の映画鑑賞!


流石に 25年目で これは無いわ!と 思い立ったのが記念品


さ~っ ケチで低所得の私が何をプレゼントできるのだろう???


ふと過ぎる



妻が欲しがっているものは何か?


そこで 妻に 『な~っ 25周年結婚記念に 俺 何かプレゼントしようか?』



妻は 微笑んで 「なに~ 急に!そんなの いらないよ!」



『いや~ やっぱり 流石に25年だから 記念に残るものをさ~』と 念押しする



妻は 「だから いいって!」って 強く答えた  



でも なんか嬉しそうだ



そして 私は 何も考えずに 言ってしまった 

『記念の指輪を 買うか? 確か 俺 お前に 指輪 買ったこと無いよな?』




「あ~っ そう言えば そうだね!」





そうです  私は 25年前に 値切った 結婚指輪以外 購入した事が無いのです





その言葉を機に 妻は 指輪を 意識し始めました





9月頃から 私も 指輪について調べ始めました


なんていったって 25年間 指輪と言うものを 買おうとした事もなければ 見に行った事も ないのですからねっ 


世間で言う 釣った魚には 餌をやらない状態が 25年も 続いています






そして 下見を兼ねて 名古屋へ ウインドーショッピング



・ティファニー 

・カルティエ 

・4℃ 

・ハリーウィンストン 

・ラザール 

・ブルガリ 

・ブルーリバー



記念品ですので そりゃ ブランドでしょう!

どれをとっても 目移りしてしまうほど 素晴らしい


こんな世界も あるんだな~  


そして 価格を見ると 30万~100万

おい・おい・おい・・・・まじか!



価格を見て 驚いていると 妻に言われた 


「ハリーウィンストンなら 1千万円超えるものもあるんだよ~」



情けない・・・・OTL  


正直 後悔していた・・・・なんで ダイヤモンドリング 買おうなんて言ってしまったんだ!






問題は お金なんだが! 


今の 俺のへそくりが・・・・・・これぐらい・・・だから 


買えるのは 20万ぐらいの物か!



一番安い物が買えても 給料の2か月分か・・・OTL



俺のお小遣いの20か月分じゃねーか!・・・・OTL




ブランドの指輪って 高いんだな~・・・・・  ドンだけ無知なんだよ 俺!


そんな事を考えながら 栄の 宝石店を 回っていると あるビルの最上階に 指輪の工房がありました 確かSAKAE NOVAだったかな?


話を聞くと 指輪にリホームと言う物があるらしいのです


今 もっている宝石を 新しく造り直す事が出来るとのこと


それでも リフォーム代は おおよそ10万以上するとの事でした




その日 私は 現実を知って うなだれて 自宅に戻りました





28年前に 私が贈った ルビーのネックレス


















リフォームと言う 選択肢を得て 妻が 私に見せてきた



「ね~っ これ 覚えてる?」



『なに?』



良く見ると 赤い 玩具みたいな ネックレスが そこにあった


(お写真では大きいですが全部で1cmほどの小さなルビーのネックレスです ダイヤは塵ダイヤです)



「これ まーくんが 買ってくれたやっだよ!」



思い出した!確か 付き合い始めた頃 妻の誕生石で お金が無いのに 無理して買ったやつだ!



『お前 よく こんな玩具みたいなネックレスとっておいたな~』


「確か 7万ぐらいだったよね~」


『本当に 良く覚えているな~』




私は 28年前を思い出していた


妻は まだ 15歳 私は 18歳

2人とも まだ あどけない 幼稚な高校生の頃だ


安城市に 大きなデパート 西友が 出店して来た

その中のテナントに 宝石店があった



まだ子供の様な妻が  その 小さなルビーのネックレスを見て 

「私の誕生石なんだよね~これ!」って


『欲しいの?』


「うん~ でも 高いから~」



値段を見ると ¥78000の札が 付いていた



当時 私の給料が 手取り9万で ほぼ 1ヶ月分の給料の金額だ!

何度でも言いますが バブル時代で お金が溢れている時代ね

今 思えば なぜ買ったのか! 覚えていない 


多分 妻に 良い所を見せようとして 無理して購入に踏み切ったんだと思うが・・・・




きっと 妻は ずーっと その当時の事を 覚えていたんだ




だから 妻は こんな安っぽい 小さな玩具のようなルビーのネックレスを 大事に28年間も 持っていてくれたんだろう





地元の宝石店巡り

名古屋で 現実を知ってしまい ダイヤの指輪を 購入するのかを 悩んでいる私に 妻が 言ってきた


「指輪 どうする?」



『う~ん ごめんね! 大見栄張って ダイヤの指輪買ってやるって言って』



「いいよ リフォームで!まーくんが 何にも買わないで 貯めたお金でしょ!」



妻は 私の金銭感覚を 知っていた



サラリーマンをやめて 27歳で八百屋を 継いだ時 父親から貰った給料は10万だった 

それも ”八百屋で10万もらえるなんて贅沢だわ!”と 毎月言われながら 受け取っていた給料



流石に生活が出来ず  2年で八百屋を辞めた 




2年後 人を使う楽さを覚えた父親に 無理やり呼び戻された 

今度は 給料を上げてもらって 15万だった



その後 本日まで 上がる事も無く17年間 父親から15万の給料だけ もらっています


当然 ボーナスなんてものはありませんよ




39歳になって 厄年会に入って やっと 妻が 私に1万円のお小遣いを くれるようになって

44歳で 1万5千円にお小遣いが増えた

そのお小遣いを 私は使わないで 貯めている 


子供達と旅をする 旅費の為に!


それが 私の ヘソクリだ!・・・・・・

まっ 煙草も お酒も ギャンブルも 外食も 当然 女性も 一切 しませんしね

う~ん 寂しい人生・・・・OTL



妻に 聞き返す  『本当にイイの? リフォームで!』 



すると 妻は 嫌な顔をせずに 「もったいないじゃん!」 と・・・・・






そして 10月に入って リフォームできる店を探し始めましたが 今や 宝石店なるものが ほとんど無い事が分かりました!


あるのは デパートなどのテナントぐらい!


八百屋や 魚屋だけじゃ 無いんですね 無くなっていったのは・・・・・




一応 市内のテナント内の宝石屋さんへ リフォーム代金を聞いて見ると どこも ぱっとしない



当たり前ですよね 基本 リフォームを売りに出しているわけでは ありませんからね



結果 安城市内では 個人店の お店は ほぼ無く  お隣の 刈谷市と 岡崎市のお店へ 行く事に・・・・



ちなみに 刈谷市も テナント店ばかりで 個人店は1軒 


岡崎市も テナント店ばかりで 個人店は2軒でした





























こちらは 刈谷の宝石屋さんで見させて頂いた リフォームメーカーのGOSHOのカタログです



そして 日曜日の午後から 時間を取って  2軒の店を回ることにしました

リフォームと言っても 10万以上ですからね ちゃんと お店の人を チェックしなければね




最初に 刈谷市へ そこのお店は ご年配の夫婦が お2人で経営されていて 今の宝石業界の状況を簡単にご説明下さいました


想像していた通り 一般的な宝石業界は 下降線をたどっているとの事でした



こちらのお店では 現物を見せて 見積もりを依頼して帰りました 

後日来た金額は 14万程です出来上がりは2ヶ月間ほどです





次に 岡崎市の昔の中心街にある 宝石店へ お邪魔しました



ここには お話好きの50~60代位の店主が 一生懸命 私達を持ち上げながら 自分は”良い人です”アピールをしながら お話をされていました

早々に 私達の持参した宝石を 洗浄し磨いて下さり とても お優しい方でした





見積もりは 直ぐに出して下さり  刈谷と同じ条件で 12万円 少し安い!

出来上がりも 2ヶ月間程との事で こちらは 刈谷市の お店と同じです



2万円も安いし 親切に 只で洗浄までして下さるし 2軒目と言う事もあって ここで決めようかなって思っていた時のことです



お話好きな店主の 会話が 急にエスカレート!



1時間も 話していると 少しずつ お互いの人柄が 分かってきます 




気持ちも打ち解けると その店主の言葉の節々に 自分に酔った感じで 私達に話しているのが分り始めました




多分  ” 私は善人なんですよ お客様のことが一番で 商売をさせて頂いています ”と 言わんばかりの 内容に傾いていた





会話の中で 私が ちょっと引っ掛けで ”私の指輪に対する考え方”を 述べてみました




すると 急に店主が 声を震わせ 手を震わせ 赤面気味に 私に こう言ってきた


「それは違います!私ども宝石を扱っている者として そういう考え方は納得できません それは訂正して 頂きたい」 だ!






私は 少し癖がある人間です 



あまりに 私達を持ち上げ 善人ぶる店主の人柄・本質を 確認したくて 私が 意図的に発した言葉に 店主は反応してしまったのです




私が言った指輪に対する考え方は 



 私は イイ年をして 同年の方々より 所得が少ないです だから 指輪は 私達にとって 私達の価値を上げるアイテムだと思っています ましてや 八百屋と言う仕事は 普段は 綺麗な服装で 着飾ることが出来ません 毎日 同じ服 汚れた服で 働いています だから 小さな指輪でも 自分だけが分かる 大きな見栄なんですよ 




ちょっと 意地悪ですね~




多分 店主は 宝石は 見栄を張る道具では無いですよ!と 言いたかったんでしょう



その後 店主は 私に どうしちゃったんだろう? 何で あんな事言っちゃったんだろう? ボクとした事が 何で こんなに 興奮しちゃったんだろう? そう言ってきました




私には分かりますよ 多分 私が 嫌なお客だったからですよ!




正論を振りかざし 綺麗な事を言う人は 意外と 自分に酔っていることが多いんだよな!



だから 腹黒い本音を言うと 否定したく なっちゃうんでしょうね




私が悪で あなたは正義なんだから・・・・・




ま!このBLOGも 自分に酔った 綺麗事ばかり書く 幼稚なBLOGですしね

同じ穴の狢ですか!





この店に2時間ほど居ただろうか? 日も暮れてきたので ”また来ますね!”って言って 店を後にした




宝石工房 ロメオを探し出す





















岡崎市の宝石店を後にして 妻が 「さっきの店で 頼むの?」って 聞いてきた



私は 直ぐに 『 あそこは辞めようと思う! 刈谷より安いけどね』と 返した



「どうして? もう お店 無いじゃん!」



『そうだけど やっぱり 人で選びたいんだよね!』





再び 私の 宝石店の探索が始まった


カタログのGOSHO(業者のみの取引)へ 直接 電話をして 個人での取引が出来ないか?確認したり 

ネットで宝石店では無く 工房を検索したりした




すると ロメオと言う工房が 名古屋の名東区にあることが分かった

調べると 宝石を加工してくれる個人工房だった



やっと見つけることが出来た 


後は そのお店が 信用できるかどうかだ!




直ぐに メールを送ると 翌日 電話が かかってきた



自分の希望を伝えると 直ぐに概算を出してくれた



ざっとだったが 「3万位で出来ますよ」って!



私は 聞きなおした 

『ネックレスを 指輪にするんですけど それも プラチナ土台ですけど! それでも そんなに安く出来るんですか?』


「はい 大丈夫ですよ!」 って 普通に答えてくれた


『それでは 今週の土曜日にお邪魔します』と言って 電話を切った





宝石工房ロメオへ 行く
























10月24日 宝石工房ロメオさんへ 



ペンダントを持って デザイン決め



1時間程のデザイン選びでした



本当に 丁寧に 親身になって ご相談にのって下さいました


沢山のサンプルを見せていただきましたし 妻が思うようなルビーの指輪もあって!



妻の仕事は 重いものを持つこともあります 

重いものを持って 土台が変形して 小さいルビーが落ちない為の工夫なども 説明して下さいました




そして 気になるお値段ですが ペンダントに使われている土台のプラチナも 溶かして再利用できるとのことで さらにお値打ちになりました




それと 工程 1つ1つが明朗で 金額が出ます




指輪にするのに プラチナを g単位で追加 g/6000円ぐらい


指輪を作る工賃 19800円


宝石 埋め込み工賃 3000円


塵ダイヤ 埋め込み工賃 1箇所 800円 

私達は10箇所で8000円




全部合わせて 35000円の 見積もりが出ました





私達が依頼したルビーの指輪  普通に このサイズの完成品は 25万円で 販売していました

宝石があるとはいえ 35000円で 作り直して頂けるなんて 考えられません



ついでに 母親の要らなくなった 金の指輪も 引き取って頂きました


これぞ 職人です!



私達を おだてる事も無く ただ 私達が望むプランを 提案して 一番近い出来上がりのサンプルを探してくれて これほどまでの 満足と 安心感が 沢山の宝石屋を回って あっただろうか?




それと 金額も 申し訳ないほど 安く それでいて 納期も1ヶ月ほどとのことです



何も言うことはありません



やっぱり 人とは面白いな~



ご縁! 良い出会いこそ 最高の宝!



何より 一番喜んでいたのは 妻だった




妻に 言われた言葉が 「あなたの執念 凄いわ!」





11月21日 宝石工房ロメオへ 引き取り





















JR→地下鉄と 乗り継いで 無事1ヶ月で 受け取りに来れました



妻も この一ヶ月 毎日の様に 私に どんなのができているのかな~って 指輪の話題が中心だった


私も 30万~50万の指輪が 3万円に変わったのですから 嬉しいに決まってます



お金だけじゃないな! 



あの時 28年前に なけなしのお金を出して購入した ルビーのペンダントを 忘れずに 持っていた妻の想いと 私へ 負担をかけさせたくない優しさが 形を変えて 私の 喜びに変わりました





いやいや 低所得で ケチって 本当に いいもんだな~ こんなことで 喜べるんだから




出来上がった ルビーの指輪





























28年前の 玩具の様なペンダントが こんな立派な指輪に変わりました



この指輪を見て ちょっと 自分に 酔ってしまっていた



あの時 幼稚で世間知らずの二人が 28年の歳月をかけて やっと 普通の 一般的な人間に 成長できた



産んでくれた親 育った環境 生まれ持った性格で 人は 幼少期を成長していく  



幼稚な親に育てられれば 幼稚な大人に育つ 私も妻も そうだった  




でも 沢山の恥をかいて 馬鹿にされて 惨めな思いをして 悔しい思いをして 涙を流して 人に傷つけられて 実の親にも 打ちのめされて・・・・・ 




そこから 多くを学ぶ事が 出来た





一緒に居る妻も 私も 28年前は 安っぽいルビーのネックレスと同じだった




見栄を張って 背伸びをして 表向きだけ良くして 人の目ばかりを意識していた





結婚して 子供を育てて 25年経って やっと 人並みの穏やかさを 手に入れることが出来た






今日 私達が 手にした このルビーの指輪も 今の状態になるまでに ドロドロに溶かされ 叩かれ 伸ばされ 穴を開けられ 小さなかけらを 一つづつ丁寧に はめ込まれて 最後に 何度も何度も 研磨されて 拭かれて やっと綺麗に輝く! 




78000円のネックレスは 35000円で 素晴らしい形の指輪に変わった



このルビーは お金の価値だけでは量れない 私達 二人だけの 価値あるルビーの指輪に変わった!




有り余る程のお金を 注ぎ込んだわけではない! 


そこに ”よき出会い”があって 手に入れられた 最高の25周年記念の品なのです





誰と出会えるか!で 人も 物も 大きく変わる事が出来る









私達 夫婦も 沢山の人達と携わり 沢山の影響や 学びを受けて 穏やかな夫婦になれた




どんな人と ご縁を持てたか! で 変わってしまうのであれば 好ましくない出会いが あったならば 私達も どんな夫婦になっていたのか 分からない!





あの 安っぽいネックレスが 宝石工房ロメオさんとの 出会いで こんなにも素晴らしいルビーの指輪に 変わることが出来たように・・・・・





私達 ベル商店も 素晴らしい お得意様との出会いによって 今の私達夫婦が 出来上がりました





最初に書いた 夫婦円満の秘訣7ヶ条の達成は お客様をはじめ 私達夫婦と ご縁を頂いた方によって 得られた 賜物です




本当に 只々 感謝で御座います








こんな風に変わりました

光の加減と ケースの反射で 綺麗に写っていませんが 妻の想い描いていた指輪に なりました











待ちに待った指輪を受け取る



御許可を頂いて ロメオさんのお写真を撮影させて頂きました



本当に 私達が望む 全ての事を して下さいました



匠であり 商人であり 素晴らしい宝石屋さんです



妻も 仕上がった指輪を見て とっても喜んでいました




ちゃんと 指輪の裏に 25th ANNIVERSARY って 刻印も されていました







宝石工房 ロメオさんの お店の前で!






往復 3時間かけて名古屋 名東区の 宝石工房のロメオさんへ 行って来ました 



指輪を受け取って 私の判断が 正しかったと やっと確信できました





人で選んで 良かった!





こんな 小さな 小さな 宝石で巻き起こった出来事でしたが 大きな体験 大きな学びが また 出来ました




そして 2015年のイイ夫婦の日から 妻は 28年前の私が送った ルビーを 毎日 身に着けることになります 



あの時の思い出と共に・・・・・・






たとえ 平凡で 小さなことでも
それを 自分なりに 深く噛みしめ 味わえば
大きな体験に 匹敵します
 - 松下幸之助 -







妻の薬指にはめたルビーの指輪



本日 11月22日 イイ夫婦の日



25年前に 買ってあげられなかった エンゲージリング!



今日 妻の右手の薬指に はめてあげられました




もう すでに 妻の手は 沢山の野菜や果物を運んだ しわくちゃで 老いた手に 変わっていました










妻へ


25年間 お待たせしました

やっと あなたの薬指に エンゲージリングを はめることが出来ました

もう あの頃の すべすべした 若い手では 無くなりましたね

でも 私は 今の あなたの しわくちゃな 老いた手が 大好きです

あなたの その手  私には とっても 美しく見えます

だって 私達 家族は あなたの その手で 

支えられて きたのだから


私は あなたを 心の底から 尊敬しています



もう老眼鏡が必要な 夫より