本日 12月8日は John Lennonの 命日です
知らない人には 何?って 思われる日ですが 私にとっては 考えさせられる日でも有ります
中学生時代 Beatles を聞いていた 高校に進学後 1年ちょっとで 中退した
中退後は JohnLennonを聞くようになっていた!
挫折感 絶望感 言い訳がましい夢への未練
そして 友人の見下し 親の失望
幼稚な頭では ただただ 惨めな想いしかなかった
自分の挫折感から 逃れる為に 人とは!愛とは!家族とは!意味の無いことを 考える様に なっていた
だから 世間知らずの幼稚な頭には John Lennonの曲が 救いだった
特に 名曲とも言われる【Imagine】は 毎日の様に ピアノで弾き語っていた
この曲を歌うと なぜか 荒れた心も 穏やかになっていった様な気がしていたな~
そう言う意味では 私の心の恩人でもあります
そして 今日 次男が 学校から帰ると・・・
「ねっ~ 知ってる?今日 ジョンレノンの命日だよ!」 そう言ってきた
ちょっと 意外だった
意外過ぎて 聞いてしまった
『どうした? なんで お前が知っているの?』
次男は 照れくさそうに答えた
「今日さ~ 英語の授業で 先生が言ってたからさ~」
私は 直ぐに 次男とNYへ 行った事を 思い出していた
『お前さ~John Lennonが 撃たれた所に 行ったの覚えてる?』
「うん!覚えてるよ!」・・・・でも 顔がそう言ってない!
多分 覚えてないな・・・・こいつ!
無理も無いか まだ 当時10歳の子供に John Lennonって言ったってね~
”次男よ あなたは ちゃんと 私と そこへ 行ったんだよ!”
このBLOGも もうじき200回の投稿になります
よく続いていると 自分でも思うわ!
200回投稿記念で New Yorkの出来事を 書こうかな・・・・
このBLOGを 私は ” 私が この世から居なくなった時 ” 子供達が これを読んで 自分達の人生に ほんの少しでも 本当に ほんの少しだけでも 役に立ってくれれば と思って 書いています
このBLOGは 私達 幼稚な家族のbibleの様なものです
2011年1月26日 New Yorkへ
この写真は 私の Facebook のカバー写真です
寒いNYの さらに寒い1月・2月に 私達は アメリカ NewYorkへ 行くことにしました
次男は まだ10歳 小学校4年生の時
計画を立てた事はイイが 行く前から 怖くてたまりませんでした
ダイハードとか 24とか そんな映画や ドラマを観たら 特にね
それに 田舎者の小心オヤジが 小さな子供を連れて行くのですから!
何度でも言います 誰でも出来る事を 私は出来ない
2011年1月26日 セントレアからの直行便はありませんので 成田から出発しました
とっても条件の良い時間帯での便で NYへ 向うことが出来たのですが・・・・・・
これが とんだ災難に見舞われます
それでも 無事に ManhattanのBroadway 96st 沿いの古びたHotelに宿を取り NYの滞在が始まりました
Strawberry Fieldsへ
ストロベリー・フィールズは ニューヨークの72ndストリートの入り口からすぐの セントラルパークの中にある ジョンレノンのメモリアル広場です
ジョンレノン亡き後 生きていれば45歳の誕生日である1985年10月9日に “Strawberry Fields Forever”の曲から名づけられました
上から見ると 涙のしずくのようなドロップ形の地形で 向かいにはレノンの自宅であり 射殺現場ともなったダコタ・ハウスが建っています
1月29日 早朝 顔見知りになったベーグル屋で 美味しいベーグルの朝食を食べて 私達は Strawberry Fieldsへ 向った
地下鉄 59 St - Columbus Circleで降りて Central Parkの 南端から 800mほど ニューヨーカー気取りで Strawberry Fieldsへ 歩いて行った
Central Parkは 30年に一度の大雪で 綺麗に化粧された 白一色だった!
次男と2人 Central Parkの Strawberry Fields Imagine記念碑の上で
私は ここに立っている事が 幸せだった それも 自分の子供と・・・・
でも 次男は 私が なぜ こんな円形の石の上で 喜んでいるのか 分からなかったと思う
息子よ!私は この人の曲に 励まされたんだよ!
上の写真は Central Parkを散歩していた おじいちゃんに 撮って頂いた物です
彼は 私達にDakota Houseの事 そして そこの7階に Yoko Onoが住んでいる事を説明してくれました
この頃には もう NYへの 恐怖は和らいでいた
そして NYの人たちが とっても優しいことに 気付き始めていた!
The Dakota Apartmentsへ
NYにも パリのような公園が 欲しいと 造られたセントラル・パーク そんな公園を 眺めて暮らしたいという 要望に基づいて 設計されたのが ダコタ・ハウスです
当時は 雑木林のような セントラル・パークの脇に ポツンと建っていたため まるでアメリカ西部にある 僻地のダコタのようだと この名が付いたと 言われています
1880-1884年にかけて 建築され アメリカ合衆国の 歴史建造物に 指定されています
ストロベリー・フィールズから 直ぐのところに このダコタハウスはあります
先ほど写真を撮って頂いた おじいちゃんが 案内してくれました
不幸な出来事でしたが 歴史の一部に触れた感じがして 本当に ここに来れて良かったと実感していました
ちなみに Yokoが住んでいるのは 丸で囲んでいるところ 最上階 Central Parkが 一望できる部屋です
そして ここは 簡単に 入居が出来ない高級マンションで 過去に ビリー・ジョエル シェール メラニー・グリフィス マドンナ カーリー・サイモン アレックス・ロドリゲス ジャド・アパトー ティア・レオーニなどが 入居を拒否されています
ダコタハウスの入り口には 警備の門番が2人も在中
近くまで行って 写真の許可を頂いて 撮影をさせて頂きました
ここで 35年前の今日 Johnは 銃弾に倒れました
この写真!次男のピースサインの笑顔は どんなもんかな?って 思いますが 息子には 全然 関係の無い人ですから 許してください
私達を 案内してくれた おじいちゃんと!
通り縋りで 犬の散歩中にも 関わらず 見ず知らずの私達に 親切にしてくださって ほんとに感謝です
まだ facebook の存在を 知らない時でしたので 名前も聞かずに 悔やまれます
しかし NYの方たちは 皆さん 本当に親切でした
驚くような光景や 文化の違いや 人の位置付けはあるものの ここNYで 旅の楽しさを知った様な 気がするな~
”愛とは・・・・・”人の永遠のテーマ
重いテーマですね!
なぜ John Lennon で ”愛とは・・・” なのか?
それは John Lennon の製作した 沢山の楽曲の中で 私が一番好きな曲が この”愛(LOVE)”と言う曲だからです
なぜ この曲に惹かれたのか!
私が 10代の頃のお話 幼稚なお話ですが・・・・・・・
高校2年生 16歳 部活動では部長 それなりに 大人に成った時の 夢は抱く 高校生でした
しかし その年 県立高校を中退 思い描いていた夢を失い これからの自分に不安だけを持って 時間だけが過ぎていきました
カッコイイ 言い方をすると ”真っ直ぐ 苦痛の少ないレールを 外れてしまった!”
一旦 外れたレールには 二度と 戻れない
今度は 自分で レールを 作っていかなくてはなりません
そのレールは 歪で 歪んで ちっとも前へ 進んでいかないレールです
結局 教養の無い私は 高校を中退してから うどん屋で バイトをする事になりました
両親の口利きで お得意先の うどん屋さんへ
朝9時から 夜9時まで(3~6時休憩) 時給は300円 1か月働いても 6万円程の 給料だけでした
後々 考えると 両親が見習いで入れたらしく 私はバイトのつもりで働いていました
時給300円でも 昼に1000円以上もする うどんを食べて 夜も 夕食を食べさせて頂いていたので 時給は引かれて 300円だと 勘違いしていたのですね
それだけ 世間知らずの幼稚な16・17歳 時代だったんです
何度でも言いますけど バブル期の時代ね!
そこで2年近く働いて その後 夜間高校へ行くのですが・・・・・
当時を振り返ると 給料の少なさよりも 人と接することが無くなった事に 苦しんでいたような気がします
これも カッコ付けて言うと ”孤独だった!”って事ですけど
そんな時に 聞いていた曲が John Lennon の曲
彼の曲を 帰宅して 夜 ピアノで 防音用のソフトペダルを踏み 一人で 弾き語っていました
ふと あの頃を 思い出してしまった
あの時の 惨めさは 何だったんだろう?
どうして 自分は こんな風に 成ってしまったんだろう?
なぜ 皆と 同じ事が出来なかったんだろう?
自分は 人として 何が劣っていたんだろう?
そして 自分が 育った環境って 親って 家族って・・・・ そして 愛って 何だろう?
そんなことを考えながら 自分が 幼稚であることに 気が付け無いで 言葉だけ 綺麗に繕っていたな
私の 幼少期は ネグレクトに近い生活 少年期は アダルトチルドレン予備軍
そりゃ 劣等感も募る訳だわ!
こんな人間が 父親になったんですから 妻も子供達も 私から 辛い思いを させられたんだと思います・・・・・
10代の あの頃 いったい 自分は 何に 飢えていたのだろうな~っ
家族の温かさ 親との会話? いやいや そんなもんじゃないな!
ただ 普通の生活! 普通に ご飯が食べれて 普通に お風呂に入れて 怯える事の無い時間があれば それで 良かったんだよな!
普通に 無意識に 優しさを感じられていたら・・・・・
だから あの時 John Lennon の ”LOVE” と言う 歌に 心惹かれていたのかもしれない
そして ”愛とは・・・” 何なのか 知りたかったのかも・・・・・・
LOVE John Lennon(Youtubeへ)
Love is real , real is love
愛とは真実 真実とは愛
Love is feeling , feeling love
愛とは感じる事 感じる事が愛
Love is wanting to be loved
愛とは愛される事を望み 望まれる事
Love is touch, touch is love
愛とは触れるもの 目に見えずとも 触れる事が出来る
Love is reaching, reaching love
愛とは到達するもの 人はやがて愛に到達する
Love is asking to be loved
愛とはお互いが話し合い 理解し 育むもの
Love is you
愛とは あなた
You and me
君と僕
Love is knowing
愛とは 知る事
we can be
僕達は それが出来る
Love is free, free is love
愛とは自由 自由こそが愛
Love is living, living love
愛とは誰かの為に生きる事
Love is needed to be loved
愛とは人を必要とし 人から必要とされる事
16歳の あの頃 幼稚で 愛が何なのか 知らなかった私は 30年経って ようやく 知ることが出来た
妻に愛され 子供に愛され 長い年月をかけて・・・ そして 旅をして 人を学んで やっとだ!
私は 家族に 28年かけて 愛とは 何なのかを 教えて貰った
今 私は ” 愛 ” と言う 言葉を 意識しないで 穏やかに 毎日を過ごしている
もしかすると ” 愛 とは・・・・”
そんなことを 考えさせない事が 愛なのかもしれない
だから 私は 妻と子供達に ” 愛 ” を 意識させない様に 分からない様に 愛を注いでいる
妻と子供達が 私に してくれたように・・・・・・
Love is like a flower – you’ve got to let it grow.
愛とは 育てなくてはいけない花のようなもの!
今日は John Lennon の 命日
久しぶりに ”LOVE” を 聞いたな~
NYにも パリのような公園が 欲しいと 造られたセントラル・パーク そんな公園を 眺めて暮らしたいという 要望に基づいて 設計されたのが ダコタ・ハウスです
当時は 雑木林のような セントラル・パークの脇に ポツンと建っていたため まるでアメリカ西部にある 僻地のダコタのようだと この名が付いたと 言われています
1880-1884年にかけて 建築され アメリカ合衆国の 歴史建造物に 指定されています
ストロベリー・フィールズから 直ぐのところに このダコタハウスはあります
先ほど写真を撮って頂いた おじいちゃんが 案内してくれました
不幸な出来事でしたが 歴史の一部に触れた感じがして 本当に ここに来れて良かったと実感していました
ちなみに Yokoが住んでいるのは 丸で囲んでいるところ 最上階 Central Parkが 一望できる部屋です
そして ここは 簡単に 入居が出来ない高級マンションで 過去に ビリー・ジョエル シェール メラニー・グリフィス マドンナ カーリー・サイモン アレックス・ロドリゲス ジャド・アパトー ティア・レオーニなどが 入居を拒否されています
ジョン・レノン暗殺事件の現場
12月8日の夜 10:50 ヨーコのレコーディングを終えた レノンとヨーコの乗ったリムジンが アパートの前に到着した
2人が車から降りたときチャップマン(犯人)は 前庭に隠れ レノンが 彼の前を通り過ぎたとき 暗闇から 銃を両手で構え5発を発射した そのうち4発が命中し レノンは アパートの入り口に 数歩進んで倒れた
12月8日の夜 10:50 ヨーコのレコーディングを終えた レノンとヨーコの乗ったリムジンが アパートの前に到着した
2人が車から降りたときチャップマン(犯人)は 前庭に隠れ レノンが 彼の前を通り過ぎたとき 暗闇から 銃を両手で構え5発を発射した そのうち4発が命中し レノンは アパートの入り口に 数歩進んで倒れた
ダコタハウスの入り口には 警備の門番が2人も在中
近くまで行って 写真の許可を頂いて 撮影をさせて頂きました
ここで 35年前の今日 Johnは 銃弾に倒れました
この写真!次男のピースサインの笑顔は どんなもんかな?って 思いますが 息子には 全然 関係の無い人ですから 許してください
私達を 案内してくれた おじいちゃんと!
通り縋りで 犬の散歩中にも 関わらず 見ず知らずの私達に 親切にしてくださって ほんとに感謝です
まだ facebook の存在を 知らない時でしたので 名前も聞かずに 悔やまれます
しかし NYの方たちは 皆さん 本当に親切でした
驚くような光景や 文化の違いや 人の位置付けはあるものの ここNYで 旅の楽しさを知った様な 気がするな~
”愛とは・・・・・”人の永遠のテーマ
重いテーマですね!
なぜ John Lennon で ”愛とは・・・” なのか?
それは John Lennon の製作した 沢山の楽曲の中で 私が一番好きな曲が この”愛(LOVE)”と言う曲だからです
なぜ この曲に惹かれたのか!
私が 10代の頃のお話 幼稚なお話ですが・・・・・・・
高校2年生 16歳 部活動では部長 それなりに 大人に成った時の 夢は抱く 高校生でした
しかし その年 県立高校を中退 思い描いていた夢を失い これからの自分に不安だけを持って 時間だけが過ぎていきました
カッコイイ 言い方をすると ”真っ直ぐ 苦痛の少ないレールを 外れてしまった!”
一旦 外れたレールには 二度と 戻れない
今度は 自分で レールを 作っていかなくてはなりません
そのレールは 歪で 歪んで ちっとも前へ 進んでいかないレールです
結局 教養の無い私は 高校を中退してから うどん屋で バイトをする事になりました
両親の口利きで お得意先の うどん屋さんへ
朝9時から 夜9時まで(3~6時休憩) 時給は300円 1か月働いても 6万円程の 給料だけでした
後々 考えると 両親が見習いで入れたらしく 私はバイトのつもりで働いていました
時給300円でも 昼に1000円以上もする うどんを食べて 夜も 夕食を食べさせて頂いていたので 時給は引かれて 300円だと 勘違いしていたのですね
それだけ 世間知らずの幼稚な16・17歳 時代だったんです
何度でも言いますけど バブル期の時代ね!
そこで2年近く働いて その後 夜間高校へ行くのですが・・・・・
当時を振り返ると 給料の少なさよりも 人と接することが無くなった事に 苦しんでいたような気がします
これも カッコ付けて言うと ”孤独だった!”って事ですけど
そんな時に 聞いていた曲が John Lennon の曲
彼の曲を 帰宅して 夜 ピアノで 防音用のソフトペダルを踏み 一人で 弾き語っていました
ふと あの頃を 思い出してしまった
あの時の 惨めさは 何だったんだろう?
どうして 自分は こんな風に 成ってしまったんだろう?
なぜ 皆と 同じ事が出来なかったんだろう?
自分は 人として 何が劣っていたんだろう?
そして 自分が 育った環境って 親って 家族って・・・・ そして 愛って 何だろう?
そんなことを考えながら 自分が 幼稚であることに 気が付け無いで 言葉だけ 綺麗に繕っていたな
私の 幼少期は ネグレクトに近い生活 少年期は アダルトチルドレン予備軍
そりゃ 劣等感も募る訳だわ!
こんな人間が 父親になったんですから 妻も子供達も 私から 辛い思いを させられたんだと思います・・・・・
10代の あの頃 いったい 自分は 何に 飢えていたのだろうな~っ
家族の温かさ 親との会話? いやいや そんなもんじゃないな!
ただ 普通の生活! 普通に ご飯が食べれて 普通に お風呂に入れて 怯える事の無い時間があれば それで 良かったんだよな!
普通に 無意識に 優しさを感じられていたら・・・・・
だから あの時 John Lennon の ”LOVE” と言う 歌に 心惹かれていたのかもしれない
そして ”愛とは・・・” 何なのか 知りたかったのかも・・・・・・
LOVE John Lennon(Youtubeへ)
Love is real , real is love
愛とは真実 真実とは愛
Love is feeling , feeling love
愛とは感じる事 感じる事が愛
Love is wanting to be loved
愛とは愛される事を望み 望まれる事
Love is touch, touch is love
愛とは触れるもの 目に見えずとも 触れる事が出来る
Love is reaching, reaching love
愛とは到達するもの 人はやがて愛に到達する
Love is asking to be loved
愛とはお互いが話し合い 理解し 育むもの
Love is you
愛とは あなた
You and me
君と僕
Love is knowing
愛とは 知る事
we can be
僕達は それが出来る
Love is free, free is love
愛とは自由 自由こそが愛
Love is living, living love
愛とは誰かの為に生きる事
Love is needed to be loved
愛とは人を必要とし 人から必要とされる事
16歳の あの頃 幼稚で 愛が何なのか 知らなかった私は 30年経って ようやく 知ることが出来た
妻に愛され 子供に愛され 長い年月をかけて・・・ そして 旅をして 人を学んで やっとだ!
私は 家族に 28年かけて 愛とは 何なのかを 教えて貰った
今 私は ” 愛 ” と言う 言葉を 意識しないで 穏やかに 毎日を過ごしている
もしかすると ” 愛 とは・・・・”
そんなことを 考えさせない事が 愛なのかもしれない
だから 私は 妻と子供達に ” 愛 ” を 意識させない様に 分からない様に 愛を注いでいる
妻と子供達が 私に してくれたように・・・・・・
Love is like a flower – you’ve got to let it grow.
愛とは 育てなくてはいけない花のようなもの!
今日は John Lennon の 命日
久しぶりに ”LOVE” を 聞いたな~