本日 次男が 10か月間の 職業訓練校の過程を終了して 無事に 卒業を迎えました
以前 長女が 同じ 訓練校を卒業した時 BLOG(大寒波の中 長女卒業!そして 5年前の動画と日記・・・)に書いた ”人は なぜ 働くのか?”の 問いの答えを 次男へのメッセージとして 送りたいと思います
この答えは 社会不適合者である 私の答えなので 不愉快に思われましたら お許しください
次男は 訓練校の卒業を前に 成人式を迎えることになっていました
しかし その成人式に 参加できなかったのです
受け取るはずだった20年前の手紙
2021年1月10日
地元の 成人式の日
この日の為に 昨年末 オーダースーツを新調し 新年 早々には リーガルの革靴を購入
楽しみにしていた成人式で 友人たちとの再会を待ち望んでいました
ところが 成人式の前日 訓練校の行事を終えて 帰宅するはずだった 1月9日の昼過ぎ 私達の所へ 電話が 入ります
「帰れないかもしれないので 今日の迎えは 来なくて大丈夫です」・・・・
寂しそうな声で この言葉だけを言って 直ぐに 電話を切りました
私は 次男の口調で 大体の事を 察して 妻と 慰めの言葉を 考え始めます
私達が 次男の寮へ迎えに行くのは コロナによる 緊急事態宣言での 苦肉の策だったのですが 迎えに行かないとなると 明日は もう 無理です
その夜 次男から 再度 電話がありました
「すみません やっぱり 今日 帰れません・・・・」
『じゃ 明日の成人式も 参加できないのか?』
「うん」
『そうかっ~ 一生に一回の行事だけど 仕方ないな』
「うん 残念だけど 諦めます」
『何もしてやれなくて ごめんな!』
「そんなぁ 成人式用のスーツを買ってもらって 靴まで揃えてもらったのに こっちの方こそ 着ることが出来なくて 申し訳ないです」
『なんで? 成人の お祝いだから それは 気にしなくていいよ』
「あと 帰宅できない 理由が 話せなくて すみません 守秘義務があるから 何も 言えない・・・・」
『いいよ いいよ ”一緒に行く友達とか 二十歳の自分への手紙の係が出来ないこと” とか 先生に 連絡した?』
「うん それは あとからする・・・」
『そうか じゃ 切るけど 今回 全国で 成人式を中止する自治体もあるし お前みたいに 行きたくても 行けない子も 沢山いるただろうから・・・ どちらにしても 今年は 異常な年の 成人式だから これはこれで お前にとっても 一生 忘れられない成人式になったな・・・』
最後に 響かない慰めを言って 電話を切りました
後日 ネット記事や TVニュースで 次男の 帰宅できない理由が 発表されました
その後 次男は 何とか 無事に コロナの感染は 免れたようです
後日 訓練校から 手紙で 卒業式の予定が 送られてきました
本年度の卒業式は 保護者参列が 中止とのことです
これは いたしかたありません コロナによる 感染拡大の危険を回避するためですから
今年の訓練生は 全て コロナウィルス感染対策が 未知数の為 後手後手に回り 色んな意味で 辛い日々を送り 指導側も 緊張感の中で 沢山のご苦労があったようです
私達も 入学式の参列中止から 卒業式の参列中止まで 次男の勇姿を見ることが出来ず 本当に 残念な思いです
そんな次男ですが コロナ禍で 精神的に追い詰められ さらに過酷になった訓練を 10か月間乗り越え 無事に 卒業しました
余談ですが 一番つらかったのは 最後の コロナによる隔離生活だったそうです
そして 成人式から1か月後 一度帰宅することになり 成人式に 貰えなかった 二十歳の自分への手紙を 当時のクラスメートから 受け取ることになったそうです
次男に 写真のBLOG掲載の許可は 取っています
クラスメートの女の子から 写真の手紙を受け取って その日 笑いながら 私達に
「二十才の自分へ の手紙を読んだんだけど 俺 馬鹿だよ すっげー 恥ずかしいことが書いてあったわ ほんと 幼稚だったわ!」
『なんて書いてあったの?』
「・・・・・・・・・時には つまずくことがあるから この言葉を おおもいだしてください。運命よ そこをどけ おれがとおる。 だって なんだそれ?って感じだよね」
私も それ どんな言葉や!って 感じでしたが 数時間後
「あのさ さっきの 言葉だけど Michael Jordanの言葉だった! 俺 なんで あんなことを書いたんだろう?」
『確かにそうだな 小学生の お前が 浮かぶ言葉じゃないよな・・・・でも お前らしいよ』
Michael Jeffrey Jordan
”Out of my way. your fate.I'm going through.”
Michael Jordanと聞いて
この言葉 重いな・・・・・
次男には 程遠い言葉です もちろん 私もですが
でも これから 次男が 進む仕事は まさに この言葉が 励みに 繋がります
愛知県で 最も 激務な勤務地ですから
綺麗ごとで 守られてきた次男には 見たこともないような 世界が 待っているでしょう
辛いことばかりで 逃げ出したい もう辞めたい 自分の夢みた仕事を 諦めるしかない これ以上 自分の力では どうにもできない・・・・
そんな時 ほんの少し この Michael Jeffrey Jordanの言葉を書いた自分を 思い出せるといいな
嫌な運命なんて 自分が決めた 限界にしか過ぎないから・・・・
そして・・・・・
10年前の二十歳の約束!
次男は 小学4年の担任の先生に貰った 10年後の約束のカードを 大切に持っていました
あの頃 ヤンチャな次男は 多分 クラスメートから 良く思われていなかったのかもしれません かなり 我が強かったため 自分の欲求を押し通していたみたいですし
その時 次男で嫌な思いをした人 ごめんなさい
でも そんな次男ですが 4年4組の仲間を 大切に想っていました
子供は 色んな事を経験し 人との関わり方を学びながら 少しずつ成長して 大人に成ります
どんな大人に成るかは どんな人と出会えるかですが 次男は 高橋道場で 剣道を通じて 素晴らしい方々に 出会い 育てられました
今の次男は 子供の頃より 少しは 他人を思いやる気持ちが芽生えたと思います
そして 迎えた 訓練校 卒業式の日
2021年2月2日
次男は ひっそりと 訓練校を 卒業しました
今後 2年間は 勤務地 近くの寮から 通うため 卒業式の当日から 一人暮らしが 始まります
しかし 引っ越しの準備が出来ておらず その日 配属先から帰宅しても 部屋には何も無く 生活できません
そのため せめてもと 長女に 寝具だけ 運んでもらいました
明日から 保育園の頃から夢を抱き 目標にしてきた職業の舞台です
働き始める次男へ
もし 働くことが嫌になったら 働く意味が分からなくなったら 頭の悪い父親の 戯言を読んでください・・・
人は なぜ 働くのか?・・・・・
私の出した答えを言う前に ”働く” こんな 当たり前のことを 書いて ごめんな
でも 俺は その 当たり前のことが 出来なかったんだ
何回も 仕事を変えて
若い頃 働く事が 嫌で嫌で 仕方なかった
高校中退の 中卒者で 真面な就職が 出来なくてさ 最初 バイトで時給300円 1か月 6万円の給料を貰って うどん屋で 働いていたんだぜ
俺 劣等感が強かったから 高校を中退するまで 我武者羅に 人を見下す為の職種を目指して 勉強しててさ
そこそこの大学に入って 多少 見栄を張れる職業に就こうとしてたんだ
でも 結局 誰でも出来る 学歴・資格 試験がいらない仕事に就いてさ
そうゆう仕事が 恥ずかしかったんだな
友人だと思ってた奴には 小さな夢を語っても 「お前の言ってることって 所詮 中退者の足掻きだわ!」って 言われるしな
夜間高校を 卒業して 建材の営業で 業績を上げても 給料 安かったし
20代半ばから 八百屋の仕事を手伝うようになってからは さらに酷くなって
妻と子供が4人いても おじいちゃんから 1か月 10万しか貰えなくてな
ほんと 働くことが 嫌だったわ!
それがさ 何十年経って 今は 全然違うんだぜ・・・・
働いてきて 良かったと思ってるんだ 見栄を張れる仕事じゃないけどな!
お前から見た 今の 八百屋の仕事って 楽そうに 見えるだろ!
だけど これが けっこう 大変なんだぜ
いや 辛いことの方が 多いかな・・・・
でもな ”働く”ことで 俺に 沢山の物を 与えてくれたんだ
だから きっと お前も これから ”働く”ことで 沢山の物を 与えてくれると思うんだ
ここから ”人は なぜ働くのか?”の答えになるんだけど 今まで 俺が ”働く”ことで 与えてもらえた物を お前に 話すな・・・・・
社会人に成る次男
まずは お金を 与えてくれた
生臭い言い方だけど やっぱり 生活するためには お金が必要なんだよね
だから 若い時は お金を稼ぐ為だけに 働いていたなぁ それに 欲深かったし
でも お金の為だけに働いていたころは 苦痛以外の 何者でもなかったな
それでさ どうしたら楽しく働けるか?を 考えたんだよね
どうせ お金を稼ぐんだったら 人が喜ぶことをして 稼ごうと思ってさ
そしたら 他人の喜びが ”自分の喜び”に なっていたよ
次に 学ぶことを 与えてくれた
俺 高校中退の中卒だから 他の人より 教養がないんだよね
働くようになってから 学校の教科書を 勉強しなおすんじゃなくて
人と人との繋がりを 嫌というほど 学んだんだ って言うより
たくさん 恥をかいたわ!
無知って 怖いんだぜ 下手すりゃ 世間から外されるしな
でも 見下されて 馬鹿にされているうちに それなりに力が付いてて
学ぶことで ”自分が豊かに” なっていったよ
次に 多くの出会いを 与えてくれた
働いていると 色んな人と出会うんだよね
俺さ 高校中退した時 ちょっとした引き籠りをしていてさ
誰とも会わない時間があったんだけど 孤独って 案外 きつくてな
楽(らく)だったけど 惨めだったわ
働くようになってからは 自分が 社会に携わっているって実感してさ
その中には 自分にとって 有意義な人ばかりじゃなくて 嫌な人も いてな
でも どんな出会いでも 自分にプラスにしていったわ 一期一会な!
今 思えば 出会った人 全員が ”自分を成長”させて くれたんだな
次に 社会的な信用を 与えてくれた
これは お前のお母さん 俺の奥さんの お陰でもあるんだけど
働くって 責任を引き受けることになるのな
毎日 何百人の給食材料 学校の授業の調理材料 電話一本で飲食店の求める予算と良質の野菜 利益を度外視した果物の籠盛
それが1個でも 10円の利益でも 必ず 届けたんだ
何十年も続けて やっと 社会的に信用されるんだけど
こればかりは ほんと 積み上げた行動でしか得られないものだったわ
それに 信用は お金じゃ買えないんだぜ
だから 真面目に働くことで ”自分の信用”を 積み上げるしかないんだよな
※ すまん これは やっぱり かぁかの信用が 俺の信用になっているわ
次に 自信を 与えてくれた
若い時は 勘違いした 薄っぺらい自信で 自分が高慢になっちゃってさ
多分 本当の意味での 自信ってやつが 無かったんだな
馬鹿みたいに 人に認めて もらいたがっていたわ
真の自信ってさ 他人の評価じゃ ないんだよね
本物の自信って 信頼を蓄積して
自分の目標を成し遂げなければ 得られないもんなんだよな
何十年と 八百屋をやって ようやく ”自分に自信”が 持てるようになったわ
これも やっぱり 真面目に働くことからしか 生まれてこないな
最後に 感謝を 与えてくれた
これが 一番大きいかな
俺 若い頃 人に感謝なんて したことなかったわ
物を売る仕事に就いても 言葉だけの ”ありがとう” を言っててさ
口先だけの 口八丁手八丁って奴な
それがさ 大切なものを失いかけて どん底に落ちた時
本気で 感謝の意味が分かったんだよね
普通の事が 本当は 恵まれているって事に 気が付いたんだよ
八百屋だから ベルさんの商品を買ってくれるお客さん 少しでも安く仕入れさせてくれる市場と問屋さん 仕事を通して 色んな事を教えてくれた人達
それと 要領は悪いけど 人の何倍も お客さんに尽くす妻(お前のお母さんな)
みんな 心の底から ありがとう御座いますって思えてさ
それで 人に感謝してたら なんか 穏やかになっていってな
(たまに 腹を立てるようなこともあるし わがままを言う時もあるけど・・・)
気持ちが 穏やかになると 人に何かを返したくなって
ある時 ふと 気づいたんだ 人に感謝してると ”自分が満たされる”って
仕事をしてたら 感謝することばっかりに なっていたわ
これが 俺の 仕事をして 与えられてきたもの(妻に教えてもらった事)かな
人は なぜ働くのか? なぜ働かなければいけないのか?
そして 何のために働くのか?
やっぱり 自分の為に 働いているんだな・・・・自分が充実する為か!
あくまでも 未熟な ちょっと頭の弱いオヤジの答えなので 今後の お前の参考になるか 分からないけど・・・・
あなたは あなたの答えを 導き出してください・・・・・
それと もう一つ
配達の途中で・・・・・
俺さ 腎臓が悪くなってから 朝 市場への往復の時 2Lの水を飲むようになって
配達の帰りに よく 公園のトイレを借りるんだよね
そうすると いつも トイレが綺麗でさ
何で そう思うかというと 俺が若い時まで 公園のトイレって 汚くてな 変な下ネタの落書きとか 煙草の焼き付け跡とか 噛み終わったガムとか 痰とかがあってよ
入れたもんじゃなかったよ
お前も 分かるだろ 東南アジアの旅じゃ トイレって お金が必要だったの! それに ヨーロッパの旅の時なんかは 公衆トイレすら 見つけるの大変だったじゃん
旅しながら 俺は お前の「パパ おしっこ!」って言うのが 怖かったわ!
配達の帰り 色んな公園のトイレを 使うようになって たまに 朝の時間だと 掃除をしている ご年配の方と会うんだけど
その時 俺 声をかけるんだ 『綺麗なトイレを使わせてもらって ありがとう御座います』って 偽善者って言われれば それまでだけど
昔のトイレや 海外のトイレを知っていると 綺麗なトイレを使わせてもらっていることが ありがたくなってな それも 只でだぜ!
だいぶ前のことだけど この写真の公園のトイレを掃除してくれる おかぁさんと顔見知りになって 挨拶するようになってさ
ある大雨の日に 公園の前を通ったら その おかぁさんが 雨の中 カッパを着て ゴム手袋付けて 綺麗に 磨いていたんだ
ふと こんな大雨の日まで 掃除しなくてもイイのに・・・って 思っちゃったんだよね
それで たまたま 次の日 配達が終わって このトイレを使わせてもらおうと立ち寄ったら おかぁさんが 掃除をしていて ちょっと 話したんだよね
『ねぇ おかぁさん 昨日 大雨の中 掃除されていましたよね 雨の日でもするんですか?』って
そしたら
「そうだよ 毎日やってるよ」って
俺 驚いちゃってさ
『そうなんですか 昨日 前を通ったら 大雨の中 掃除されていたから ビックリしちゃって!』
おかぁさんは 少し微笑みながら
「雨の日でも やるよ~っ」って
俺 お礼を言ったんだ
『いつも 綺麗なトイレを使わせてもらって ありがとう御座います』ってな
そしたら おかぁさんが 満面の笑みで
「綺麗でしょう 毎日 掃除をしているからね それに 綺麗な方が 気持ちが良いでしょ~」
直ぐに 答えちゃったよ
『はい 本当に 気持ちが良いです いつも ありがとう御座います』
おかぁさんは 誇ることもなく
「は~い ありがとさぁ~ん・・・・」
まっ これだけの話なんだけどな
仕事って 凄いだろ ほんとに 小さなことだけど どこかで みんなが 繋がっていて 心地良い 社会が作られているんだぜ
お前の知らないところで 誰にも褒められず 分かってもらえず 認められず それでも 人知れづ 誰かの喜びのために働く もっと言うと 誰かの喜びすら求めず 当たり前のように 働く こういう人たちが 綺麗な環境を支えているんだぜ
どんな仕事でも 人に必要とされていることが 生きてるってことの様な気がするんだ
多分 お前の選んだ仕事も 想像以上に 大変だと思う でも 間違いなく 人に必要とされている仕事だ
お前の頑張りや 苦労なんか 誰も 理解しない でも それでいい!
人の分からないところで 気づかれないところで 人に優しくしてな
お前の知らないところでも お手本になる人たちが いっぱい いるから・・・・
子供の頃からの夢を 現実にした次男へ
この動画を贈ります
カズ この旅はさ 俺にとって大きな意味のある旅だったんだよね
それは 俺 本当は 駄目親で 父親失格なんだよね
お兄ちゃんに 気づかされるまで 良い父親だと勘違いしていてな
お兄ちゃんを 苦しめていることが分かって やっと 自分が 頭の弱い人間だって気づいてさ その頭の弱さが 大きな劣等感だったことも 分かったんだ
だから お兄ちゃんを使って 自分の劣等感を 埋めようとしていたんだな
その お兄ちゃんへの謝罪の気持ちで 俺は ある計画を立てたんだ
それが お前と行った 東南アジアの旅だったんだけど・・・・
当時 澤木耕太郎の【深夜特急】と言う 実話に基づく小説があってね それを真似てみようと思ったんだ
それと 俺が若い頃 1996年4月に始まった猿岩石の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」っていう番組があって それも 影響を受けていたと思うんだけど
それで 高校生になったお兄ちゃんを誘ったんだけど断られてさ 当然だけど 俺が付けたお兄ちゃんの心の傷は そう簡単には 治らなかったんだ・・・・・
そしたら 小学生のお前が 俺と一緒に旅をしてくれるようになって この計画が 現実をおびてきたんだよね
1か月間の東南アジアの旅が・・・・
仕事では かぁかに無理を言って お前の小学校では 担任の先生に1か月の休学の許可を取ってもらって 2012年3月12日 実行したんだ
お金もないから 貧乏旅でよ
バンコクへも タイ国際航空の直行便(格安チケット)
セントレアーバンコク
片道 俺13000円 お前11500円(子供料金)を 手に入れてな
最初に目指したのは ”深夜特急2 第5章 娼婦たちと野郎ども マレー半島Ⅱ”の 舞台となったペナン島を バンコクから寝台列車で 目指したんだ
上の動画は その時のな!
また この旅の事は こちらのBlogで 旅日記として残しておくから
俺は 子供のお前から 世界中を旅して 沢山のものを もらったんだよ・・・
お金じゃ買えない 一生の宝物の思い出をな!
だから 今の俺は お前に お金では買えない何かを返すことが 生きる糧になっているんだ・・・・・
それじゃ 訓練校 卒業 おめでとう そして 新社会人 おめでとう
陰ながら 応援させて頂きます
なかなか あなたの役に立てない・・・老いた父より