今の 私の生き方は 長男への借罪返済人生と なっています
その長男と 世界の旅 第二弾が 計画されました
Project”SD” Code name999
プロジェクト名の”SD”とは Shanghai Disneylandで 御座います
なぜ ディズニーランドに行こうと思ったのか・・・・・
旅行記の前に・・・・・・
序章
私とディズニーランド
1983年4月15日 千葉県浦安に Tokyo Disneylandoが 開園しました
その時 私は中学3年生の受験生でした
前年の夏 TVで 2代目ケンちゃんこと 岡 浩也君が ディズニーランドの工事現場をレーポートしていた番組を見て ”凄い遊園地が出来るんだな~”ぐらいにしか 思っていませんでした
そりゃ 幼少期から青年期まで 遊園地には 行かない家庭でしたからね
それに ディスニーって 何?ってぐらい ディズニーアニメも 知りませんし!
そんな どうでもいい ディズニーランドへ 私は中学校の修学旅行で 行くことになりました
ちなみに 前年度まで 後楽園遊園地だったそうです
そして 1983年 開園の年に 初めて ディズニーランドへ行きました
正直 ちんぷんかんぷんんでした
そりゃ ディズニーアニメを 全然 知らないんですから ミッキーマウスって 何だよ! トムとジェリーの ジェリーの友達か?って レベルです
そんなんだから ただの デカイ遊園地ぐらいにしか 思っていませんでした
パーク内では ただただ 班行動の範囲内だけで 遊ぶだけでした
そんな 15歳で とりあえず行った ディズニーランドが 私とディズニーランドとの出会いでした
そして 月日はながれ ディズニーランドが あることすら忘れていた 24歳の時の事
友人から ディズニーランド凄いよ!エレクトリカルパレードって言うのがあって すっごい綺麗だし!それに 周りにHOTELがあって それが最高に良くてさ~ぁ! と ディズニーランドの話を 詳しく教えて貰いました
そして 長男が 1歳に満たない頃 1992年 家族3人 日帰りでディズニーランドへ 行く事にしました
Tokyo disneylandが 9周年の年でした
1992年10月 長男10ヶ月 初TDL
9年振りに行ったディズニーランドは 感動そのもの!
それにもまして 一番嬉しかったのは 長男の喜ぶ顔でした
今でも その顔が 忘れられません
今の長男には あの頃の記憶は 間違いなく 無いでしょうけど
白雪姫と王子様とフリーグリーティング
着ぐるみのキャラクターや ミッキーマウス おとぎ話のお姫様が 目の前にいて・・・・
長男は それを見て きょとんとした顔をしていました
私も ディズニーランドって こんなに 楽しかったんだって 9年前を 思い返していました
始めてみるエレクトロニックパレード
夜のパレードでは 長男は 目を輝かせて 綺麗に電飾された車を 見つめていました
そんな長男の顔を見て 私は 最高の喜びを 味わい 幸せを感じていました
トムソーヤ島で 長男と・・・・
16歳で高校を中退して 幼稚なまま 世間知らずで 自分が惨めな人生を歩んでいると思い込んでいた私にとって 自分の息子の笑顔は 自分の劣等感を埋める 最善の方法でした
それから 幼稚な私は TokyoDisneylandと ディズニーアニメに 少しずつ 酔しれて行きます
低所得ながら 毎年 お金を貯めて ディズニーランドへ 家族を 連れて行くようになったのです
シンデレラ城前 長男と妻
ディズニーランドが 家族の幸せの象徴だと 勘違いして・・・・・・
その後 一人ずつ 家族が増えて 家族が6人になっても 毎年のディズニーランドは 欠かせませんでした
小さな子供を連れての 6人で行くディズニーランドは 大変でしたが 4人の子供達の 喜ぶ顔が見れるだけで 私は幸せでした
八百屋を継いでからも ディズニーランド行きは 続きます
但し 八百屋の仕事を始めてからは 父の 帰宅後の嫌味を覚悟しての決行でしたが・・・・・
そんな中でも 家族全員で行く ディズニーランドは 11年間 続けました
それが 家族の幸せだと思っていたからです
しかし ディズニーランドは 私の家族にとって 幸せの場所では ありませんでした
すくなくとも 妻と長男には・・・・・・
幸せだと思っていたのは 私だけだったんですね
他人から見れば 私は 子煩悩で 愛妻家で 家族を大切にする 良き父親に映っていることでしょう
しかし 実際には 全然 違います
あの頃の 私は 自分に酔って 羨ましがられる家族を目指していました
本質は 自己陶酔!
さらに たちの悪い事に 家族に苦痛を与えている事に気付けず 良い父親 良い夫だと 勘違いしているんですから
本当に 最悪の父親です
私たち家族の 後半(八百屋を継いでから)のディズニーランド旅行は 夫婦喧嘩ばかり・・・・と言うより 一方的に私が妻に怒るだけ!
そりゃ 劣等感の塊のような私は 移動の車の中でも 思いどうりにならないと 直ぐに 妻を怒鳴りつけて 威嚇して 小間使いさせていたんですから
そんな妻は いつも 私に気を使って 私の ご機嫌を取って ピリピリしながら ディズニーランドに 行っていたんです
8回目のディズニーランドの時には 16:00頃のショーを見終わってから 20分ほど 妻と逸れてしまい それで イラついて 『もう 帰るぞ!』って そのまま 怒りながら 18時に 帰った事もありました
当たり前の如く 帰路の4時間は 沈黙で 車の中は 会話無しです
そんな 傍若無人な 我侭な 最低な父親を 大きくなっていく長男には どんな風に映っていたんでしょう
自分の大切な母親が 父親に怒鳴られ 気を使っていて 本来なら 楽しいはずのディズニーランドで 嫌な思いをしているんですからね
私と妻は 私が八百屋を継いでから ほぼ無休で 日曜日の休みも無く 1年中仕事をしていました
親からは 八百屋に休みなんかあるわけないだろ!って 言い続けられて 毎日毎日 お店で缶詰状態!
働く事の苦痛は それ程 ありませんでしたが 子供を遊びに連れて行ってやれない苦痛は耐えがたいものがありました
それなのに・・・・・・その苦痛(イライラ)を 私は 妻や小学生に成った長男に 吐き出していたのです
子供の為 妻の為 家族の為って・・・ 本当は 全部 自分の為だったんです!
このディズニーランドだけが 我が家で 唯一の 楽しみの日であり 休みの日なのに 妻と長男にとっては 地獄のディズニーランドに なっていました
その長男は 9歳ごろから しぶしぶ着いて来て 楽しそうじゃなかったな!
もし 妻や子供が 楽しんでいる姿を見て 腹をたてて イラつくような人
もし 妻や子供が 辛い思いをしていると 嬉しくなって 喜んでしまう人
もし 家族が 自分の思い通り 言う通りにならないことで 怒ってしまう人
それは 自分に大きな劣等感を持っている人です
いつも 自分が損をしていると思ってしまう人です
私の父親も 母親も そうでした 多分 自分では気が付いていないでしょうけど!
そして それは 親子で 連鎖していきます
私も 親の劣等感からくる 憂さ晴らしから 劣等感を 受けて 無意識に 自分の持つ劣等感から 家族を苦しめていきまいた
一番楽しいはずのディズニーランドが こんなんですから 普段なんて もっと酷かったでしょう
2004.01.22家族だけで行く 最後のTDL
そして 2004年1月22日が 家族6人で行く 最後のディズニーランドになりました
長男にとっては 解放される 最後の地獄のディズニーランドです
この後 見えないところで じわじわと 亀裂が入り 3年後 突然 家族は 崩壊しかけます
私は 良いと思って 積み上げてきたものが崩れ 初めて 自分のしてきた罪に 気づく事が出来きたのです
そして 家族の再生 自分自身の再生を 図りました
それが 今の 私の生き方 長男への借罪返済人生 です
家族で行った 最後のディズニーランドから 12年 大人に成った長男と 再び 上海にある ディズニーランドを目指します
たかが ディズニーランド!
一般的には 贅沢な娯楽施設!
幼稚な親だと分かっていても やり直し人生の 1つとして ディズニーランドで もう一度 長男の笑顔が見たい!
さ~っ 出発するぞ~ 片道999円の航空券を持って・・・・・・・・・
上海迪士尼乐园へ
長男へ
私は あなたの小さい頃の写真や動画を たくさん撮っていました
そして 9年前 あなたが高校生になった時 私は あなたの1歳頃のビデオ映像を見て 嗚咽が出るほど 泣いてしまいました
『どうして こんな風に してしまったんだろう・・・・・』
『何で この子を 傷つけてしまったのだろう・・・・・・・』
『もっと 早く 親から離れるべきだった・・・・・・・・・』
・・・・・・・・って
私は それから あなたの子供の頃の写真や動画を 見ることが出来なくなりました
もう あれから 9年が経ちます
今回 ディズニーランドに行くことで 24年前の あの頃の あなたの映像を やっと見る事が出来るようになりました
本当に 辛い思いをさせて すみませんでした
これからも あなたへ 償いながら生きていきます
そして あなたから貰った恩を 返して行きます
あなたの幸せを祈る父より