2015年3月25日水曜日

2015 UAE(ドバイ/アブダビ)・オマーンの旅 帰宅 (動画)


最寄のJR駅から 自宅へ向う途中 深夜0時を まわった


帰宅に 日を跨いでしまった



妻へ 駅に着いたことを 携帯電話で連絡をして ほとんど 家屋が無くなった 花ノ木通りを 歩く



目の前には この旅を やりきって 自信に満ち溢れた 息子が居る



外国を旅することは 大した事ではないと思う 


でも 小心者の 私達には 海外の旅は 大きな恐怖の体験でしかない

 
息子の 初めての海外の旅が 中東の ケチケチ旅なのだから そりゃ 少しぐらい 達成感で満ち溢れていても イイと思う!




家路への 一歩 一歩は ほんの少し 誇らしい!


自分で 自分を好きになる事から 劣等感は 埋められていくのだから








そんな 自己満足な 帰宅寸前の 旅の終わりの瞬間だった!







駅から歩いていると なにやら 体の違和感に気づく


寒さで 震えていたのだ


まだ 頭の中の 切り替えが 出来ていない!


春になったばかりの深夜 10℃位なんだから 当たり前か


ここまで 乗り物に乗っていて 気づけなかった





寒さを我慢しながら 急ぐ












帰宅の時・・・・・


































0:05


もう間もなく 家に着きます


家の前で 妻が 私達の帰りを待ちつつ 写真を撮ってくれていた



長かったな~っ


そして 怖かった~っ


無事に 帰ってこれました


すると 妻の後ろに 3人の子供達が ・・・




私達を 迎えてくれたのは 妻だけでは ありませんでした

0時をまわり 明日 学校が部活動や バイトがあるのに 妹弟達が 待っていてくれたのです




寒い中 外で 私達の帰りを 迎え入れてくれました










この旅は 家族の想いが 詰まってる































旅は 私と息子が したものでした

しかし この旅には もっと 大きい意味がありました


”子供達”の想い! ”姉弟”の想いです




それは・・・・・・





8年前 長女は小5 次女は小1 次男は年長

彼らも 家族が 壊れていく瞬間を 見て 立て直そうとしていた



家族は一蓮托生!一人かけても 崩れていきます



私も次男も 丸坊主になって 妻と長女と次女は 長い髪をバッサリ切り落としました





私と妻は 長男に お詫びをし 私の両親と 決別する事にしました


両親の 私達への憂さ晴らしから 解放されるために・・・・





そして 八百屋の仕事を 親と 分けたのです! 




それにより 私達家族の 更なる低所得時代が 始まりました




ここから 私達は 家族6人の再生を スタートさせたのです




長女は 剣道や学校で 数多くの賞を貰い 家族を励まし


次女は 私に沢山の手紙を書いて 私を励まし

そして 目立ちませんが 私達へ 一切の心配事を 持ち込みませんでした


次男は まだ 保育園に通っている年齢なのに 沢山の人達に頭を下げて 家族を守ろうとしてくれました

いつも 前向きで 家族を 笑わしてくれました










どんな風に 家族を笑わせていたか!下の動画を見てください


最高にクオリティーが低い 北斗の拳 






こんな映像を何本も 作っていました!






これを見て 馬鹿な家族だと思うでしょう


本当に 馬鹿で幼稚な家族です



でも みんな 必死で 笑おうとしていた! 

一生懸命に 家族を守ろうとしていた



こんな事を したからと言って 家族が守れるわけではありませんが とにかく 笑うしか無かった




未熟な父親の為に・・・・・・・子供達は 励ましてくれていた





そして 私は 八百屋の傍ら 内職をして 少しずつ お金を貯めて それぞれ 子供達3人と 父親を学ぶ為に ケチケチの海外の旅を 始めました


だから みんな 分かっている!


この旅が この家族にとって どんなに大きな意味を持っているのか!








無事に 到着しました




























家族が待ちわびる我が家へ 到着!


旅を 振り返ってみると 毎日の様に 長女が心配して 長男の事を 気にかけていた

当然 次女も 次男も・・・・・


旅先で 長男と 揉めていないか?とか ちゃんと 会話をしているか?など


旅中 いつも 妻から 私達の様子を聞いていたらしい




私も 毎回 妻から聞く 「お兄ちゃん 大丈夫?」の 言葉は 長女の心配して出ていた言葉だった









もしかすると 無事に到着したとき 一番喜んでいたのは 長女だったのかも・・・・・









兄弟姉妹が 一つになれた!


















やっと 私の想いが 叶った時に 子供達も 一つになれた


これで 4人の子供達と 世界を旅する計画が 達成された







今まで どんなに お願いをしても 一緒に行ってくれなかった長男との旅

長男だけが 一人 外れていた



これで 全員の子供達が 良い意味でも 悪い意味でも 父親と バカな ケチ臭い 旅の思い出話が 出来る事になる





私が 居なくなった時に この馬鹿気た幼稚な計画を 子供達が思い出してくれたなら きっと 自分たちが 同じ親から生まれ 同じ愛情で 育てられた事を 感じてくれるだろう





そう 願わずには いられない!













家族が教えてくれたもの





















今まで 損な生き方は 駄目な生き方だと 思っていた

親 育った環境 能力や性格 ありと あらゆるものが 恵まれている人が 幸せだと 思っていた

だから 自分は いつも 不幸で  無いものばかりを 望んでいた

自分の家族に対してもだ!




17歳で 社会人になり 働くようになって 22歳で結婚をして 23歳で 父親になり 家族が出来て・・・・



ほとんど 思い描いていた 生き方には なっていなかった!


それは 不幸な事だと 思っていた





小さな問題から 大きな問題 自分を根底から覆す問題

50年近く 生きてきて 問題だらけの人生だったように思う


その問題を 隠すように 誤魔化し 笑い続けていた 



8年前まで 偽善の家族を装っていた







多分 私は 幼稚で劣った人間だったと思う 



だから 沢山の問題を 起こして きてしまったのだろう・・・・







旅から 帰宅したときに 寒い深夜の道路で 私と息子を 迎えてくれた 妻と子供達を見た時に 家族が 私の重荷を 一緒に背負ってくれていたんだと 気づく事が出来た




そして 家族のお陰で やっと 両親に 感謝できるようになった


劣った私を生み 惨めな子供時代を過ごさせてくれて 成人してからも 私を苦しめてくれて ありがとう御座いました と






20代の頃は お金や地位のある事が幸せだと思っていた 

30代の頃には いつも笑っている人が 勝者だと 思っていた

40代に成った 今は 何にでも 感謝出来る人が 素晴らしい人だと思う様になった


見栄を張ることも無く 威張ることも無く  馬鹿にされても 嫌がらせをされても 見下されても 自らを知り あるがままを受け入れられる人が 品性のある人に思える





家族が 私に教えてくれた!









息子と旅した UAE・オマーンの旅 歩み編




















動画の 曲は 32年前 中学時代 受験勉強の合間に ピアノで弾き語りをしていた曲です

楽譜を購入して 毎日のように ピアノで弾いては 歌っていた

 
私の中学時代 アイドルの全盛期 周りは 聖子ちゃんだ! 俊ちゃんだ!キョンキョン!マッチ!と みんなが 歌謡曲を聞いている中 ビートルズを ひたすら聞く 変わった少年だった



この曲は ビートルズの John Lennon と Paul McCartneyの不仲で 解散直前の ラストアルバムに収録された曲です

中学生ながら この歌詞の 和訳を熱心に 辞書で調べていました




捻くれた中学生だったのか? 歪んだ両親への苛立ちだったのだろうか?それとも 自分自身を憐れんでいたのだろうか?





この曲を歌うたびに 自分に言い聞かせていたのかもしれない


あるがままを あるがままに (全てを)受け入れる





今 32年経って 息子と旅をして 思い出した


あの時 歌っていた あの曲が 今の私への 家族の答えだった





無理に 笑う必要は ない!


問題が起きても 苦痛を味わっても 屈辱を受けても 


何時しか 自然に 笑いあえる様になる・・・・・・・あるがままを 受け入れられた時に!























長々と くだらない 旅行記を読んでくださり 有難う御座いました



あくまでも 幼稚な親の 戯言 旅日記です・・・・・OTL~