3:00頃 目が覚め うとうとしながら 5:30のアラームが 鳴るのを待った!
アラームが鳴って 少し 眠い状態で バスルームへ向い お湯を湯船に 溜める
目覚ましの バスタイム
程好い お湯加減で ゆっくりと 体を起こしていく
6:00 息子を 起こして 同じく バスタイムを 勧めると 息子は 体を目覚めさせに 湯船に浸かりに 行った
窓の外を見ると 日が昇り始め 岩山が綺麗に 朝日を浴びていた
そんな 4日目 スタートです
今日は この旅 最大のミッション ニズワフォートへ 行きます
ただし ここは 世界遺産でもありませんし 有名な観光地でもありません
私は ただ ここへ 行けるのか?行って帰ってこられるか? それだけを するために 向います
何度でも言いますが 普通の人なら 簡単に行って帰ってこられるでしょう
私は 臆病で 小心者なので この計画を立てただけで 緊張がぬぐえません
単純に 逃げ出したいと思うのです
”ニズワへなんか 行かなくても いいじゃないか!”
そう もう一人の自分が ブレーキをかけるのです
色んな思いをこめて いざ ニズワフォート へ
6:30 晴れ模様
天気予報では 曇りだったのに 空は 青空
朝から 緊張が取れない
まちがいなく 行けるのだろうか? かならず 戻ってこれるのだろうか?
心配は 一向に消えない でも お腹は空く・・・・・
このホテルでは 朝食付きで 宿泊しているので 1番で 会場へ向う
2人だけの 貸しきり状態
バッフェ式なので 息子と2人 食べれそうなものだけを ピックアップして 小皿に取り揃える
それなりに そろっているが 定番の物だけをチョイスして 食べることにした
種類も 沢山とは いかないまでも 満足できる料理だった
回数を分けて 料理を堪能して デザートを頂く
息子も 何度も お代わりをして お腹一杯に 食べることが出来た
なにせ ケチケチ旅ですから 格安のインド料理がメインになります
その中での ホテルの朝食は 最高のご馳走になりました
う~ん お腹一杯
7:30 ホテルを出て バス停へ向う
いい加減な ONTC 約束通り 時刻表通り 教えて貰った通りに いけるのか?
少しでも不安が 解消されるように 30分前に 向う
朝 まだ早いのに 熱いな~ やっぱ ここは 砂漠の街なんだな~
バスターミナルに 着くと バスはやはり来ていない
そこで 彼に ニズワ行の バスを 聞いてみる
やはり 昨晩 教えて貰ったように 4番乗り場 8:00ですよと 教えてくれた
朝から 親切なオマーンの人に 癒されていた
4番乗り場で 待っていると 反対側には バスが止まっている
バスを 除きこむと 誰もいない
7:50 あと 10分で 出発時刻になるのに バスが来ない
息子を 4番に残して 私は 他のところに停まっていたバスへ 聞き込みへ行った
すると 3人ほど 運転手に 『俺 ニズワに行きたいんだけど このバス違うよね?』と 聞く!
驚くほど 全員が同じ答えを言ってきた
「このバスは違うよ!ニズワへ 行きたいなら カウンターで聞いて!」って
当然 私も答える
『カウンターで 聞いたら 4番って言うんだけど・・・・・』
当たり前のように バスの運転手が 「分かんないな~」って 答える
なんとなくだが ONTCの 仕組みが 分かってきたぞ~
このバス会社 国営ぽいけど 想像以上に いい加減で 適当な運行のようだ!
8:00 やっぱり バスは来ない
半分 諦めていた・・・・・ と言うより 行くのを止めたくなっていた!
4番乗り場の 反対側のバスを調べていると 前に NIZWA FORTと 書いてある
息子と 『なんだよ これ ニズワ行のバスじゃんか!』と 2人で安心して 運転手を待っていた
すると 運転手らしき人たちが 3人ほど 他のバスから降りて 歩いている
ここぞとばかりに 声をかけた
赤のターバンを巻いた 若い運転手に・・・
『Excuse me!Where can I catch a bus for NIZWA? 』って 笑顔で 話しかける
すると その運転手は 私を 無視した!
心の声
なんだ こいつ!無視しやがって 偉そうに ディアドロップのサングラス しやがって・・!
後で 無視をした理由が分かるのですが・・・・・・ それと・・・・
8:10
少し腹を立てながら 戻ると NIZWA FORTと 書いてあるバスに 運転手が乗り込んでいた
やった!無意識に 喜んでいた
直ぐに 運転手に 確認する
『このバス ニズワ フォートに 行く?』
「このバスは 違うよ! ニズワには行かないよ!」
『本とですか? ニズワ行のバス 分かりますか?』
指を指して 「あのバスが ニズワに行くよ」って 教えてくれた
指したバスは バス乗り場ではなく 道路に 停まっていた
ふざけんな!まじか! こんなことあるのか!バス ステーションじゃないじゃん!
直ぐに 息子と 焦りながら そのバスに向って 走った!
ニズワフォート行き?だと思う バスに乗る
バスへ着くと ドアの前に バス会社の人が居たので 聞いてみた
『このバス ニズワへ 行く?』
「行くよ! でも 乗り換えて!」
『直接 行かないの?』
「このバスは 途中までしか行かないよ!」
とりあえず乗ることにした
バスに乗り込むと さっき 俺を無視した 奴が 運転席に座っていた
さらに 頭にきた!
あいつ 仕事やる気 ゼロやん!
このバスの 乗客は 私達だけ おまけに でかい荷物が 座席に 積み上げられていた
先ほどの 係りの親父と ディアドロップの運転手の 会話を 聞いていると アラビア語での 会話の中に ”サララ”と言う言葉が 何度も出てきた
この”サララ” オマーンの南の街 イエメンとの国境にある街の名前
そんな 1000Kmも 離れたところへ 連れて行かれたら 帰ってこられない
日本人の発音で 現地の別の地名と 間違われることもあるからね
緊張が 走った!
私は もう一度 文字を書いて 確認をすると 間違いなく ニズワに 行けると 答えてくれた
バスの走行中 持参した オフラインのタブレットで Google Mapの 現在地を ジーッと見つめ このバスの 行き先を 確認していた
Google Map 凄いぞ! オフラインでも 現在地を記してくれていた
とりあえず ニズワ方面の 空港へ 向っていて 一安心
ちょっと 余裕が出来てくると 先ほどの 私を無視したドライバーが 気になって 覗き込む
ディアドロップは 大声を上げて 何かしゃべってる
よく見ると 携帯片手に 大笑いしながら 楽しそうに 話してやがる
そりゃ 乗客は 私達だけだからな~
日本では 考えられない 仕事ぶりだ
バス会社の事務所に 降ろされる
時間にして 20分 ルイから 22Km離れた ONTCの バス会社に着いた
ここは ドライバーの事務所のようだ
バスが停止しても 私は ここで乗換えだとは分からず 座っていると バス会社の初老の方が 私達に 降りろとと 指示する
「君達 どこ行くんだ?」
『俺達 ニズワフォートへ 行くんだけど!』
「そうか!じゃ降りろ!」そう言って 手招きされる
おいおい まじか! バス停じゃ ないじゃん!
そう思っていると 私達を 事務所の中へ 案内した
「ニズワ行のバスは まだ来ないから ここで お茶してけ!」って 汚い事務所の 汚いテーブルに 汚いソファーへ 私達を 座らせた
一瞬で 危険性を判断する
”ONTCって 確か オマーンの国営会社みたいなもんだよな~ ” 想いを過ぎらせ お言葉に甘えて よばれる事にした!
「お前達 オマーン・コーヒーって 知ってるか?」
『なぁに?それ? 知らない! 』
「オマーン・コーヒー 飲んでみ! 美味いぞ!」
そう言って 私達に 御猪口みたいなカップに 注いでくれた
つまみに 茶色い ベトベトした 小さな実を 薦められる
見たことも無ければ 食べたこともない!
『なぁあに これ?』と 聞くと
「これは デーツって言って オマーンで有名な食べ物だよ 食べてみぃ!」
私も 息子も 薦められるがまま デーツを ほおばった
初めて食べる味
食感は 干し柿っぽい それなりに 美味かった
ちょうど オマーン・コーヒーの苦さと合って 手が進む
ちなみに デーツには 小さな 種が有りますので 履き出します
2人のバス会社の 親父さんたちと 数十分話していると 先ほどのドライバー ディアドロップが・・・・・
バスの運転手(ディアドロップ)が 激怒
ディアドロップが 何か 親切な2人の 親父に 言い出した
アラビア語なので 何を言っているか分からない
でも 上司に 文句をいって 怒っているのだけは 理解できた
親父2人も 私達に ごめんなって 言わんばかりの顔をして 私に目線を送ってきた
私も ”大丈夫だよ!”って意思の 目線を 送った
ただ このディアドロップに 無視されたこともあって 腹が立っていたので ビデオカメラで 怒っているところを 息子を撮影する振りをして 撮っていた
その映像が 上の動画
30秒ほどで 気づかれて カメラ止めろ!って 動作をされたので 私も お前なんか撮ってないよ 息子を撮っていたんだよ!って ジェスチャした
そう 彼は 英語が喋れなかった
30分ぐらいした頃だろうか 2人の親切な親父さんが 私に 来た来た!といって ニズワ行のバスの運転手を 紹介してくれた
私達が ニズワフォートに 行きたい事を バスの運転手に告げて 私達に バスを教えてくれた
それと 帰りのバスも 同じバスで そのまま17:30に ニズワから このバスに乗ることを教えてくれた
しかし これが曲者だった!
バスに乗ろうとすると 2人の親父さんたちが 私達を 見送ってくれていた
彼らの写真を撮ると 手招きしている
「こっち来い!一緒に撮ろう!」って

私は 直ぐに 息子を呼んで 2人の親切な親父さん達と 写真を撮らせてもらった
どこまで 人が良いんだろう!オマーンの人たち
この時間だけでも ニズワを計画して 良かったと 思った
ニズワへ 向って バスは 走り出す
彼が 運転手 先ほどの ディアドロップに比べたら 断然 良い運転手だ
親切に 私達が ニズワフォートへ 行きたい事を 理解してくれて 優しく接してくれた
ルイから ニズワフォートまでの 運賃
1.9 OMR (627円)
なんと 名古屋 大阪間の距離を 600円で 行けてしまう
円安なので この価格ですが・・・・
で バスは 私達だけ
それは ここが バス停ではなく バスの運転手の事務所だから 乗客は ここから乗らない
じゃ ルイから出発する ニズワ行のバスは なかった事になります
いい加減な バスの運行だ!
それで 私の頭に巻いた タオル
先ほどの ディアドロップが 私のことを ナメタと思って あいつがターバンを巻いているなら 私達は 日本人なので タオルを巻いてやれって ことで 威嚇してやった
実際 私の頭を見て 少しは 緩んでいたように感じられた
しかし このタオル巻き 帽子を持参していない私達には この後 凄く役に立つことになります
ここは 先ほどのバス会社の事務所より 16Kmほど 空港近くの ランアバウト(交差点)にある バスステーションです
ドバイからルイへ向う途中 ここで降ろされるはずだった 大きなバスステーションです
ここから 数人の乗客が乗り込みました
そのとき 白人の60才ぐらいの女性一人が乗ってきて なにやら ドライバーと話し始める
ドライバーも なんとなく 英語が苦手そうで 彼女の言っていることが 理解できないようだった
私も タブレットの地図を出して 『私達は ニズワフォートへ 行くんだけど!』と伝えると 彼女は ニズワの宿泊する ホテルへ行きたいらしい
そりゃ バスが ホテルまで行くわけないし 有名なホテルだって ニズワには無いし やっぱり 白人の方の 感覚は違いますね
それでも 少しは 手助けが出来て 喜んでくれました
このバスステーションには 時刻表があって NIZWA行きは 8:25とありました
そう RUWI が 8:00出発で Burj As' Sahwah が 8:25 出発
この時刻表なら 間違いありません
しかし 今の時間は 9:30 このバスステーションですら 1時間のズレが しょうじています
信用できない 運行状況です
数キロ 走ると バスステーションではない所に バスが停まります
何だろう ガソリンを給油するわけでもなく お客を乗せるわけでもなく
すると ドライバーが ”プンッ!”って クラクションを鳴らす
直ぐに 赤いシャツを着た コーヒーショップの店員が 紙コップに コーヒーを入れて 向ってくる
オイオイ!まじか!
店員が ドライバーに コーヒーを渡し ドライバーは100Bz(33円)渡していた
ホント 凄すぎるだろ!この緩さ!
私は 感心していた 乗客の命を守るドライバー 安全への配慮が 全然ない!
どこまで 大らかな国なんだ!
ニズワに向けて 荒野を走り続ける
iphoneに入れた 音楽を聴きながら 果てしなく続く 荒れ果てた景色に うっとりしていた
息子との事 自分が親になった頃の事 自分が親にされた事 そして 今まさに 息子と遣り直しの旅をしている事を 考えていた・・・・・
気分は こんな感じ
完全に 酔っていた
車にではなく 自分自信に 酔っていた
ところが 時々 バスが微妙に揺れる
ハンドルを 急に戻す感じの揺れだ!
外の景色から ドライバーに 目を移すと・・・
その目を 疑った!
お~お~お~ ま・じ・か・よ!
ドライバー 片手で運転しながら メールを打ち込んでいた
じっくり観察すると 完全に 打っている時は 進行方向を見ず 携帯電話を見ている
もう 私の想像を 遥かに超えた 緩さだった
この人に命を預けるしかない!そう 覚悟を決めて また 余韻に浸り始めた
時折 オフラインのGoogle Mapを 見ながら 自分の位置を確認していた
2時間ほどで ニズワに 着いた
ここは ニズワ空港近くの バス ステーション
なんとなくだが ONTCの バスの意味が分かった
砂漠の国では 長距離バスがメインになる そのため ある程度の大きさの街ごとに バス ステーションがあって そこに停まって 人を乗せるみたいだ
確かに 日本のように 鉄道があるわけではないので それぞれの街に 小さな小屋があって そこがターミナルの代わりをしていた
先ほどの白人の女性も ここで降りようとしていたが 止められていた
それは このステーションが 何もない僻地にあるからだ
ようは TAXが 居ないということ!
そこで ドライバーは 彼女のために ニズワの町の マーケットまで 乗せてくれることになったのだ
こうゆうところは とても融通が利く!
バスが 走り始めて 大通りに出ると ラクダが 堂々と歩いている
バスの車窓から 撮影したものですが やっぱ 凄い国だわ!
ニズワの バスステーションから 数キロのマーケットに 運転手が バスを停めた
ここなら TAXが 簡単に捕まるからと
ここから ホテルへ 行って!と言うことだ
なるほど オマーンの長距離バスは 本当に親切です
乗客の降りたい場所で バスルートからの最短の所で 降ろしてくれます
バス停は無く 運転手の配慮で 乗客を降ろしてくれる
私も 彼女に 良かったね!って ここで お別れをしました
彼女も 私達に 頑張ってね!って・・・・・
旅って ホント 色んな出会いが あるもんです
そして 色んな人を 知ることができる
彼女は 今まで どんな人生を 歩いて きたのだろうか?
そして どうして その年で 一人旅を しているのだろう?
それぞれの想いがあって みんな 旅をしている
小さな親切で 相手を思いやり お互いの旅の 安全を 願い合う
ニズワフォート近くで バスを降りる
「あそこが ニズワフォートだから ここで 降りて」って
やっと ニズワフォートに到着しました
私は バスを降りて 運転手を 撮影した
ここまで 送り届けてくれたことに感謝して お礼を言って 手を振った とても喜んで 私達に手を振り返してくる
いい若者だ
降りる前に バスの中で 復路のバスでの 帰り方を 教えてくれた
話を聞いて ビックリ ここ ニズワフォートには バス停はなく ここから 直接 乗ることは 出来ないとのことだった
そこで 彼に メモと ペンを渡して バスの乗り方を 聞いた!
ドライバーに どこからバスに乗るのか 書いてもらった
このメモを TAXに渡せば バス乗り場まで 運んでもらえるというわけだ!
しかし アラビア語で なんて書いてあるのか 分からない
多分 先ほど 停留した ニズワのバスステーションではないかと 推測できる
5:30か~ それまで ここで 時間を潰すことが出来るのだろうか?
バスの運転手に 教えて貰った 帰りの方法は 最終手段にして 違う方法に トライしてみようと 考えていた
しかし ホント バスの運行は いい加減で 運転手の采配のようだった
実際 降ろされた所も フォートの停留所ではなく バス路線で フォートに近い場所を 運転手の好意で 停めてもらった感じでした

そして 私達が降ろされたところは 道路の真中!
こんなところ バス停もなければ 歩道もない 幹線道路の ド真中!
それも まだ 道が出来ていない 工事中の道路に・・・・・・
ま!仕方が無いですけどね!
私達しか ニズワフォートに 行かないんですから・・・
いかにオマーンが 自力での 観光システムが 遅れているかが 分かります
バス路線すら 確立されていない! レンターカー向き 観光地!
というより ニズワフォートそのものが 有名な観光地ではありませんから・・・・
もっと言うと オマーンそのものが 有名な国では ありませんから・・・・
息子と ニズワフォートに向けて 歩き 始めます
しかし 降ろされた所が 幹線道路を挟んだ向かい側ですから・・・
反対側のフォートへは 想像以上に車の往来があって 渡れない
そりゃ 日本で言う 国道1号線を 横断歩道無しで 横断するようなものですからね
トラックなんか 凄い勢いで 私達の横を 走り抜けて行きますから 怖くてしょうがない!
苦肉の策で 手を挙げ 車を停めて 横断をしました
その際に 通学バスが通過すると 車内に大勢の子供達が 私達を見て 手を振ってくれました
私達も 手を振り替えします
乗用車に乗っている子供達も 親が 車の速度を緩めてくれて 私達に 満面の笑みで 手を振ってきます
私も その子供に 笑いかけ 手を振ると 子供達も 親御さんも ニコッと 笑ってくれていました
やっぱり オマーンの街では 日本人は 相当 珍しいんでしょうね
タオル巻きも・・・・
大通りも 無事に横断して 大きな広場も 抜けて ニズワフォートに 到着します
想像していた 物とは 全然違っていた
人気は無いものの 少しは 観光地らしく 観光客が 居るのかな?って 思いましたが さほどに居ません
TAXも それほど居ないし 乗り合いタクシーも見当たらない
正直に ここへ来て 帰れるのか 不安になりながらも 砂漠の街の砦へ 入っていきます
Nizwaに 到着 フォートへ
ニズワ(Nizwa)は オマーン中部の都市
オマーン第2の都市であり 内陸部の中心都市 アルダヒリーヤ地方最大の都市である
首都マスカットから170km離れた ハジャル山地の中腹にあるオアシス都市
6世紀から7世紀にかけてはオマーンの首都であり
また1913年から1959年まではオマーン・イマーム国の首都として 海岸部のマスカットに首都をおくオマーン・スルタン国(現オマーン)と対立していた
ニズワフォートの 入り口
日本のお城を イメージしていくと 拍子抜け
小さな 扉が 入り口
写真のトーブを 着た 親父さんに 確認してみる
『ね~ ここが ニズワフォートの入り口で いいの?』
「そうだよ!」
『只で入れるの?』
「中に カウンターがあるから そこで 払って」
やっぱり お金がいるみたいだ!
息子が お金を支払いに カウンターへ
1人 500BZ (165円)
冊子を貰って フォート内へ
見た感じ 数名の観光客のみ・・・・・・・
しかし ここは・・・・・・
2014年11月に 英国のハリー王子が ニズワフォートを訪問しています
フォートの中は 修復途中でした
城壁の崩れたところへ 行って 乾燥した土のレンガに 触りながら 砂漠の街の建物の材料に 感心しながら 息子と見入っていました
城塞から 周りの風景を見ていると 先の方で 修復工事をしていました
先ほど 入ってすぐのところの 崩れた壁を 少しずつ 直しています
こうしてみると 思った以上に フォートは 広く 大きみたいですね
やはり ここは アラビアンな 街で 今までの オマーンの マスカットとは違い 砂漠の街であることが 良く分かります
来た甲斐があります
最上部で 記念写真を撮る
お互いに ここまで 来れた事を讃え合い 少し 格好を付けてみた
やれば できるもんだな~
要塞へ
ここで 敵を待ち構え 攻撃する城壁内部です
中に入ると かなりの大きさに驚き!
敵を討つための 色んな仕掛けがあって それなりに面白い
規模と 佇まいと 何から何まで アラビアン!
城壁の上部へ 上る階段が 3つ有りましたので それぞれ登ってみました
こんな砲台があって その向こうには 守るべき街 ニズワが 一望できます
これこそが このフォート 最大の魅力でもあります
一応 大砲の弾も このように置かれていて 手にとって 触ることが・・・・・本当は出来ません!
チョイ悪親父ですので ネットの隙間から 手を伸ばして 持ち上げているところです
やっぱ 持ってみないとね!
さすが!私と違って 体力のある息子 簡単に 3箇所の階段を 登っていきます
私は 1つ目の階段から 息を切らして 1段ずつ 登る
下から見上げる 私の頭上に 上り詰めた 息子と 青空が 余りにも綺麗で 写した写真
今日の天気予報は 曇りなのに・・・・!
熱いけど 素晴らしい景色を 見ることができて良かった~
三箇所で 登ると ニズワの街が 360度 見ることができます
2人で 静かに オワシスの街を 眺めていた
有名な街でもなければ 有名な観光地でもない ましてや ここに来た事を 羨ましがられる街でもない!
なのに 何だろう この充実感
見渡せるほどの 小さな街なのに・・・ 驚くほど 綺麗な景色でもないのに・・・
少しの間 景色を見る 息子を カメラで 撮影していた
近くの ニズワモスクから コーランが 流れる
私達は 目標に してきた ここ ニズワフォートに 人の親切で たどり着いた
私は 撮影をしている ビデオカメラの 小さな モニターに写る 息子を見ながら 大切なことを 気づかせてもらった
それは 普通の親なら 直ぐに分かること 無意識に分かること そして 親と接して 自然に受け継がれることを・・・・
私は こんな簡単な こんな単純なことに 気づくまで 23年も かかってしまった
50歳近くになって やっと 気づくことが出来た
良かった 臆病な気持ちを 押さえつけてでも ここに来て 良かった
息子と 来れて 本当に 良かった・・・・・・
帰りに チケット売りの親父さんに お礼を言って 記念写真を頼んだら 仲間を連れてきてくれた
本当に オマーン人は 優しい
こうして 2時間ぐらい ニズワフォートを満喫して 私達は 周りの散策へ 向いました
外に出て ぐるぐると 廻っていると 壷などを売っている 売店を見つけ 入って 物色
値段も 書いてないし 購入したいものが 何も無い
民芸品として 見ているだけ
雰囲気は 味わえます
隣に ニズワスークが ありましたが 人が居ない!
お店の人も 居ない!
たぶん 時間帯なのか? 曜日なのか?で 活気が違うんでしょう
近くに 羊や 牛 鳥の 市場も あるようですが 本日はお休み!
トラックに 積まれた牛を見て こいつら 食われんだな~ って 市場の活気を想像していた
時間は 13:00を廻っていた
フォートの周りの レストランを探していると 小さな 日本で言う喫茶店みたいなところしかない
広場を渡って 向かいに レストランが有ったので 入ってみた
店員が 直ぐメニューを持ってきた
メニューを見ると 美味そうな 写真が載っていて 分かりやすい
値段を気にしながら 息子と選ぶ
私は サンドイッチ・スープ 1.6 OMR(528円)
息子は 鶏肉のバーベキュー・チャパティ 1.9 OMR(627円)
黄色のスープ 不味くて飲めません! 味が無い!
サンドイッチは パサパサの食パンで 不味い!
鶏肉のバーベキューは それなりに 食べれたそうです
期待はしていませんでしたが こんな ものなんですね~
雰囲気を出そうと オープンテラスで 食べていたのですが ハエが わんさか寄ってきます
いちいち掃っていると 食べられないので ハエに 餌を与えました
それでも いい思い出として 有りにします
マスカットへ 戻る・・・・
14:00に 食事を終えて これから どうしようか? 悩んでいた
バスの運転手に 教えて貰った時間は 17:30
まだ 3時間もあります
ここから 世界遺産でもあります バハラフォートへ 行こうか 考えていた
しかし バハラフォートは 曜日によって 入場できないらしい
今日は 閉館日との事 悩む!
フォート近くに TAXが 停留していたので 参考までに マスカットまでの運賃を 聞いてみることにした
場合によっては ホテルのある ルイの街を 散策しようと考えたからだ!
マスカットまで 130Km 日本だと 名古屋 京都 間だ!
この距離を いったい いくらで 走ってくれるのだろう?
TAXドライバーが 数人 小屋みたいな場所で 涼んでいた
『ねっ!聞くだけで悪いんだけど マスカットまで いくらかかるの?』
「え!マスカットか?」
驚いた 表情をした
私は てっきり そんな遠くまで 行くわけねーだろ!と 嫌味を言われるかと思った
すると・・・・
「2 OMR!(660円)」
『はぁ~ 2 OMR(660円)?』って 疑ってかかった
心の声
どこで 130Kmの距離を 660円で走ってくれるんだよ!バスと かわんねーじゃん!
「そうだよ 一人 2 OMRだ!」
すると 小屋から 私服の2人が 出てきた
一人は インド人! 一人は 白人!
この白人が 必死に 私に説明してくる
「俺も マスカットへ行く このタクシーをシェアして 4人で乗ると安くなるから!一人 2 OMRで
マスカットへいけるんだ!」
少し悩んでいた
3時間待てば バスで ルイまで帰れる しかし バスステーションへは タクシーで行かなければならない それに バスだと ルイ到着時間には 真っ暗
旅とは 葛藤の連続だ!
でも 130Kmを TAXってのも 面白いよな~ 日本じゃ絶対無理だし
息子と 相談して 乗ることにした
ドライバーと 商談成立
『俺ら 2人 いっから 4 OMR(1320円)でいいよな!』 念押しした
「おう!間違いない 2人で 4 OMR だ!」
ちゃんと確認して 乗り込んだ
参考までに この言い値 簡単に 覆される事が有ります
他の2人が マスカットまで行かず 途中で降りた場合 私達に 余分に請求する可能性が有ります
兎に角 金額と 到着地を 印象付けて 追加金を請求されたら 喧嘩するつもりで 腹をくくります
ガソリンスタンドで給油!
TAXは 走り出します
15号線に入って まず 給油所に行きました
どの位 入れるのかな?って見ていると 40Lほど 金額にして 4OMR(1320円)
そうなると 1L 100BZ(33円) 程!
日本の1/3のガソリン料金・・・・安っ!
それを考えると TAX料金の安さは 納得できますね
TAXは 猛スピードで 走り抜ける
速度メーターは チン♪チン♪チン♪と 時速120Kmを 超えた時に鳴る 警告音が 鳴り響く
車種は 分かりませんが ヒュンダイの車です
まだ 速度オーバー警告音なんて 出る 車が あるんですね~
荒野の地形を眺めながら 心地よい車の振動で 息子と2人 ついつい 転寝をしてしまいました
2時間ほど 走ると マスカットの Burj As' Sahwah Roundabout 近くの 路肩で 降ろされる
話を聞くと TAXには 国の許可が必要で その走行地区も 決められているとの事
ニズワからは マスカットの ここ15号線の最終地点(写真の場所)までしか 営業をしてはいけないそうです
ただ 私達は ぽつんと 何にも無い 15号線の道路脇の 歩道に 降ろされました
どうする?
私の頭の中に この近くで 大きなハイパーマートが あったような?
あたりを見回すと それらしい建物が・・・・・・
ルイへ 戻る
マスカット シティー センター へ 向ってみた!
その前に この とてつもなく おおきな ラウンドアバウト(円形交差点)を 横断するのに 一苦労
中々 車が途切れません だって 信号が無いから!
ドライバー達の 阿吽のルールで 上手く 事故が起こらないように 途切れなく廻っている
まるで パリ の凱旋門の ラウンドアバウトのようだ!
それでも 強引に 車を停めながら 老いた体に 無理を言わせて 走りぬく
高速道路を 横断するのと 同じようなものだった
それを 2回して マスカット シティーセンターへ 向う
ところが 1Kmほどの 距離にも関わらず 肉眼では 遥か遠くの建物に見えて 断念した
時刻は 16:00
息子と ルイへ 戻って ルイの街の 散策を することに決めた!
ルイへ 戻ると 決めたがイイが どうやって帰ったらイイのか 分からない!
とりあえず タクシーの 集まるところへ 行ってみた
TAXドライバーと 値段交渉!
TAXが 10台ほど 並んでいるところへ行く
すると インド人らしき 3人組が 歩いていた
その前を 私達が歩き そこへ ドライバーが 寄ってくる
「おーい お前達 どこへ 行くんだ?」
すると 後ろの 3人が 「ルイだ!」 と 言った
私は その言葉を聞いて 彼らに話しかけた
『俺らも ルイへ 行くんだけど 一緒に 乗らないか?』
彼らから 即答で 返ってきた
「嫌だ!」
私も 強引に 言い続けた
『ルイなんだろ! 一緒に 乗っていこうぜ!』
彼らの 言葉は 変わらなかった
「嫌だ!」
なぜだか分からないが 私達を 拒み続けていた
いちおう ルイまでのTAX 相場が 分からないので 参考までに いくらか聞く!
『なーっ ルイまで 君ら いくらで行くの?』
「俺ら 500BZだ!(165円)」
距離は40Km 日本だと 名古屋市から 岐阜市 までの 距離
安いことは 安い
でも 彼らは 私達との 同乗を 拒み続けた
仕方ないので TAXドライバーと 交渉を 始めました
イメージ写真
インド人ぽい 3人に 断られて タクシーに 近づくと 4・5人 私達の周りを 取り囲む
そのうちの 一人に 聞く
『俺ら ルイへ 行くんだけど いくらするの?』
ドライバーが 答えた
「10 OMR(3300円)だね!」
” ふざけんな!こいつ!”と 言い返す
『今 俺ら ニズワから 2 OMR(660円)で ここまで来て 何で ルイが 10 OMRなんだよ!(ここまで英語) (ここから日本語)バカやろ!考えてみろ!』
後で調べると 空港から ルイまで 10 OMR だった! ここは 空港と同地点
次のドライバーと 交渉すると
『お前は いくらで 行くんだ?』
「俺は 6 OMR(1980円)で ルイまで 行ってやるぞ!」
『お前 さっきの 聞いていたか? 俺は ニズワから 2 OMRで ここまで来たんだよ!』
そのドライバーは 困った顔をしていた
ついでに 『歩いて ルイまで 行くわ!』と 捨て台詞を 吐いた!
ホント 困った親父ですね・・・・・・
すると まとめ役らしき 人物が 話しかけてくる
周りを見渡すと 15人ほどのドライバーに 囲まれていた
なんか 楽しくなってきた
興味本位なのか?トラブルが楽しいのか?ごねている客(私)が珍しいのか?
人だかりの中心にいる 自分が ワクワクしてきた
「お前 いくらなら 良いんだ?」
すぐさま ポケットの中の 小額紙幣を 取り出す
握り締めた 紙幣は 800BZ(264円)
高額紙幣OMRは 財布にしまい 小額紙幣BZは 現金の持ち金として ポケットに しのばせる
いざという時に 現金を持っていない振りをするため
「分かった ちょっと待ってろ! 2人で 1.6 OMRだな!」
そう言って この金額で 行ってくれるドライバーを探し始めていた
しかし この金額で 行ってくれるドライバーは 居なかった!
すると 2人で 3 OMR(990円)なら 行ってやるよ!って 行ってきたドライバーが居た
考えた・・・・ 990円か? 最初が3300円だからな~ よく粘ったかな~っ
そう 自分に言い聞かせて タクシーに 乗ろうとした瞬間
息子が 「ね~っ さっきの人が 一緒に 行ってくれるって!」
すぐに タクシードライバーと 仲介してくれた人に 『ごめんね 向こうのに 乗るわ!』そう言って 走って 彼らの乗る タクシーへ 向かった!
マスカットから ルイまで 500BZ
タクシーに乗ると 直ぐに 私達を拒み続けた 彼に 握手をして お礼を言った
彼も まんざらでは なさそうだった
よっぽど 私が 何人もの ドライバーと 交渉をしていたので 不憫に思えたのでしょう
だた よく考えたら TAXは 5人乗り!
ドライバーが 1人で 乗客は4人が 定員!
となると・・・ 私達が同乗すると 6人の搭乗になります
そりゃ 拒むわけだわ!
写真では 3人ですが 後部座席に4人乗って 息子は 助手席に乗りました
40km程の 距離ですが 少し会話をしてみた
『君達 インド人?』
「違うよ」
『パキスタン人?』
「違うよ!俺達 バングラディッシュ人」
バングラディッシュ人は 初めてだ!
『仕事か?』
「そう 仕事で来ている」
彼らは 労働者として オマーンに来ていた
私は バングラディッシュの事を 聞いてみた
『バングラディッシュは 安全な国なの?』
すると 彼らが 私にした ジェスチャーは 人差し指と 親指を立てて 「バン!バン!バン!」と 言ってきた
「バングラディッシュは 危ないよ!いつも 銃声が 鳴ってる」
少し 驚いていた この国は 世界で一番 人口密集率の高い国です でも 治安は良いと 思っていました
それから 彼らは バングラディッシュの現状を 私に説明してくれました
私は 安くTAXに 乗れたことよりも 彼らとの 会話が出来たことに とても嬉しさを感じました
次に 彼らが 私に・・・
「お前ら 中国人か?」 そう聞いてきました
意識的に 伸ばした薄い髭と TAXとの 交渉で 値切っている姿をみて 推測したのでしょう
『俺ら 日本人なんだよ! 前のは 息子!2人で 旅してんだ!』
「そうか 日本人か? だったら 金持ちなんだろ!」
彼らの 日本人の イメージだったんだろう
すぐに 返した
『日本人でも お金を沢山持っている人と お金を持っていない人が居るんだよ』
不思議そうな 顔をした
『俺らは お金が無い方の 日本人なんだ! 今 日本では お金持ちと 貧乏人の差が 大きく開いているんだ!』
そう説明すると 納得していた
それでも 彼らからすると 私達 日本人は お金持ちです
私も それは 認識した上で 話していました
ルイ地区に 入ると 三人の 一人が タクシーを降りた
3人掛けの後部座席に 4人で ぎゅうぎゅう詰め それでも 嫌な顔をしないで 私達を乗せてくれて バングラディッシュの話を してくれた
私も 車を降り お礼を言って 彼の写真を 撮らせてもらった
無事に ルイのバスステーションまで 着いた
彼ら 2人も 同じバスステーション近くだった
お礼を言って 彼らとの写真を 撮らせてもらった
真ん中の 彼が リーダー的な存在
マスカットでは かたくなに 私達の同乗を 拒み続けていたのに・・・・・
そりゃ タオルを頭に巻いた 東洋人なんか 不気味な存在ですからね~
でも 人って 分からないんだよな!
彼の 良心によって 私達は 友達に成れた
やっぱり ケチケチ旅で 良かった
10 OMR(3300円)が 1 OMR(330円)で TAXに 乗れたことが 嬉しいんじゃない
見ず知らずの 何も関係ない 利害関係すらない人たちから 親切を受ける
これこそが 人を学ぶ 元となる
私達は 彼らが見えなくなるまで 手を振り続けた
それが せめてもの私達の お礼の気持ちだった・・・・・・・
彼らと 別れ 少し 余韻を楽しみながら 大回りして ホテルへ戻る
5分ほどで 着くホテルも 20分近くかけて 戻った
同じ風景なのに 最大のミッションを 終えた 満足感から ルイの街が 昨日始めてきた街ではなく 長い間 住んでいるかのような 錯覚に陥っていた
人の 優しさとは 観る景色すら 変えてしまうみたいです
どうでもイイ事をしてみた
今の 私は 間違いなく トラベルハイ!
息子と ホテルに帰る前に 私達の部屋の窓から 見える山を 登ってみようと いうことになった
岩肌は ごつごつ 強く持つと 簡単に崩れ落ちる
本当に どうでも イイ事なんだが やってみたいことは 全てやりつくす
これが 私の旅!
岩山登りは 程ほどにして ホテルの部屋へ 戻る
朝 窓を開けて 外出したので 濡れていた衣類は 全部 カリカリに 乾いていた
これで 明日の移動では 湿った服を着ないですむかと思うと 安心した
17:45 ルイの街の散策と 夕食を食べに行く
ルイは 観光地ではなく 商業地区
どんな街なのか 歩いてみることにした
目指したのは シンボルの時計台
少しずつ 薄暗くなり始めている
時計台の周りは 公園のような 広場になっていた それも 全部 タイルが敷き詰められている
夕方なのに 沢山の若者が クリケットをしていた
時折 玉が それると 私達の方へ 飛んでくる それを拾い上げて 彼らに投げ返すと 無表情で受け取る
普通に考えたら やはり 頭にタオルを巻いた変な東洋人の 私達が珍しい
そんな 光景ですら なんだか 別世界の日常が 嬉しく感じていた
大したことをするわけでもないし 自慢できるような話でもないが その場に居ることが とても 特殊に感じられた
大人の若者が クリケットをしている近くで 子供達が サッカーをしている
この子は キーパーをしていた
少しの間 子供達のサッカーを観戦していると 彼も 私達を意識をしている
英語で 話しかけると 英語で答え返した
子供は アラビア語しか通じないかと思ったが 英語が通じるようだ!
想像以上に 子供は 人なつっこい!
『一緒に写真撮るかい?』って 聞くと
「いいよ! 一緒に撮ろ!」って 息子と記念写真
サッカーの 途中にもかかわらず 写真を 撮らしてくれた
最後に 彼に 『お前 上手な キーパーだね!』って言うと
可愛らしく 「タンキュ!」って
この子の 喋り方 言い方が 余りにも可愛くて 息子と2人で 少しの間 笑いが止まらなかった
どこまで 人が良いんだろう! オマーンで 癒される
夕食へ Bin ateeq restaurant ruwi
ホテルの近くには レストランが無く 地球の歩き方で調べると ホテルから1.5Kmのところに リーズナブルなレストランが あることが分かった
それも オマニ式料理と・・・・
これは 行くしかないと 18:30 日没間際に 到着
いつもだが 入って メニューを見るまで 不安
立派な レストランぽいぞ!
店内に入ると レストランではなく 個室が 何部屋も
2人であることを 告げると 私達を 一番手前の 個室へ 案内して メニューを渡された
直ぐに メニューの 金額を確認すると レストランのシステムに比べて リーズナブル!
これは イイ レストランを見つけたと 思った
2人で 胡坐をかきながら メニューを見て その料理を 想像する
そりゃ 見たって 読めたって 分かりませんからね
写真と 素材名で 料理を想像する
こちらが メニュー
写真も 載っていて 分かりやすい
それでも どんな料理なのか? 私達が 食べれる料理なのか?は 全然分からない!
こういう時は ホント 自分の知識の無さと 経験不足と 予習無しの旅を 悔やむところです
いつもの如く 失敗の無い料理を・・・・・
Marakh Laham(FreshMeatCurry with Bread)1.7 OMR(561円) と
Marakh Dijaj(ChickenCurry with Bread) 1.5 OMR (495円)を オーダー
ミネラルウォーター(100BZ)は かってに付けてくる

ビックリするほど 大きな金属の盆に 載せられてくる
こんな4.5畳ほどの部屋に 1000円ほどの 食事で 申し訳なくなってくる
それでも オマニ式料理を 楽しむ
食べているものは どう見ても インド料理
異文化の レストランは 良い体験に!
息子も まんざらでも なさそうだし 私も 高価なレストランには 連れて行ってやれないので この Bin ateeq restaurant ruwi は 低価格で 雰囲気だけは 味わえて 最高のレストランだった!
40分ほどの 食事を楽しみました
レストランを出ると 空は 真っ暗
それなのに 街路灯が 綺麗に道路を照らしている
危険な感じは まったく無い
中心地へ 向うと 息子が この店 有名みたいだよ!って 教えてくれた
近づくと ウエディングドレスのショップだった
私達には 関係ないのですが 写真だけは と言う事で 何枚か 窓越しに撮影
数十体の マネキンが ウエディングドレスを着ていて 脳裏に娘が ダブってしまった
一瞬 センチメンタルな気持ちが・・・・
おやつ?な 食べ物! ぼられそうになる・・・・
夜の散歩をしながら 店屋を物色
ここ ルイに 着いてから 気になっていた 店
コーヒーショップと 書いてあります
いつも 人が居て 紙コップを 片手に たむろって 話をしている
気になるのですが 中々 行き辛い!
程ほどに お腹は 満たされているのですが どうしても 買って食べてみたい!と言う事で カウンターへ
油で 揚げた お菓子みたいな物
店員に 『これいくら?』 と 聞いてみる
ニコニコしながら 「100BZ(33円)だよ!」
安っ!
息子と 食べてみることに・・・・・・
すると 隣から 親父が 「こっちに もっと沢山あるよ!」って 店の正面へ 連れて行かれる
確かに 6種類の 揚げた お菓子が 大きなケースに 沢山あった
親父は 「これ肉! これ野菜! これバナナ!」と 中の具材を 説明してくる
どうせ 1個 100BZなら 全種類 買っても 600BZ(198円)だと思って 各種 買うことにした
『親父! これ1個ずつ 全部で 6個くれ!』
すると 袋に入れ始めて こう言った
「3 OMR(990円)ね!」
『はぁ~ 違うだろ!その値段なら いらねよ~ (こまで英語)(ここから日本語)ふざけんな!なめんじゃねーぞ!』 と・・・・
怒りを あらわにして 道の反対側の 同じような コーヒーショップを 指差して
『あっちの店に 行くわ!』と 歩き出す
店の親父は 「待って!待って! 違う違う!」って 言ってきましたが こっちは 舐められたことに 怒りが 収まらない
無視して その場から 違う店へ
と・・・まぁ 良くあることなんですが 一つの コミニケーションと言う事で 今後の外国人に被害が出ないようにね!
移動して こちらの お店へ
こちらも 先ほど ぼられそうになった お店と まったく 同じ 揚げたお菓子みたいなのと コーヒーの店
これが 揚げたお菓子みたいなの
名前は サモサ と言います
インドの料理みたいですけど オマーンの中東でも 食べられているみたいですね
値段は もちろん 1個 100BZ(33円)

息子と 食べる
食べたものは ベジタブルサモサ!
これが 美味い!
でも 何処かで 似たような 味が・・・・・・そうそう 揚げ春巻きだわ!
まんま その味
そして もう一つ 気になっていたのが 紙コップで出していた飲み物
息子に 買って 貰いました
写真は 息子が お客に渡した 飲み物を指差して 「これ 下さい!」って 言っているところ
店の親父さんは とっても親切で 優しい
この チャイ 無茶無茶 美味かった~
今でも もう一度 飲みたいと思う
値段は 100BZ(33円)
作り方を見てみると まず 紙コップに Tパックを入れて 2・3度揺する
その後に 缶に入った練乳(たぶん)を これでもか!って ぐらい 上から流し込む
入れる量を 確認していると ”もう いいだろ!”って 思うほど 入れてた
一口 飲むと 紅茶の香と すっごく甘いミルクが ベストマッチ!
真剣に 帰国したら 作ってみようと 考えた
街を ぶらつくと アイスクリーム屋が・・・・
入って 食べてみることにしました
カップアイス 400BZ(132円)
意外と 高い!
味も 普通だった
面白かったのは この店で 12歳ぐらいの子供達に 絡まれる
数人の子供に 「你好!」って 挨拶された
私は 『違う!違う!コンニチワ!』って 言い返す
子供たちは 負けじと 「早上好! 再见! 谢谢!」と まぁ 習った中国語で 私に喋りかける
やはり 今は 中国の時代なんだな~って オマーンで その大きさを 知った
私も 大人気なく 『コンバンワ!サヨウナラ!アリガトウ!』と 日本語で 応戦した
それでも 何度も何度も 中国語で 返してくるので 『私は日本人だよ!』って 伝える
こんな 小さな アイスクリーム屋でも オマーンの人たちとの コミニケーション 面白い!

本日 最後の記念撮影
この旅の 目標であった ニズワフォートへ 行って 帰ってくる事が 出来た
大勢の人に助けられて ミッションを成功させた!
親切にしてもらった方や 助けていただいた方も 写真には収めていませんが 沢山 いました
何度でも 言うが 誰でも 簡単に出来る事を 私は出来ない
臆病風が いつも吹き付ける
旅が 怖くて たまらないのだ!
恐怖心こそ 劣等感の元になっている
自分でも 分かっている
臆病な性格は 多分 これからも 治ることはないだろう
でも 劣等感は 少しづつでも 減らすことは出来る
今日も 無事に 息子と 間抜けなポーズで 最後の記念撮影が出来た
明日は 早朝から ドバイへ 戻る
ニズワフォートで 息子が教えてくれた事・・・・
自分が 親になって 確実に分かったことがあった
それは 子は 親と 同じような 生き方をしてしまう
親から苦痛を与えられた 子供時代を過ごすと 知らず知らず 子供にも 苦痛を与える 親になっている
多分 私の親も 無意識に 私に したのだろう
しかし 育てている途中で 子供が 必ず 教えてくれる
傷つき 苦しんでいる事を・・・・
その事に 気付ける親は 少ないだろう
私も 気づけなかった
親が 子を 信じるって おもいのほか 難しい!
心配と言う 欲が 子供から 生まれてくるからだ
自分の都合の良い 理想の子供に なって欲しい
子供を 一人の 独立した人間として 接する事が出来ない
自分の価値観で 自分の思い通りの 自慢できる子供 羨ましがられる子供を 望みたがり
自分の欲求の 捌け口にし 自分の無しえなかった夢への 依存をする
何時しか 私は 親と子の ” 絆 ”と 言う 鎖で繋ぎ 息子を 奴隷にしていた
やすいテレビドラマの 親子の様に 出来もしない 現実離れをした 綺麗事を 押し付けていた
馬鹿親であることに気づいてから 反省をして 心を入れ替えて 親をやり直していると 思っていた
ここに 来るまで・・・ 一緒に旅をするまで・・・
私は まだ 息子に対する ” 罪悪感 ”と 言う 鎖で 繋いでいた
もう イイ! そう 思った
私自身が 息子を 解放しなければ ならなかった事に 気づけた
だからこそ 息子を 信じよう! 一人の 独立した人間として・・・・
この夜 先に眠った息子に 合掌をして 何度も 何度も ” ありがとう ”と 言い続けた・・・・・